豊岡移転について(3)

2017年9月07日

 利賀はすっかり秋景色です。今週末、利賀を訪れる皆さんは防寒具をお忘れなく。
 今日は、アジア演出家フェスティバル韓国チームの公演でした。公演前にワールドカップ韓国代表の出場が決まり一安心でした。

 連載を始める前に、こちらの映像を先に紹介すればよかったのですが、忘れていました。
 城崎国際アートセンターは、こんなところです。

 ちなみに市長と私の掛け合いのようになっている方は、お互いに、まったく原稿なしで、別々の場所で収録をして、あとで編集の方がつなぎ合わせてくれたものです。

 というわけで、さらに連載の続きです。

3.兵庫県

兵庫県は現在、但馬地区に、観光とアートを核にした専門職大学の設置を検討しています。

https://www.kobe-np.co.jp/news/kyouiku/201703/0010028846.shtml

市長も選挙後の就任会見で以下のように述べています。

http://www.city.toyooka.lg.jp/www/contents/1495435899550/index.html

また県知事も、これを公約の中に盛り込み、今年の選挙に当選しました。

大学の設置、申請、認可は、加計学園の問題を見るまでもなくセンシティブな事柄で、いまの時点で私が公に話せることは、新聞報道の枠を超えるものではありません。
ただ実際に、今年度、兵庫県、豊岡市とも調査費がついて、開設への検討が始まっています。もし大学が出来れば、青年団の移転が加速することは間違いありません。

 大学のことはさておき、兵庫県は私にとって、まったく縁がない県ではありません。拙著『演劇のことば』に詳しく書きましたが、平田家は祖父の代まで兵庫県赤穂市で薬問屋を営んでいましたので、私は兵庫クォーターです。余談ですが、豊岡市は大石内蔵助の妻大石りくの出身地でもあります。
 兵庫県は、SPACと並んで日本でただ二つの県立劇団を持っています。そのピッコロシアターの付属施設であるピッコロ演劇学校では、ここ十年ほど、毎年授業をしています。二十年以上に渡って関西のホームグラウンドとして上演を続けてきた伊丹アイホールも兵庫県伊丹市にあります。
 今年度からは宝塚市の市政アドバイザーにもなりましたし、兵庫教育大でも毎年、特別講義を行っています。神戸のダンスボックスさんは、大阪中之島のアトリエB1を共同運営するもっとも信頼の置けるパートナーです。こうしたこれまでの関係の蓄積は、青年団が豊岡に移転することによって、さらに緊密になることでしょう。
 大阪市、大阪府の文化政策、教育政策が壊滅状態にある現状では、兵庫県は、京都府と並んで、関西の文化の防波堤の役割を担わざるを得ません。青年団の移転が、豊岡市、但馬地区のみならず、兵庫県、あるいは関西圏の文化振興に多少でも寄与できればと考えています。

 あまり知られていませんが、兵庫県は、本州の両端の青森と山口を除けば、唯一、二つの海を持った県です。尼崎、伊丹、宝塚といった福知山線沿線の縦軸の連携と、新潟noism,
利賀のSCOT、鳥取の鳥の劇場といった日本海沿岸の横の連携の結節点として豊岡が機能すれば、ますます夢が広がります。

 この連載とは関係のない余談の余談ですが、先日、古武術家の甲野善紀先生にお目にかかった際に、以前から聞きたいと思っていた祖父の話を切り出そうと「あの、実は、うちの祖父が肥田春充先生と共著を出しているようなのですが・・・」と言った瞬間に、「え! それではもしかして、平田さんは、あの平田内蔵吉さんの孫なの?」と言われて、私の方が驚くという予想外の展開になりました。「いや、いや、それはすごい」と周りの方があっけにとられる雰囲気になってしまい、この話は後日、ゆっくりと伺うことになりました。

 さらに余談が続きます。今夜、あるいは先週、Eテレで大林宣彦監督のドキュメンターリーをご覧になった方も多いかと思います。番組の中で、軍医であったお父様のことが多く出てきました。私の祖父も軍医で、沖縄戦で亡くなりました。
 私の父と大林監督は、若い頃にともに映画を撮り、その縁で一組の姉妹と結婚し、そのおかげでいまの私がこの世に存在するわけですが(その経緯は別冊文藝に詳しく書かれています)、父と大林さんの友情の背景には、医者の家に生まれ、医者になることを望まれながら文学の道に進んでしまったという共通項もあったのかもしれないと、今日、あらためて思いました。
 利賀村では、明日、大林さんのお父様が最後に駐屯していたインドネシアの劇団が公演をします。
 この平和が、長く続きますように。

日記の続き

3月13日(月) 大船の武田薬品で講演会。戻って『南島俘虜記』稽古
14日 用事があって内閣府表敬。演劇人会議理事会。『南島俘虜記』稽古
15日 『南島俘虜記』稽古、TBS生収録。
16日 『南島俘虜記』稽古、夜ICUがらみの講演会
17日 大阪で朝日新聞取材、近畿病歴管理セミナー講演会、帰京して稽古。深夜、稽古場で桑原裕子さんの結婚式のためのビデオ収録。この日のために数週間「恋ダンス」を練習したのだった。
18日 飛行機で熊本へ。益城で復興支援の講演会。大阪へ、打ち合わせ二件。
19日 阪大に日曜出勤のあと京大で大学教育研究フォーラム。京都新聞取材。
20日 四国学院大学へ。学生の創作発表、学長懇談。アートマネジメント講座のシンポジウム。帰京。
21日 藝大教授会。再び大阪へ.尼崎で講演会。帰京。稽古。
22日 ベネッセで会議。地域創造理事会。『南島俘虜記』稽古
23日 大阪へ。取材一件。大阪大学主催のシンポジウム。久しぶりの方たちに多数会う。
24日 早朝帰京して終日稽古。
25日 小田原で講演会。他はずっと稽古。
26日 いわき市で『タイムライン』観劇。今年も素晴らしい出来でした。そのまま岡山へ。
27日 奈義町 夜岡山空港から羽田経由でバンコクへ。
28日 早朝バンコク着。『バンコクノート』オーディション
29日 この日も『バンコクノート』オーディション。深夜便で帰国。
30日 早朝、羽田について乗り継いで熊本へ。熊本高校演劇コンクールの審査。夜帰京。
31日 終日『南島俘虜記』稽古。

4月1日 ついに人生初の韓国日帰り。学会でロボット演劇について講演。(写真は金浦空港)

2日 『南島俘虜記』舞台稽古。Aチームゲネプロ。夜、桑原裕子さんの結婚式に出席。冒頭のスピーチだけして劇場に戻る。
3日 この日から阪大勤務。教材研究。Bチームゲネプロ、夜、無隣館三期も始動。最初の授業。
4日 午前中、藻谷さんと対談。午後、香川のRNCラジオ生放送。毎月第一週に出演します。Cチームゲネプロ。
5日 午前中、再び内閣府。『南島俘虜記』Aチーム初日。
6日 Bチーム初日
7日 Cチーム初日