『新・冒険王』吉祥寺公演開幕

2015年6月15日

 一昨日、無事、『新・冒険王』も東京公演初日を迎えました。
 昨日、一昨日ともに満員のお客様に来ていただきました。ありがとうございます。
まだまだ席はありますので、是非、おいでください。
 売り止めになっている回でも、少し見にくい席になりますが毎日当日券も出ます。

http://www.seinendan.org/play/2015/03/4357

 『冒険王』は追加公演も決まりました。

 『新・冒険王』は、『冒険王』の続編ではありませんので、どちらからご覧いただいても支障のない内容です。

以下、『新・冒険王』の当日パンフレットに書いた文章から、抜粋です。

いろいろなところで書いてきたことだが、この舞台の主題の一つは以下にある。

日本はまだ、アジア唯一の先進国の地位から滑り落ちたことを受け入れられない。
 韓国はまだ、先進国の仲間入りをしたことに慣れていない。
 
日本人にとって、この現実に向き合うことは辛く寂しいことである。
 私はここで再び、『冒険王』の劇中に引用した金子光晴の詩を再掲したいと思う。

 遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもつてきたんだ。
君達のせゐぢゃない。僕のせゐでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。

 寂しさが銃をかつがせ、寂しさの釣出しにあつて、旗のなびく方へ、
母や妻をすててまで出発したのだ。
 飾り職人も、洗濯屋も、手代たちも、学生も、
 風にそよぐ民くさになつて。

劇中の引用はここまでだが、この詩の最後は、以下のようになっている。

 僕、僕がいま、ほんたうに寂しがってゐる寂しさは、
この零落の方向とは反対に、
 ひとりふみとどまった、寂しさの根元をがつきとつきとめようとして、世界といっしょに歩いてゐるたつた一人の意欲も僕のまはりに感じられない、そのことだ。そのことだけなのだ。
(いずれも『寂しさの歌』 金子光晴 より抜粋)

好戦的な政権や世評に対して、その寂しさの根元をがっきと突きとめるような仕事がしたいと思う。そしていま、その作業を、韓国の友人たちとともにできていることを、何よりも誇りに思う。

日記の続き

6月10日(水) アゴラで8時から打ち合わせ一件。9時から藤田貴大さんと福島のミュージカルについての打ち合わせ。10時、車にいろいろ積み込んで東京藝大へ。11時、梅田宏明さんとダンス公演の打ち合わせ。学食で食事。14時40分から18時まで授業。吉祥寺に移動して『新・冒険王』の舞台稽古。
帰宅して23時から、自宅地下のスタジオ走り穂で無隣館の創作プログラムの通し稽古を見る。

6月11日(木) この日も朝8時から、無隣館の通し稽古。この五日間で七チームの通し稽古を見なければならないのだけど、時間がとれないので早朝と深夜に順番に見せてもらうことになっている。
 正午から吉祥寺シアターで『新・冒険王』の舞台稽古の続き。
 夜、『冒険王』のゲネプロ。
 帰宅した23時半から、通し稽古一本。

6月12日(金)  朝8時半から、さらに通し稽古一本。これで四本目。10時半から、同じスタジオ走り穂で、林真理子さんと対談。再来週くらいに週刊朝日に載るんだと思います。
 12時過ぎに家を出て、吉祥寺シアターで『新・冒険王』ゲネプロ。ちょっともたついた感じ。
 そしていよいよ、夜は『冒険王』東京公演開幕。予想以上に、観客が笑っていて、みんな驚く。
近くの居酒屋で初日乾杯。23時半帰宅。