イスタンブール!

2015年3月12日

『幕が上がる』、絶賛上演中です。観客動員は十三万人を超えたそうです。大ヒットとまではいきませんが、まずまず健闘中という所でしょうか。
 これから春休みに向けて中高校生に観てもらうには、上映館が減らないように今週末が正念場です。皆さん、応援してください。
今日からは、メイキング映像『幕が上がる、その前に』も公開です。私もまだ全編は観ていないのですが、私のワークショップの様子がたくさん出ているようです。

 日記の続き

2月22日(日) 関空発の深夜便で5時にイスタンブール国際空港着。荷物は、直接ハンブルグに送ったので、カバン一つで外に出る。地下鉄の始発が6時だったのでカフェで待機。ネットがつながらず困る。地下鉄が動き出したので乗車。

 35年ぶりのイスタンブール。『十六歳の冒険を記す本』や『冒険王』で描いてきたように、この町は、私の青春の街だった。
 35年前にはなかった地下鉄を乗り継いで、まずは新市街へ。地下鉄の駅から地上に出る。街並みはすべて変わったけれど、それでも、とにかく涙が出るほど懐かしい。泣かなかったけど。
 急な坂を下りて、ガラタ塔へ。さらに坂を下ってガラタ橋へ。35年前は、この坂を何度も行き来した。
 ガラタ橋に釣り人が集まっているのは昔のまま。

 ガラタ橋をゆっくりと渡る。
 旧市街に渡って、少し疲れたのでカフェでお茶を飲む。ネットもつながる。
 イスタンブールの中央駅から、坂道を登ってスルタンアーメット地区へ。驚くべきことに、ここまで、まったく地図を見ないで歩いてきた。街並みは変わったけれど、道はほとんど変わっていなかった。そして、私は、そのすべてを記憶していた。どこでサバのフライを挟んだサンドイッチを食べたかとか、どこの坂道で熊を連れた詐欺師に会ったとか、そこのチャイハナでお茶を飲んだとか、すべて鮮明に覚えていた。
1980年に泊まった安宿は、さすがになくなっていたけれど、当時バックパッカーのたまり場だった「プディングハウス」は健在だった。ここで遅い朝食をとる。店は、おしゃれな観光客が来るようで、メニューは高めになっていた。オリーブがうまいのは、35年前と変わらない。
アヤソフィアを横目に見て、ブルーモスクの脇を抜けて、いよいよ安宿街に入っていく。『新・冒険王』の取材も兼ねて、この近辺を1時間近くかけて、とぼとぼと歩き回る。途中で疲れて、レストランに入ってチャイを飲む。
さらに歩いて、元来た場所に戻り、プディングハウスの並びのレストランで少し早めの昼食。ケバブを食べる。ここも観光客の店で、少し高めだがおいしかった。
 路面電車と地下鉄を乗り継いで空港に戻る。
 トルコ航空のラウンジは、とてつもなく立派で、食事も充実していた。ここでゆっくり仕事。
 14時40分イスタンブール発。時差、さらに1時間修正。
16時50分、ハンブルグ国際空港着。鉄道でハンブルグ中央駅へ。
 ここも35年ぶり。ハンブルグは、私が作家になろうと決めた街。
中央駅からタクシーでホテルへ。チェックインして、シャワーを浴びてメールチェック。
18時50分にフロントに迎えの方が来て劇場へ。劇場は歩いて三分。
 ただし今日は劇場には入らずに、裏手のオフィスへ。そこで総支配人のデルノンさんと再会し、ケント・ナガノ氏にお目にかかる。世界のマエストロだから、当然、どっか素晴らしいディナーに招待してくれるのかと思っていたら、いきなり仕事の話だった。「水とリンゴジュースとどっちがいい?」と勧められる。ナガノ氏は、リンゴジュースを炭酸水で割って飲んでいた。
 1時間ほど作品について細かく話してホテルに戻る。英語のミーティングだったので、どっと疲れる。外に出る気力もなく、買っておいた非常食を食べて眠る。
 ももクロさんたちと舞台挨拶を二連続で行い、叔父大林宣彦と邂逅し、瀬戸大橋を渡って、そのまま関空から飛行機に乗って35年ぶりのイスタンブールを5時間堪能し、そしてハンブルグに来て世界のマエストロと会う。人生はまだまだ捨てたもんじゃない。

なぜか写真がアップできないので、また後日。