イタリアからフランスに入るには必ずといってよいほど、
マルセイユを通過することになる。
今回で2度目の訪問。
朝9時前にジェノバを出発して結局マルセイユに到着したのは夕方4時過ぎ。
駅に青年団の辻ちゃんとアッキー(秋山君)が迎えに来てくれた。
やっぱり、嬉しいものだ。
夜はマルセイユの駅の近くにあるたばこ工場跡をそのまま
芸術活動の拠点としてギャラリーや劇場としているエリアに出かけ、
前回ルベストで観た作品「ヌード・デ・ネージュ」を再び観る。
今回は邦題が付いていた「雪の結び目」。
---今日のひとくちイタリア語---
ancora日本から急な仕事が舞い込んだ。
今日はホテルで一日図面描き。
問題はe-mail の送受信だ。
ヨーロッパ、特にイタリアはこの手のインフラはまだまだ
整っていない。
フランスでも、ホテルで送受信をするのはかなり困難を伴う。
回線が切り替えであったり、パルスであったり。あるいは、
外線は一々フロントで回線を開けてもらわないと通話できなかったりと
なかなか大変なのだ。
前回マルセイユを訪れた際に探しあてた、インターネットポイントに行き、
送られてきている仕事の概要をチェックし、ホテルに帰ってパソコンで図面を描く。
しかし、送信ができない。
結局明日、こちらの劇団の事務所にお邪魔して送信させてもらうことにする。
日本では一瞬でできるこの送受信の作業にこちらでは2〜3時間もかかってしまう。
---今日のひとくちイタリア語---
subito朝、マルセイユの劇団の事務所に寄って図面を送信させてもらう。
昼過ぎに駅からバスでエクス・アン・プロバンスへ向かう。
約30分。高速道路を走る路線バス。10分に一本という本数が出ている。
電車より遙かに便利なようだ。
青年団の制作の松尾君と一緒にエクスの大学の近くのバス停で、
迎えの人が来るのを待つ。
しかし、30分ほどしても現れない。
どうも、バス停が違うらしい。
松尾君がまた、電話して現在位置を伝え直す。
今度は大丈夫。
10分ほどで、アニエスさんが現れる。
エクスはいい街だ。
南仏のセザンヌが描いた風景があまりにも有名だ。
そのセントビクトワール山を初めて観た。
白い巨大な岩山だ。
この辺りの土地はあのセントビクトワール山の白い岩で出来ている。
乾いた空気と白い岩、強い日差しと風の中に立つ緑。
南仏の他の街、アルルやモンペリエともまたちょっと違う風景。
このゲニウス・ロキがセザンヌを惹き付けたのだろうか。
とても遙かな感じがするこの街は、、。
劇場もなかなか良かった。
日本のように、単体の建築や技術のみを最優先するのではなく、空間や周囲との
環境や関係を考えられて配置された大学。そして劇場もまたそのように建つ。
なんだかこのエクス・アン・プロバンスという自然が街が、
「それ」を受け入れ、許しているという感じだろうか。
このような街の成立の仕方を私は現代の日本では観たことがない。
---今日のひとくちイタリア語---
ambiente
劇場下見の日程上、2日間の空きが入った。
次がパリの劇場の下見なので、一路北を目指し
今日はマルセイユからオランジュへ移動。
列車で一時間半ほど。
オランジュには現在のその街の規模からはちょっと
想像できないほどの立派なローマ劇場が残っている。
そしてそのローマ劇場はヨーロッパでは唯一、スケーネ(背面の壁)が
ほぼ完全な状態で残っていることで有名。
今回の研修の一つの大きな目的は劇場の歴史的変遷を調べることでもある。
そして、このオランジュのローマ劇場はちょっとはずせない重要な劇場なのだ。
街もこの遺跡が一大観光名所らしく、ちょっと高めのチケット代には
オーディオガイド(しかも日本語あり)まで付いている。
しかしこれがなかなか良かった。
その解説によれば、ギリシャ悲劇が当初は上演されていたが、
徐々に喜劇、風刺的なパントマイム(これには女優も出演したらしい)が
盛んになる。
そして、最も上演の盛んな時代には実に一年の3分の1は稼働していたという。
そして帝国衰退期と共に、キリスト教が国教となると、この手の施設は退廃的である
という名目から、利用されなくなっていく。
ギリシャの民主制において開化した演劇や劇場という芸術文化はローマ時代には
民衆の関心を政治や帝国支配から引き離す為の目的に変わる。
余暇や芸能の為にローマの植民都市(ローマが占領し支配下においた都市。
このオランジュもガリアの地にあるローマ植民都市の一つ)
にもまったく同じ規模やスタイルの円形闘技場や円形劇場、浴場施設等が建設される。
目的は異なれど、ローマ人は建築においては、ギリシャ人が生み出した形態を
模倣、発展させたといえる。
この解説によれば、舞台スケーネの上空には巨大な木造屋根が架かり、
舞台面を完全に被っていたらしい。
また、ローマコロッセオでも、模型で復元されていたが、客席全面を被う仮設の巨大な布と
それを支える構造があったらしい。
そう考えるとこの当時すでに現代のような、テント皮膜構造の
大型アリーナが存在したということだ。
そして、この見事なスケーネはギリシャの時代にはなく、
ローマが生み出したもので、実際この背後の彫り込みのある壁面があることにより、
すばらしい音響効果がもたらされる、、、。
なんだか、今の日本のようだ。
形態から入り、独自の技術(ローマの場合はアーチとローマ時代のコンクリートだろうか)で、
すばらしい建築を創り出す。
しかし、そこにはソフトが無い。その建築空間を満たす文化が無いのだ。
箱のみが一人歩きする。
実際、ローマ時代の重要な悲劇作品はギリシャのそれに比べとても少ないらしい。
帝国主義が建設した巨大な空虚の箱。
カタチがその芸術の重要な要素の一つである建築には、
身体や内部を満たす人間の本来の機能を外れ、
権力の名の下に一人歩きする危険が常にその裏側に潜んでいる。
このローマ劇場に佇んでいると、建築のすばらしさと同時に
なんだかそんな虚しさを感じるのだ。
---今日のひとくちイタリア語---
cielo
列車の都合で、オランジュからアビニョンに戻りTGVで
パリに向かう。
アビニョンは4時間ほどの滞在であったが、とても小さな街なので、
実際に歩きまわり街の規模を知るには充分な時間だ。
早速アビニョン教皇庁に向かい、内部を見学。
想像していたよりも質素というかガランとしていたのでびっくり。
あまりその当時のものや壁面の装飾等が残されていない。
こちらも昨日のオランジュに続き、オーディオガイド代がチケットに
含まれている。しかし、このオーディオガイドは長くて単調。ちょっと退屈になる。
ただ、宗教的施設といえば教会や修道院という建築形態ばかり見てきたので
教皇が住み、日常の執務を行い、さらにその内部に私設のチャペルや教会をもった
このような複合建築はとても興味深いものであった。
ビルディングタイプという概念が出てくるのが19世紀になってからの事だから、
概念より先に形態があり、必要に応じてどんどん付け足し、改装されていったということが
迷路のようになっている内部を歩き回るとよく解る。
それから、歌で有名なアビニョン橋を見る。おきまりの観光コース。
外敵からの侵入を恐れてか、この橋はかなり高い位置にある。
城壁の一部がそのまま、河の上に延長してきたような感じ。
それだけに、普通の橋とちがった近づきがたい印象をもたらす。
アビニョン橋と教皇庁。しかし南仏のこんな田舎になんでまた教皇庁を造ったのだろうか?
河が大きく蛇行して、ちょっと小高い丘がり、確かにアルルなどと同様に、
都市が栄える自然的条件は備わっていそうだ。
しかし、丘から見渡す景色はなぜだか「はかない」感じがする。
一時の避難場所、あるいは半分幽閉されたようなそんな感じ。
ここに「みやこ」はやはりない。
煮え切らない教皇のそんな気持ちを反映してか、このアビニョン教皇庁の建物も
なんだか掴みにくいカタチをしている。
夕方パリに着き、マルセイユで泊まったのと同じ系列のアパートホテル
(ミニキッチンが付いている)に荷物をおき、
ポンピドーセンターに向かい、こないだ見られなかったシュールレアリスム展を観る。
こちらもなんだか煮え切らない感じ。宣言からはやはり芸術は始まらない。
シュールレアリストの一人としてミロの作品が多数展示されていた。
その絵のみが唯一の救い。
---今日のひとくちイタリア語---
papa
今年の秋に行う、青年団のヨーロッパ公演のパリの劇場、
パリ日本文化会館を下見した。
エッフェル塔の近くにあり、とてもモダンな建物。
しかし、なんだかこれにも虚しさを感じる。
午前中にこれとは対極にあるアラブ世界研究所、
ジャン・ヌーベルの建築を観てきたせいかも知れない。
こんなご時世なのに、あちらの建物には多くの人がやって来る。
一階にあるアラブ関連の本を扱ったブックショップ。
そして自由に入れる屋上やレストラン。
そしてミュージアム。
さすがに入り口のセキュリティチェックは2年前に来たときよりも厳しくなっていたが、、。
遙かに日本文化会館よりも自由な設計になっている。
自由な設計とは、訪れる人が威圧されないということだ。
しかし、これは建築計画においてとても重要なことだ。
フリーマケットのような自由さをとまでは言わない、
ただ、管理する側、セキュリティの問題から考えられた建築には、
人を自由な雰囲気で受け入れるという発想が欠如しているのではないか。
確かに事前にトラブルを防ぎ、我々はここまで管理してますよという
建前で責任を回避することはできるだろう。
しかし、そのような高度管理型社会は
本来自己責任の内に行動しているはずの個人の自由と尊厳を奪う。
フランスがあの革命以降高らかに歌い上げた自由。
そのパリにあって、やはりこの21世紀の「自由」とはなにかを考える。
それは、少なくともこの建物が見せるような高度管理型社会の先にはないと思いたい。
建物から出て真下から見上げたエッフェル塔の向こうにはパリの青空が広がっている。
---今日のひとくちイタリア語---
liberta
昨日は夕方パリの劇場を下見して、TGVでそのまま、
ローザンヌ、エイグルとスイスへ移動してきた。
そして、今回の下見の最後の目的地は、このスイス
レマン湖の先にある小さな街、エイグルに最近出来た古い劇場?である。
名前はムーラン・ヌフ、新しい風車という意味。
で、なぜ新しくできた古い劇場かというと、、。
もと小麦の脱穀工場だった、ムーラン・ヌフという
会社の廃屋をそのまま利用して劇場としているのだ。
建物は1940〜60年代の造り。工業が世界を変えるという
希望に満ちていた時代の鉄筋コンクリートの工場建築の雰囲気がある。
最近、フランスを筆頭にこのような手法で建物を再生させるという
事が行なわれているが、これもそんな感じだ。
最低限の改修で、建物の原形を残しながら、内部の機能を変えるというもの。
先日観たマルセイユ企画の芝居が行われたのも駅の近くにあった巨大な
たばこ工場の廃屋だったし、なんだか、「国破れて芸術あり、城、春にして
ワイワイガヤガヤ、、」という感じだろうか。
これが、また昨日観たパリのあの建物とは正反対の建物だ。
どっちかっていうと不法占拠といったらよいか、、。
この劇場の若いディレクターが自分の信念で創り上げた劇場といったらよいか、、。
ともかく、私はとても気に入った。
内部の空間は人間味に溢れている。
そうディレクターの人を集めたい、なにかやりたいという気持ちが伝わってくる
素敵な空間がそこにある。
多少ボロくたって、機能が不十分だって、人はなにかをやりたければ始めるものだ。
そして、その空間がいつしか「劇場」になる。
そんな空間の原形がここにある。
人口が何万にも満たない小さなスイスの田舎町、エイグル。
しかし、ここにきっとこれから世界をあっと言わせる奴らが集まってくる。
そんな予感のする劇場だ、ここは。
---今日のひとくちイタリア語---
ノープロブレム!!(このエイグルのディレクター イブの一言)