豊岡移転について(4)

2017年9月15日

 利賀から小松空港経由で台北に戻りました。『台北ノート』の稽古を再開しています。今日は、記者会見とゲネでした。
 この間、台北の舗仁大学ではアンドロイド演劇『さようなら』の上演とロボットを使った日本語教育のデモを行いました。

 豊岡市の城崎温泉では、11日から、前田司郎氏監修の『城崎温泉怪談祭』が開催されています。
ぜひ、おいでください。
 
http://kinosakionsen-kaidansai.net/

 また、このイベントは、倉科カナさん主演のドラマ制作と連動しています。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170825-00000373-oric-ent

連載の続き

4.こまばアゴラ劇場

こまばアゴラ劇場は、私がオーナー兼芸術総監督を務める民間小劇場です。
 一方でアゴラ劇場は、少なくとも人材育成、教育普及、あるいは地域劇団の紹介などに関しては、日本でもっとも公共性の高い仕事をしてきた劇場であると自負しています。
 劇場は、学校や病院などと同様に、その設立や運営主体が官か民かを問わず、公共性の高い機関だと私たちは考えてきました。当然、その仕事は、一代限りに限定されるものではなく、出来るならば永続性を持って引き継がれていくことが望ましい。
 
これまでも公言してきたように、こまばアゴラ劇場は、私の父から多額の借金とともに引き継いだものです。この借金が、少なくとも銀行からのものは、あと四年程度で完済できる見通しとなりました。
 建物本体は、二年ほど前に外壁を含む全面改修を行い、あと二○年ほどは大規模改修を行わなくても運営を続けられる状態にあります。
 借入金返済の負担がなければ、おそらくこまばアゴラ劇場は私の手を離れても運営は可能となります。私としては、一刻も早く、運営評議会のような組織を立ち上げ、任期制の芸術監督を公募し、運営を引き継いでいきたいと考えています。現状の実務は、制作面、技術面ともに若手のスタッフたちに大部分が任されており、私が運営面から身を引いても問題がない状態にあります。

 新体制の運営は、新しい芸術総監督の下で行われますが、公募に際しては、「支援会員制度の継続」「人材育成・教育普及活動の持続」「地域劇団の紹介」などが条件として示され、そのミッションにふさわしい人材が選ばれることとなるでしょう。劇場の伝統や個性は受け継がれつつ進化する、新しい民間小劇場の形を目指したいと考えています。

日記の続き

4月8日(土) 昼過ぎに富士見市へ。ももクロ春の一大事、会場周りを見学して奈義町のブースへ。たくさんの人と写真を撮る。久々にももクロメンバー全員と会う。夜は、はじめてももクロのライブを観る。寒かったけど、楽しかった。

9日 この日も午前中から富士見市へ。市長、奈義町長と会食。そしてこの日も、たくさん写真を撮って、ライブも参加。
10日 心機一転。『さよならだけが人生か』稽古開始.夜は無隣館授業。
11日 午前中、文科省。午後、東京藝大授業。夜、慶應丸の内キャンパス授業。
12日 ミーティング多数。『さよならだけが人生か』稽古
13日 大阪大学授業。打合せ多数。
14日 四国学院大学授業。学長打合せ。阪大に戻ってさらに会議。
15日 大阪大学で仕事。
16日 演劇学会理事会。演劇人会議全体会議とレセプション。
17日 飛行機で豊岡市へ。終日、豊岡市内で仕事。
18日 午前中、豊岡市内で仕事。夜、慶應丸の内キャンパス。
19日 午前中ベネッセ打合せ。午後、東京藝大授業。夜、無隣館授業。
20日 午前中、東工大授業。午後、『さよならだけが人生か』稽古
21日 朝から阪大で仕事。夜、毎年恒例の阪大看護学科の宿泊オリエンテーションでワークショップ。
22日 豊岡へ。城崎国際アートセンターでベルギーの若手カンパニーが私の『思い出せない夢のいくつか』を上演する。アフタートークを行って帰京。
23日 鈴木孝夫先生との対談『下山の時代を生きる』刊行記念イベント。夜は『南島俘虜記』の打ち上げ。
24日 『さよならだけが人生か』稽古、無隣館授業
25日 利賀演劇人コンクール書面審査。東京藝大授業。慶應丸の内キャンパス授業。
26日 ミーティング数件。『さよならだけが人生か』稽古。
27日 阪大会議、授業。
28日 打合せ数件。夕方京都産業大学で講演と永田和宏先生と対談。懇親会。
29日 帰京。アゴラで『思い出せない夢のいくつか』観劇+トーク。『さよならだけが人生か』稽古。
30日 映画『ちはやふる』出演者向けワークショップ。午後は池袋でのコミュニティカレッジ。
5月1日 打合せ数件。夜は無隣館の授業。
2日 毎日新聞インタビュー。『さよならだけが人生か』稽古。『ちはやふる』ワークショップ。
3日 『さよならだけが人生か』稽古
4日 この日は、一年で数回のスケジュール欄に何も書かれていない日。多くの劇団員に「何をするんですか?」と質問される。スマホの機種変。散髪。夜はアトリエ春風舎でキュイを観劇と休日らしい過ごし方で過ごす。
5日 『さよならだけが人生か』稽古。取材一件。スズナリで渡辺源四郎商店を観劇。数年ぶりに下北沢の居酒屋で飲む。
6日 『さよならだけが人生か』稽古。夜はアゴラでうさぎストライプ観劇。
7日 ミーティング数件。歯医者。東京藝大に出勤して少しだけ仕事。これでゴールデンウィークは終わり。

豊岡移転について(3)

2017年9月07日

 利賀はすっかり秋景色です。今週末、利賀を訪れる皆さんは防寒具をお忘れなく。
 今日は、アジア演出家フェスティバル韓国チームの公演でした。公演前にワールドカップ韓国代表の出場が決まり一安心でした。

 連載を始める前に、こちらの映像を先に紹介すればよかったのですが、忘れていました。
 城崎国際アートセンターは、こんなところです。

 ちなみに市長と私の掛け合いのようになっている方は、お互いに、まったく原稿なしで、別々の場所で収録をして、あとで編集の方がつなぎ合わせてくれたものです。

 というわけで、さらに連載の続きです。

3.兵庫県

兵庫県は現在、但馬地区に、観光とアートを核にした専門職大学の設置を検討しています。

https://www.kobe-np.co.jp/news/kyouiku/201703/0010028846.shtml

市長も選挙後の就任会見で以下のように述べています。

http://www.city.toyooka.lg.jp/www/contents/1495435899550/index.html

また県知事も、これを公約の中に盛り込み、今年の選挙に当選しました。

大学の設置、申請、認可は、加計学園の問題を見るまでもなくセンシティブな事柄で、いまの時点で私が公に話せることは、新聞報道の枠を超えるものではありません。
ただ実際に、今年度、兵庫県、豊岡市とも調査費がついて、開設への検討が始まっています。もし大学が出来れば、青年団の移転が加速することは間違いありません。

 大学のことはさておき、兵庫県は私にとって、まったく縁がない県ではありません。拙著『演劇のことば』に詳しく書きましたが、平田家は祖父の代まで兵庫県赤穂市で薬問屋を営んでいましたので、私は兵庫クォーターです。余談ですが、豊岡市は大石内蔵助の妻大石りくの出身地でもあります。
 兵庫県は、SPACと並んで日本でただ二つの県立劇団を持っています。そのピッコロシアターの付属施設であるピッコロ演劇学校では、ここ十年ほど、毎年授業をしています。二十年以上に渡って関西のホームグラウンドとして上演を続けてきた伊丹アイホールも兵庫県伊丹市にあります。
 今年度からは宝塚市の市政アドバイザーにもなりましたし、兵庫教育大でも毎年、特別講義を行っています。神戸のダンスボックスさんは、大阪中之島のアトリエB1を共同運営するもっとも信頼の置けるパートナーです。こうしたこれまでの関係の蓄積は、青年団が豊岡に移転することによって、さらに緊密になることでしょう。
 大阪市、大阪府の文化政策、教育政策が壊滅状態にある現状では、兵庫県は、京都府と並んで、関西の文化の防波堤の役割を担わざるを得ません。青年団の移転が、豊岡市、但馬地区のみならず、兵庫県、あるいは関西圏の文化振興に多少でも寄与できればと考えています。

 あまり知られていませんが、兵庫県は、本州の両端の青森と山口を除けば、唯一、二つの海を持った県です。尼崎、伊丹、宝塚といった福知山線沿線の縦軸の連携と、新潟noism,
利賀のSCOT、鳥取の鳥の劇場といった日本海沿岸の横の連携の結節点として豊岡が機能すれば、ますます夢が広がります。

 この連載とは関係のない余談の余談ですが、先日、古武術家の甲野善紀先生にお目にかかった際に、以前から聞きたいと思っていた祖父の話を切り出そうと「あの、実は、うちの祖父が肥田春充先生と共著を出しているようなのですが・・・」と言った瞬間に、「え! それではもしかして、平田さんは、あの平田内蔵吉さんの孫なの?」と言われて、私の方が驚くという予想外の展開になりました。「いや、いや、それはすごい」と周りの方があっけにとられる雰囲気になってしまい、この話は後日、ゆっくりと伺うことになりました。

 さらに余談が続きます。今夜、あるいは先週、Eテレで大林宣彦監督のドキュメンターリーをご覧になった方も多いかと思います。番組の中で、軍医であったお父様のことが多く出てきました。私の祖父も軍医で、沖縄戦で亡くなりました。
 私の父と大林監督は、若い頃にともに映画を撮り、その縁で一組の姉妹と結婚し、そのおかげでいまの私がこの世に存在するわけですが(その経緯は別冊文藝に詳しく書かれています)、父と大林さんの友情の背景には、医者の家に生まれ、医者になることを望まれながら文学の道に進んでしまったという共通項もあったのかもしれないと、今日、あらためて思いました。
 利賀村では、明日、大林さんのお父様が最後に駐屯していたインドネシアの劇団が公演をします。
 この平和が、長く続きますように。

日記の続き

3月13日(月) 大船の武田薬品で講演会。戻って『南島俘虜記』稽古
14日 用事があって内閣府表敬。演劇人会議理事会。『南島俘虜記』稽古
15日 『南島俘虜記』稽古、TBS生収録。
16日 『南島俘虜記』稽古、夜ICUがらみの講演会
17日 大阪で朝日新聞取材、近畿病歴管理セミナー講演会、帰京して稽古。深夜、稽古場で桑原裕子さんの結婚式のためのビデオ収録。この日のために数週間「恋ダンス」を練習したのだった。
18日 飛行機で熊本へ。益城で復興支援の講演会。大阪へ、打ち合わせ二件。
19日 阪大に日曜出勤のあと京大で大学教育研究フォーラム。京都新聞取材。
20日 四国学院大学へ。学生の創作発表、学長懇談。アートマネジメント講座のシンポジウム。帰京。
21日 藝大教授会。再び大阪へ.尼崎で講演会。帰京。稽古。
22日 ベネッセで会議。地域創造理事会。『南島俘虜記』稽古
23日 大阪へ。取材一件。大阪大学主催のシンポジウム。久しぶりの方たちに多数会う。
24日 早朝帰京して終日稽古。
25日 小田原で講演会。他はずっと稽古。
26日 いわき市で『タイムライン』観劇。今年も素晴らしい出来でした。そのまま岡山へ。
27日 奈義町 夜岡山空港から羽田経由でバンコクへ。
28日 早朝バンコク着。『バンコクノート』オーディション
29日 この日も『バンコクノート』オーディション。深夜便で帰国。
30日 早朝、羽田について乗り継いで熊本へ。熊本高校演劇コンクールの審査。夜帰京。
31日 終日『南島俘虜記』稽古。

4月1日 ついに人生初の韓国日帰り。学会でロボット演劇について講演。(写真は金浦空港)

2日 『南島俘虜記』舞台稽古。Aチームゲネプロ。夜、桑原裕子さんの結婚式に出席。冒頭のスピーチだけして劇場に戻る。
3日 この日から阪大勤務。教材研究。Bチームゲネプロ、夜、無隣館三期も始動。最初の授業。
4日 午前中、藻谷さんと対談。午後、香川のRNCラジオ生放送。毎月第一週に出演します。Cチームゲネプロ。
5日 午前中、再び内閣府。『南島俘虜記』Aチーム初日。
6日 Bチーム初日
7日 Cチーム初日

豊岡移転について(2)

2017年9月06日

 台北から一時帰国して利賀村に来ています。昨日から、アジア演出家フェスティバルが始まりました。

 さて、いきなり訂正です。
 城崎国際アートセンターは、今年で四年目でした。私が正式に芸術監督に就任してから三年目です。申し訳ありませんでした。

 連載の続きの前に宣伝です。先日の日記の中でも登場する藻谷浩介さんとの連続対談が、いよいよ本になって出版されます。豊岡市の他、私がお手伝いをしている岡山県の奈義町のことなども触れられています。是非、ご覧ください。
 以前、新聞連載にも書いたように、たまたま、ももクロのことも触れていますが、これはほんの少しなので、モノノフの方は、それだけを目的に買って読むほどのことはありません。図書館などで注文をしていただけるとさいわいです。

http://amzn.asia/5WwTtzy

 では、連載の続きです。

2.私個人のこと

 私自身、作家として、演出家劇作家として、常によりよい創作環境を求めてきました。地方移転は、その選択肢の一つでしたが、最大の懸念事項は、一緒に暮らしていた母のことでした。昨年来、豊岡移転が現実味を帯びる中でも、八十代半ばの母が住み慣れた東京を離れて豊岡に一緒に行けるのかを悩んでいました。残念ながら、母は昨年11月に亡くなり、このことが私の中で豊岡移転への決意を加速させたことは否めません。

 私自身は、現在、一年の四分の一を海外で過ごし、三分の一を東京以外の場所で過ごしています。特に今年度からは、本務校を大阪大学に戻し、大阪大学COデザインセンター特任教授として勤務していますので、その他の仕事も含めて、週の大半を関西で過ごしています。東京にいるのは稽古の時だけなので、私だけのことを考えれば豊岡に移った方が移動距離が少なくなり合理的です。
 日記にあるように激しい移動を繰り返していますので、もうどこに住んでいてもあまり変わらないという感覚です。現に今回も、台北から直接富山空港に入り、金曜日に小松空港から台北に戻ります。東京には寄りません。
 欧州での仕事の場合には長期滞在になりますので、豊岡から関空や羽田を経由しても、大きな差にはなりません。アジアでの仕事の場合は頻繁に往復することになりますが、こちらはLCCなどの発達で、地方空港に直接行くことができ、これもハンデにはなりません。
 豊岡に滞在中に、但馬空港から朝の飛行機で伊丹に行って阪大で授業を行い、夕方の便で豊岡に戻ったことも何度かあります。下の日記にも出てきますが、宝塚市に長期滞在し、午前中にモデル授業を行い、午後にJRで豊岡に往復して会議に出席したことも何度かあります。東京にいてはできないことです。
 もちろん原稿はメールで出稿できますし、最近は大学の会議もスカイプで陪席を許可していただいています。
 というわけで、私個人としては、東京にいなければならない理由が、まったくなくなってしまったというのが実情です。

日記の続き

2月17日(金) 早朝の便で岡山県奈義町へ。一日会議。
18日 午前中打ち合わせ二件。午後、同志社大学で日本国際教養学会基調講演。そのまま博多へ
19日 九州大学でワークショップと講義。関西に戻る
20日 午前中宝塚の小学校でモデル授業。阪大打ち合わせ。夕方から追手門学院高校表現コミュニケーションコースで授業。
21日 この日も午前中は宝塚で授業。宝塚市と打ち合わせ。夕方から追手門で授業。いしいみちこ先生たちと飲み会。帰りに茨木駅のホームで砂連尾さんと会う。
22日 宝塚でのモデル授業三日目。午後、アトリエB1の理事会。豊中市で講演会と市長と対談。
23日 宝塚モデル授業四日目。午後、豊岡に往復して会議に出席。
24日 この日も午前中モデル授業、午後は豊岡往復で会議。
25日 朝、香川県坂出市に移動。ワークショップと講演会。そして夜は、アンドロイド演劇『さようなら』の上演とトーク。みんなで飲み会。
26日 『さようなら』上演とトーク。そのまま豊岡市へ。
27日 午前中、市職員対象のワークショップ。午後の便で帰京して岸田國士戯曲賞の審査会。
28日 飛行機で福岡へ。佐賀に移動して打ち合わせ二件。そのあと佐賀大学でワークショップと講演会。ロボットを使ったコミュニケーション教育を世界初公開。夜は懇親会。

3月1日午前中は佐賀大学で引き続き講演会。飛行機で帰京して無隣館演出部試験の続き。
2日 午前中、富士見市の小学校でモデル授業。午後スタッフミーティング。夕方から『南島俘虜記』の稽古。23時から無隣館演出部面接。
3日 この日も午前中は富士見市でも出る授業。そのまま大宮に出て新幹線で仙台へ。東北学院大学で講演会。懇親会を中座して終電で帰京。
4日 この日は、東京で豊岡市主催の演劇ワークショップ。豊岡市の教育プログラムをアピール。他に、稽古、面接、ミーティングなど。
5日 飛行機で大阪へ。阪大リーディング大学院選抜試験。
6日 この日もリーディング大学院選抜試験。今年の問題は、医者のインフォームドコンセントについて対話劇を創るというもの。
7日 阪大出勤後、新大阪から広島へ。比治山大学でワークショップと講演会。飛行機で帰京。
8日 無隣館演出部試験の続きと『南島俘虜記』の稽古
9日 朝日新聞取材、『南島俘虜記』稽古。母の遺骨を納骨。夜、ICUで会食。
10日 羽田でいわき民報の取材。飛行機で女満別へ。車で置戸町へ。夜講演会ととびきりおいしい懇親会。
11日 午前中、ワークショップ。午後、女満別空港から新千歳空港へ道内を飛行機で移動。千歳市で、この日も北海道の味を満喫の懇親会。
12日 午前中、千歳市で高校生対象ワークショップ、午後講演会。飛行機で帰京。アゴラに帰って深夜まで『南島俘虜記』稽古。

豊岡移転について連載開始

2017年9月04日

 というわけで、こまばアゴラ劇場は今後も存続しますし、民間劇場の強みを生かしながら、より一層、公共性の高い劇場を目指します。
すでに、2018年度後期のラインナップ募集が始まっています。ぜひ、ご検討ください。

http://www.komaba-agora.com/guide/agora2018aw

 盟友パスカル・ランベールの記事が、国際交流基金のサイトに載りました。

http://www.wochikochi.jp/special/2017/05/pascal-rambert-Gennevilliers.php

 パスカル・ランベールが今年の台北芸術祭で創った新作『GHOSTs』の日本版を、来年春に城崎国際アートセンターで制作、5月にアゴラで上演します。

 さて、では、豊岡移転についての連載を始めます。
しっかりした構成があるわけではないので、思いついたところから書いていく形になりますが。

1.城崎国際アートセンター

 私が芸術監督を務める城崎国際アートセンター(ときにKIACと表記します)は、今年で開館3年目を迎えます。これまでにも、予想を遙かに超える形で国内外の多くのアーティストに利用していただきましたが、来年度の公募においては23カ国99件の応募がありました。開館三年にして、城崎・豊岡の名前は、一挙に世界へと広まったと実感しています。
 果たして利用者がいるかどうか半信半疑でスタートした施設でしたが、パフォーミングアーツに特化したレジデンス機関が国際的に不足しているという分析があたって、最高のスタートを切ることができました。
 この間、城崎温泉自体もインバウンドの観光客を爆発的に増やし、外国人観光客数は四年で四十倍を記録しました。この爆発的な増加は、ひとえに城崎の温泉街の皆さんの地道な努力のたまものですが、アートセンターも国際化のシンボルとしての機能を果たしてきたのではないかと自負しています。

 私は、埼玉県富士見市のキラリ☆ふじみの芸術監督を退任した時点で、次に地方の公共ホールの芸術監督をお引き受けする際には、劇団の移転の可能性もあると公言してきました。
 城崎国際アートセンターは、世界でもトップクラスの理想の創造環境にあり、私自身もアンドロイド版『変身』、『新・冒険王』と国際共同作品の高い成果を上げてきました。これらの滞在制作の経験から、より安定し集中して作品づくりに取り組む環境を望む気持ちがより一層強くなりました。
 しかしながら、城崎国際アートセンターは、公募型のレジデンス専用機関であり、実際に応募が殺到しているために、芸術監督であっても、私自身が利用できるのは年に一回程度というのが現状です。城崎国際アートセンター自体が、コンベンションセンターをリニューアルした再利用施設なわけですが、豊岡市内には他にも、リノベーション可能な場所がいくつもあることが分かり、もしもマッチングがうまくいくなら劇団の拠点を移せるのではないかと考えました。
 さいわい、地元の方々のご厚意で、まず、倉庫を格安でお借りすることができました。五反田の倉庫機能が限界に来ていたので、まず、これを移転することになり、すでに8月に大きな部分の移転が完了しました。
 そして現在、これも多くの方のご厚意で、稽古場、劇団の宿泊滞在施設の候補地を挙げていただいています。順調にいけば、2019年から、徐々に劇団の拠点を豊岡市内に移す計画となっています。

(続く)

日記も極めて大雑把に再開します。

1月26日(木) 台湾が旧正月のため、稽古は休み。東京藝大授業
27日 奈義町の小学校でモデル授業、夜は『幕が上がる』の上映会とトーク
28日 『幕が上がる』上映会とトーク、有安杏果さんと高城れにさんに来ていただき、最高に盛り上がる。

29日 福島県いわき市で藤田貴大君演出の『タイムライン』出演者に向けてワークショップ
30日 藻谷浩介さんと対談、無隣館試験
31日 無隣館試験。劇団の中堅と年代別ミーティング
2月1日 無隣館試験
2日 台湾に戻る 稽古再開
3日 通し稽古 深夜便で再び帰国
4日 ふたば未来学園演劇部、アトリエヘリコプターで公演、私はトークの司会。深夜まで関係者と飲む。
5日 早朝の便で台湾に戻る。稽古
6日 稽古
7日 稽古
8日 稽古 夜の便で帰国
9日 横浜美術館で仮設舞台仕込みのリハーサル

10日 朝の便で台湾に戻る。記者会見と公開リハーサル

11日 稽古 夜の便で帰国
12日 埼玉で音楽療法学会特別講演、劇団の若手と年代別ミーティング
13日 無隣館演出部試験、税務調査、『台北ノート』横浜美術館公演場当たり
14日 無隣館演出部試験、ワークショップ1件、夜『台北ノート』ゲネプロ
15日 無隣館演出部試験、東京大学で委細発掘プロジェクトの生徒対象にワークショップ。午後、赤坂で豊岡市主催のイベントでワークショップと講演会。『台北ノート』初日。

16日 科学技術振興財団面談、北海道新聞取材、『台北ノート』マチネ、ソアレ、そして打ち上げ。終電で帰る。
『台北ノート』横浜公演は、とりあえず大成功に終わる。

青年団の豊岡移転について

2017年9月02日

 またしても長くブログを休んでしまいました。夏休みも明け、これから再開します。
 今年2月に横浜で上演した『台北ノート』の台湾公演のために、再び台北に来ています。こちらも台風が近くを通過中で荒れ模様の天気です。

 さて、すでにご存じの方も多いかと思いますが、8月28日付の神戸新聞に以下のような記事が載りました。 

https://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201708/0010501065.shtml

 当該記事は、豊岡市内で受けた取材をもとにしており、概ね事実をお伝えしております。
 劇団内ではこれまでも、長く移転についての議論を続けてきており、いよいよそれが本格実施の段階に来ました。また、この件は、特に秘密にしていたわけではなく、関係者には折に触れ公言をしてきました。
前日の豊岡市内でのシンポジウムでも、通常の話題として青年団の移転が取り上げられました。具体的に情報提供するにあたっては、東京発の媒体ではなく、まず地元の地方紙からと考え、シンポジウム後の取材に応じました。

 それでも、様々にご心配いただいている点もあるかと存じますので、この欄を借りて、この機会に、少しまとめて進捗状況をお知らせしたいと思います。
 詳細は、明日以降に連載の形で記しますが、とりあえず概要は以下の通りです。

・劇団青年団は、2019年から2020年をめどに、劇団のいわゆる本社機能を豊岡市内に移すことを計画している。これは決定事項ではなく、あくまで計画段階であり、現在、稽古場などの適地を探している。

・劇団移転に先立って、現在の五反田にある倉庫機能の大半をすでに豊岡市日高地区の新設倉庫に移転した。

・移転の規模は決まっておらず、部分移転か全面移転か、またどのようなスケジュールで移転するかは今後検討する。大きなポイントは、一般の企業の移転と同様で、豊岡と東京のどちらに本社を置き、経営の比率を何対何にするかといった極めてテクニカルな事柄になる。
 いずれにしても、ほとんどの稽古は豊岡で行い豊岡から発信する。

・本社機能の移転が決定すれば、平田オリザは豊岡市に移住する。

・劇団員は豊岡在住と東京在住を選択し、東京在住者は、当該作品の稽古期間中のみ、新たにつくる宿泊施設で短期滞在して稽古を行う。
演出部も同様に移転を希望する者は豊岡に移住する。
 なお、豊岡市内には、演劇人が常勤・非常勤で働ける多くの雇用が存在する。

・本格的な移転が実施できれば、その後、2022年を目処に、豊岡市で国際演劇祭の開催を目指す。

・青年団は移転後も、こまばアゴラ劇場、吉祥寺シアターなどで、年に数回の東京公演を行う。

・こまばアゴラ劇場は、青年団の本格移転完了後数年を経て、平田が芸術総監督の座を退く。その後は、運営評議会を構成し、その組織が公募によって芸術監督を任命するといった持続可能な制度改革を行う。
 アトリエ春風舎も同様に、継続して運営を行う。
 支援会員制度も、当面、継続する。