『新・冒険王』初日(それと『幕が上がる』打ち上げの話)

2015年6月06日

 『冒険王』、無事初日があきました。いよいよ明日は、新作『新・冒険王』の初日です。今日も、午前中の最後の稽古で、大きく台詞を変えました。試行錯誤が続いています。
日韓で大きな演劇賞をいただいた『その河をこえて、五月』から十三年。最先端の日韓共同作業をお届けします。

http://www.seinendan.org/play/2015/03/4357

『新・冒険王』装置160504

日記の続き

5月20日(水) 7時45分アートセンターを出発。出石の弘道小学校へ。ここは、四つの建物が渡り廊下でつながる、とてつもなく変わった作りの校舎になっている。

弘道小学校150522

弘道小学校1505222

 5年生2クラス、6年生1クラス、総計約80名のモデル授業。どうにか完了。
 13時半にアートセンターに戻って豊岡市の文化振興課と打ち合わせ。
 この一ヶ月弱の城崎滞在の間に、市内5校でのモデル授業、職員対象ワークショップ、講演会、シンポジウム、会議約10回。
14時半から夜まで稽古。

5月21日(木) 朝の飛行機で伊丹へ。大阪大学に出勤。今日は教授会があったらしく、いろいろな方に会う。午後、授業1コマ。授業後、見学の高校生と、付き添いの先生方と懇談。空港に戻って、但馬コウノトリ空港へ。城崎から阪大への日帰り出勤は初めてだけど、意外と楽なことが分かる。夜8時から23時まで稽古。

5月22日(金) 朝9時から夕方17時過ぎまで稽古。セットはいったん解体。私は自転車で町中へ。19時半から、国交省の成長戦略会議で一緒だった大社さんと懇談。さらに、明日のリーディング公演のために城崎に到着した木野花さんも合流。そこに次々と旅館の若旦那衆が集まってきて盛り上がる。24時解散。

5月23日(土)  朝から北但大震災90周年記念事業。午前と午後、一回ずつ、昨年の劇作家大会で短編戯曲賞を受賞した西史夏さんの『Bridge』を木野花さんがリーディング。午後は、そのあとにシンポジウム。夜は市長や西さん、ソンさんも出席して会食。紅ズワイガニをいただく。ズワイガニはもう食べられないけど、紅ズワイガニは5月中は獲れるとのこと。

5月24日(日) 朝、車で空港へ。伊丹経由で帰京。劇団の本隊は、この日、舞台の本仕込み。
 帰宅して面接一件。六本木に出てブルーシアターへ。久しぶりにキャスト・スタッフに会う。開演前から、みんな泣いている。

本番前150524

 18時から『幕が上がる』最終ステージ。みんな、うまくなっていて驚く。
 史上最も長いカーテンコール。

カーテンコール2150624

終演後、クイックジャパンのインタビュー。そして近所の焼き肉屋さんで打ち上げ。

三笠150524

 キャストのみんなと、たくさん話すことができました。
 百田さんは、至極まっとうに、大衆性か芸術性かという、すべての若いアーティストがぶつかる壁に、正面からぶつかっていたのでした。だいたい、彼女の話を要約すると、
「はじめ、台本を読んだときは、まったく何を伝えたいんだか分からなかった。ただ、それは、稽古をしていって、本広監督からいろいろ教えてもらったり、周りの人からもアドバイスももらって、だいたい分かってきた。テーマが一つではなくて、観客の解釈もいろいろになることも理解した。でも、私がこんなに分かんないのに、お客さんは一回観ただけで、分かるんだろうか、とそれが一番心配だった」
と、ここまでの話は、前回会ったときにもだいたい聞いていて、そのときは、「僕とか本広監督は信じなくていいけど、お客さんを信じて芝居をした方がいいよ」と伝えたのでした。
 そして、この日は、
「オリザさんの言うことも分かったんだけど、でも、テレビの連ドラなんて、みんな、答えが一つの分かりやすいものじゃないですか? 私たちが、そんな分かりにくいものをやっていいのか、大丈夫なのかが、今度は不安になりました」
 と言っていました。そこで私が、
「でも、本広さんも僕も、そういう分かりやすい路線にしないで、あえて答えがいくつもある映画や舞台を創ったから、こんなに業界の人にも評価してもらったんじゃない?」
 と伝えると、
「はい、それもたくさんの人に言われて、それでなんだか、納得しました。いまはすっきりしています」
というわけで、もうすでに彼女の中では、ある種の回答が、すでにできているようでした。

百田さんと150524

玉井さんとは、次の『東京ノート』ヨーロッパツアーに出演してもらう約束をしました。予定はありませんが。
 それを聞いていた高城さんが、「え、私は、私は」と言ってきたので、隣にいたPARCOのプロデューサーさんと「新感線に売り込もう」という話になりました。