ナポリから地下鉄で30〜40分。
終点のポッツオリに行って来た。
半島と入り江が入り組んだ海岸線
地形がそのまま自然な良港を形成している。
海が近く、背後には火口跡がある山が控える。
風光明媚。ナポリよりなんだか光が強い。
今日の春のような陽気とこの光で、とても遠くに来たような気がする。
なんだか、鎌倉とか熱海のような感じの所だ。
この豊かな風土のため、このポッツオリと近くの
クーマは紀元前から、ギリシャの植民地として開け、
ローマ時代には神殿や闘技場が造られた。
そして、なにより火山のマグマの影響で、
地下から蒸気が吹き上げ、硫黄の臭いの立ちこめる、SOLFATARAというエリアがあり、
ここは古代から中世にかけ、温泉として利用されたという。
ほんと熱海、箱根と鎌倉をたしたようなところなのだ。
今日の目的はその地獄谷?とローマ時代の円形闘技場の見学だ。
実は行く前はこの地獄谷の方に期待して円形闘技場跡の方はあまり
意識していなかったのだが、実際観てびっくり。
地獄谷は箱根のあの本物の地獄谷の10分の1くらいの大きさしかなく、
なんだか、カメンライダーのショッカー軍団(古くてすいません)が潜んでいそうなところだが、
特にこれといって観る物無し。
一方そこから歩いて20〜30分ほど海岸の方へ下った所にある
古代ローマの円形闘技場跡には感動。
今回の滞在でも、ベローナのアリーナ、ローマのコロッセオ、ポンペイの遺跡の闘技場と
何カ所かこの円形闘技場の建築は観てきたのだが、ともかくここの闘技場は保存状態がいい。
ちょっとここで、この円形闘技場について。
この円形闘技場というビルディングタイプ(用途により同一の建築的形態をもつ建物の種類)
を今回の滞在ですでに何個か観てきたのだが、
まず驚くのは円形劇場でもそう感じたが、ある種統一された「規格」があり
それがどの地域の闘技場の建築にも共通に現れているということだ。
例えば、同じ球場でも大阪ドームと東京ドームはまったく採用している工法が異なるのだが、
このローマの円形闘技場の場合、まるで同じ会社の同じ設計・施工チームが計画したのではないかと
思われるほど、その建物の形態とそれから導かれる工法、機能が一致しているということなのだ。
この建設技術のある種完成された統一性の中に、
なんだかあの強大なローマ帝国の支配形式の一つの秘密があるように感じる。
それほどに柱の間隔、アーチの規模、闘技エリアの楕円形という形態等に共通のモノがある。
このポッツオリの闘技場はその地下の部分の保存状態が良く、
また実際にそこに入ることが出来る。
そして、この地下がとてもいい。
アーチの錯綜そしてその頂部に穿たれた開口部からの光。
アーチが闘技場の大地を支え、そしてその連続したアーチが楕円のカーブを描いていく。
そして穿たれた穴から差し込む光がそのアーチを流れる。
そしてそこに無造作に置かれた、闘技場の外部を飾っていた柱頭と溝を持った柱達。
この空間も時間が止まっている。
---今日のひとくちイタリア語---
Anfi teatoro
「アンフィテアトロ・円形闘技場」ただ単なるテアトロ(劇場)とは区別される。
*青年団の秋山君のマルセイユ日記の原案を拝見して、私もちょっと「一言」を付け加えて見ました。
昨日はポッツオリ、今日はパエストムに行こうと張り切って出かけるが、
まず駅でつまずく。
新しい時刻表を買って、電車の時刻まで調べたのに、
駅に着いてみると乗ろうとしていた電車がどうもない。
結局また駅でうろうろとしたあげく、どうも、日曜日、祭日には
その列車は発車しないということが判明。
ナポリからパエストムは電車で1時間半ほどのところなのだが、
日に4便ほどしかなく、午前中の2便を逃すと、
遺跡が開いている時間には間に合わない。
その午前中の2便というのが、これまた朝8時15分発か昼の12時20分発のみという
変な時間しかないのだ。
今日はパエストム行きはとりあえず諦める。
天気がいいので、どこかに行こうかどうしようか迷いつつも結局
家の近くのまだ観ていない教会などに行ってみようと戻ってくる。
しかし、今日は日曜日、まだいってないマイナーな施設はほとんど、
日曜の午後は休みなのだ。
結局どこにも入れず街をぶらついていたら、須藤さんが
子供のいたずらの白いパウダースプレーを思いっきり掛けられてしまった。
日曜の昼過ぎは街に子供や老人など近所の住人が溢れている、
その大勢いる人混みの中で、見事悪ガキ達に狙われてしまったらしい。
どうやら、カルニバーレが近いということで、この手のいたずらを良く見かける。
大抵、若い女性を狙ったものが多いようだ。
掛けられた瞬間は物凄い状態になるのだが、どうもうまくできたいたずらスプレーで
ふき取るとシミも残らないようだ。
知り合いの日本人の女性も緑色のスプレーでやられたと言っていたし、
被害は多いようだ、ただ、生卵を投げつけるという悪質なものもあるらしいので、
それよりはましだと彼女は自分を慰めていたが、、。
日本でこんなことがあったら、セクハラだとか、悪質ないたずらだということで
すぐ社会問題になりそうなものだが、ナポリはそんな小さなことは問題にならないほど
やはり街が混沌としている。
闇ではないが、大きな膿となって問題化する前にこの街の喧噪が吸収してしまうようだ。
こういう私もこれぞと思って買ったジノ・パオリ(イタリアの北島三郎?のような人)
のCDを買ったら、その彼の有名な曲をサックスで演奏しているというカラオケCDで、
家に帰って聞いてがっくり。
かなりのユーロを損してしまった。
ああ、今日は付いていない。
家にあった小豆の豆をまいて、一応節分をやってみた。
鬼は外!、福は内!
窓の外にまいた豆がかなり下の石畳の道路にいい音を立てて消えていった。
---今日のひとくちイタリア語---
Che sforutuna!!
「ケ、スフォルトウーナ!!・なんて 運がわるいんだ!!」
先日家に来た、アントネッラ(日本語学科の学生)と
夕方待ち合わせて、彼の実家に向かう。
ナポリの中心街からバスで30分ほどの郊外にあるマンションだ。
始めて、ナポリの家庭を訪問。
そして始めてイタリアマンマの手作りナポリ料理を堪能する。
友達の家の両親と兄弟がみなで訪問者を歓待してくれる。
ちょっと日本では考えられない光景だ。
弟のマルコはまだ高校生だが、我々と一緒に会話に参加し
兄貴の友達を自分の友達のように迎えてくれる。
暖かい家庭。おいしい家庭料理。
家族の絆を大切にするイタリア人の人生の楽しみ方。
それがなにより、料理の味に現れている。
---今日のひとくちイタリア語---
Molt Buono!!
「モルト、ボーノ!!・美味い!!」
(Buono には「美味しい」という意味と「良い」という意味がある)
普段見かけない、3年生、4年生を最近見かけるようになった。
どうやら、エザミ(試験、日本の試験とはちょっと違うが)が近いようだ。
この試験について4年生に聞いたところによると、生徒は作品を持ってきて、
それを教授に見せながら、プレゼンテーションをして、
それに対し教授はなにも語らず、ただ、点を付けるということらしい。
(また実際に見たら、報告します。)
だから、積極的な学生は毎日自分が取り組んでいる課題を持って来ては、
教授と面談してどうするばよいかというアドバイスを受けるのだ。
だから、試験前になっていきなりやって来る学生は教授がそれらまじめな学生が
持ってきた作品をどう評価しているか、
あるいは、どの程度のレベルでどの程度のことまで仕上げて試験に臨めばいいのかを
探りにくるというわけだ。
また、自信のある学生は普段現れないのに直前になってかなりの部分まで完成した
自分の課題を持ってきて、始めて教授に見せて強い印象を与えるというやり方を
する人もいる。
まあ、ともかく、試験が近い、アカデミアもなんだかぴりぴりしてきた。
また、今日は9月の卒業公演で行う演目について教授(トニーノ)さんから
3,4年生に対して説明があった。
ピカソが書いた(描いたではない)戯曲作品をやるとのこと。
題は「 IL DESIDERIO PRESO PER LA CODA」
これは楽しみ。
---今日のひとくちイタリア語---
Buon studiare!!
「ボン ストウディアーレ!!・勉強がんばって!!」
青年団の美術スタッフのスズケン(鈴木 健介君)がナポリにやってきた。
昨日の深夜にローマに着き、今日夕方までローマを観光して
夜7時過ぎにナポリに到着するという。
私は彼の連絡を受けて、7時頃にナポリ中央駅に向かった。
ところが、今日は夕方から天気が崩れて夕立のような大粒の雨が降っている。
そのせいで、どうやら列車のダイヤも大幅に乱れている。
しょうがないので駅で30分ほど待っていたら、スズケンから連絡が入った。
「至さん、今ナポリなんですけど、、。」
「えっ?どこにいるの?」
「いま、ナポリの駅の切符売り場のところから電話しているんですけど、、。」
「解った。すぐ行く、、。」
おかしいな、ヨーロッパの鉄道の主要駅はターミナルになっているので、
基本的に切符売り場に行く前にホームから降りてきたところで
出会うはずなのだが、、。
そう思いつつ、ちょと離れた切符売り場の方へ回ってみる。
しかし、いくら探せど、スズケンは見つからない。
ホームから切符売り場まで何回見回っただろうか。
しばらくしてまた電話がなる。
「スズケン、駅間違えてない?」
「えっ?」
「そこなんて名前の駅?」
「ナポリ駅ですけど、、、」
「ナポリのなんていう駅?」
「、、、。」
ローマやフィレンツエもそうだが、主要都市にはその都市名を付けた名の駅が何駅かある。
そしてナポリもターミナル駅であるナポリ・チェントラーレ(中央駅)
に始まり、ナポリ〜〜駅という駅が何個かあるのだ。
スズケンはどうやらそのどこかの駅で降りてしまったようだ。
いままで、何人かナポリに遊びに来た友達を駅まで迎えに行ったが、
駅を間違えたのはスズケンが初めてのケース。
結局それから30〜40分程待っただろうか、
スズケンが中央駅の地下鉄のホームの方からひょろりと現れた。
一応一件落着。
---今日のひとくちイタリア語---
piano piano
「ピアーノ ピアーノ・ゆっくりだんだんと、、焦らずに」
午前中はスズケンを連れて、工房に出かける。
ほんと、突貫屋の連中全員にこのトニーノさんの工房は見せたいくらいだ。
ここにはスタジオがあり、絵描き場(背景画を描く場)があり、
仮組ができる規模のタタキ場があり、、、。
この工房内のスタジオでトニーノさんが引いた図面を元に
木工の棟梁がそれを実際に造りだしていく。
アカデミアの学生や卒業生が背景画を絵描きにくる。
ここは仕事場であり芸術活動の場であり教育の場でもあるのだ。
トニーノさんの描いたプランの舞台製作がこの工房の主な仕事であり、
それにさらにこの工房が得意としている「描き」と、
丁寧な造りの「木工製作」に対し外からの注文が来る。
だから、ここは単なる大道具会社ではない。
我々突貫屋がやろうとしていることに非常に近い。
我々は基本的に皆プランナーを目指している。
しかし、それだけではなく大道具製作も自分たちで出来うる範囲は自分たちで行っている。
この工房のように、、。
しかし、それは既存の東京のシステムとは少々異なる。
東京では唯一、俳優と劇作家、演出家、制作の集団だけではなく、スタッフワーク全般も
その集団の芸術活動の重要な一つと位置づけ継続的な活動を続ける
青年団の舞台づくりがその可能性を開示してくれる。
モノを造るということにおける、本来求められる様々な要素の不可分な結びつき。
便利さと利潤追求の為に細分化され高度分業化が進んでしまった日本が置き忘れてきた、
モノづくりの一つの基本的かつ重要な要素が、イタリアにはまだ生きている。
そしてトニーノさんの工房にはその精神が生きている。
これが欠けていたのか!と言った奥村君に続きスズケンもこの工房を見て興奮していた。
イタリアのモノづくりの精神に学ぶべき点は多い。
そして今日の夜は観劇へ。
アカデミアの近くにあるテアトロ・ベリニーニで「アンティゴネー」を観る。
相変わらず開演はおそく夜9時から。
20分まえに劇場に着くが他の観客はまだだれも来てない。
いつも開演のだいたい10分まえくらいからお客が入り始める。
そして開演は大体10分くらい押すようだ。
それがイタリア式。
まず、作品について。
今回の作品はギリシャ悲劇の一つ「アンティゴネー」を底本として、
現代風に描き直したものであるといえる。
今回もまたインターネットで原作の「アンティゴネー」についてちょっと調べた。
それによると、これはギリシャ悲劇の重要な作品の一つで、
法に背き死んだ兄を埋葬した王女アンティゴネーが、
王子と婚約していたにも関わらず、法に逆らったということで、
王が彼女に出した、死か兄を葬っていないとこにするかという選択において結局自ら死を選び
殺されてしまうという物語だ。
これも近親相姦や親殺し等ギリシャ悲劇が扱う法律や掟と人間の存在としての義や真とが
引き起こす悲劇を描いたものの一つだと言える。
現代風にアレンジしていたという点について。
あいかわらず、まだイタリア語はよくわからないのでなんとも言えないが、
ギリシャ悲劇だからきっと言葉も昔の語り風で難しいだろうと考えていたのだが、
どうも全般に日常会話を使っていて、おもったより聞き取れたのでびっくりした。
登場人物も現代的な服装をしていて、描き方も
道化というか話を回す役割の人間を置き、それにこれからおこる、
あるいはギリシャ時代に起こった物語を語らせるという
イレコ構造で見せるという手法を取っていた。
それにより、これから起こる事が一つの枠組みの中に入れられ、舞台を観る観客はある種抽象化して
舞台を眺めるという視点を与えられる。
だから登場人物達は今の言葉を語り現代的な服装をしつつ役割として王や王女や侍従を
演じるのだ。人間の地位とか関係は描かれた世界そのままで、
たまたま、人間がその地位に生まれたという風にあるいは、
まるでテロを起こしたイスラムという社会が一方的に時代錯誤とは言えないのと同様に、
このギリシャ悲劇が示す人間の関係の本質は社会システムや時代を越えて
現代性をもちえるのだということを意識した演出となっている。
演出の手法的にも世界共通というか今風というか、暗転や転換が少なく、基本的に通しで見せるという
方法で、効果音やサウンドも最小限に押さえ、そぎ落とされた見やすい演出となっていた。
ただ、今回も美術には不満が残った。
劇場はナポリでも3番に入るくらいのすばらしい劇場
(19世紀の劇場で例にもれず、ボーカシェーナのあるオペラ用ホール)で
音の響きが良く、今回は演劇であり特に生声以外の生音はなかったのだが、この規模の劇場で俳優の
小さな声までちゃんと聞こえるというその点でやはり驚いた。
どうも平らな天井の大きな面が音響反射板になっているようなのだ。
俳優の声が面的に聞こえてくる。日本の劇場ではちょっと感じたことがない響きかたであった。
イタリアのこの時代の劇場は本当に音の響きを良く考えて設計されている。
美術に戻ろう。
今回の美術は演出がねらった「現代性」を持ってはいるが、ただ物語の内容をそのまま説明的に
カタチで表現しようとしてしまったのではないか。その点で浅薄に感じたのだ。
上手、下手にギリシャ風でかつアールデコにも通じる金色の柱が並び、
背景に大きなガラスに見せた(アクリル板)の
壁面があり、その中央が冒頭のイメージシーンで出てきた兄の死を暗示するように
大きく割れている(このガラスの割れ方がなんだか漫画のよう)という舞台。
この割れ目は最後まであり中央の出はけ口となる。
だから、最後までこの割れた「背景」が付きまとう。
確かに途中この「背景」がじゃまなシーンでは紗幕でこれを隠していた、しかし
「背景」が芝居の中で演じられる出来事や感情を代弁するための絵になっているのだ。
まるで、照明の赤は情熱や血を表現し青は死や夜を表すという風に、、。
演出がモダンであったのにくらべ、美術があまりにも表象的、
説明的になってしまったというべきか、、。
しかし作品全体としては、良く出来ていたと感じる。
一人子供を登場させていたのだが、彼に一言もしゃべらせず、しかし、イメージとして
大人と子供ということの人間存在の境界を主題としていたこの芝居において
作品世界を広げることにそのことは成功していたと思う。
そしてそれは、アンティゴネーが完全な大人ではなく微妙な年頃の少女であるという事に関係する。
その年頃の少女が感じる正義と自分の信念とそして生と死ということ、
それを日常的な会話を使うことにより(現代口語といってよい)
うまく表現していたのではないかと思う。
ラストシーンの方で、アンティゴネーが殺される前に看守に名前を聞き、
彼の家族の事を聞き、最後の手紙を書き取ってくれるように頼むシーンは
記憶に残った。
自分の真を貫いて結局は死を選んだ事について、少女がその手紙の中で最初は
恐怖を語るのだが、書き取ったものを看守に読み返してもらう時にその箇所を
取り除いてくれるよう頼むのだ。
死ぬことが怖い?いや怖くない。うん、いまは怖くない、、。と自分に言い聞かせるように。
ギリシャ悲劇のもつ現代性はこの恐怖や愛や死といった
人間が本質的に持つこれらの感情や事柄をある状況において個としてどう捉え感じるかという
ことを描いているということにあるのではないか。
この芝居はその細やかな感情の変化をうまく描いていたのではないかと思う。
---今日のひとくちイタリア語---
Paura
「パウラ・恐れ、恐怖」
今日は天気がいい。
ほんとナポリは暖かい。
2月の頭なのに、東京の3月のような陽気だ。
滞在しているスズケンと我々でナポリ一日散歩に出かける。
コースはまずスパッカナポリ(ナポリの下町をつっきている通り)を
西に進み、坂を上り、さらに軽い山登りのような綴れ折りの階段坂を登ると
モンテサントの城跡にたどり着く。
そこからベスピオとナポリ湾を一望し、
さらに城の上まで登ると、今度は西の方イスキアの島までが霞んで見える。
何回かこの場所に来ているが、今の季節冬なのに日本とは違い霞んだ空気の
中にぼんやりと街が浮かび上がる。
それから、新興住宅地(といっても20世紀初頭の開発)ボメロの地域を西にまっすぐ
降りていき、今度は南斜面に広がる、素敵な家の間を通るこれまた古い階段坂を
正面に海をみながら降りていく。
スズケンが先日芝居の下見の為に行った、長崎の感じに似ているという。
海と坂の街、そしてその斜面に住宅が点在する。
ここまででだいたい1時間〜1時間30分。
ここから今度はキアイアの海岸沿いの道を歩く。
左手に半島が広がり、右手には海に突き出た卵城。
そしてその遠くにベスピオ火山。
この海岸からの眺めがとても美しい。
今日は卵城に始めて入ってみた。
別にお金は取られないのだが、なんだろう、
城の要塞の中には入れない。
ただ、城の展望台というか、見晴らしのよいエリアまで、
エレベータで登り、帰りはおそらく昔は馬が直接駆け上がれるように考えられた
幅広いスロープの石畳を降りていく。
モンテサントの要塞とこの卵城でも感じたのだが、
なんだかカフカの「城」を連想する。
これらの城は日本のお城のようなイメージとちょっと違う。
日本の城は縄張りという建造するときからの領域意識がつよく、
そのエリア内が城であり、それは本丸である大名の御殿と天守閣から
なる、とてもそぎ落とされた要素しかその中にはない。
しかし、こちらの城はなんだか、一つの街のようなのだ。
イタリアの古い都市はどこもそうだが、街自体が城壁を持っている。
だからさらにその都市の城壁の中にさらにいれこ状に城壁をもつ城も
特にそこが王の居城というだけではなく、街の機能がその中にも入り込んでいるのだ。
これはナポリ特有のものなのかもしれない。
街の建物もどれも、入り口の大きく頑強な扉でエリアが閉ざされるようになっている。
しかし、その中にお店があったり、クラブがあったりするのだ。
囲いを持つがその囲いの中も一つの小宇宙になっているという感じ。
だから、この卵城の中を歩いて感じたのも、なんだか要塞と門をもった一つの小さな街という
感覚なのだ。
カフェがあり、なにかの同人会があり、王の居住エリアであったところはおそらく
博物館となり、、。
城壁という領域はおそらく、とても小さなエリアから始まったのだろう、
まず、自分の家を守り、それから小さな集団のエリアを城壁で囲み、
そして都市を城壁で囲み、、。
最小限の街として機能する城。
カフカの「城」もまさにこのような都市を描いている。
どこまでが城なのか、そして自分はどこにいるのか。
そんなナポリの街を歩き回る。
城を出て、海岸沿いを王宮前広場に向かう。
ここがナポリの中心だ。
イタリア3大歌劇場の一つサンカルロ劇場を横目でみて、
ガレリアからトレド通りをスパッカナポリの方へ戻る。
ざっと3時間半の散歩。
これでナポリの地形、主要エリアは押さえられる。
午後からは、オリエンターレ(東洋大学)の学生とちょっと会って、
食事をして、それから、スズケンと二人で家の近くにある考古学博物館へ。
ここには、ポンペイから出土した遺品やら壁画、小さな色タイルによる
とても美しいモザイク画などとギリシャ時代のオリジナルの彫刻をローマ時代に
模刻した巨大な彫刻が何点か展示されている。
この彫刻は何度見ても美しいと思う。
力強い肉体の表現、ギリシャの純粋な写実性がこの彫刻の魅力だ。
ここがだいたい1時間〜1時間半。
今日はここで終わり。
家の近くでスズケンがワインを買って。
須藤さんのパスタで乾杯。
---今日のひとくちイタリア語---
Camminare
「カミナーレ・歩く」