最近天気が良く、昼間はかなり温かい。
今日はまた、モンテサントの山(丘)の上の方に行ってみる。
この陽気のせいか、丘の上からは今日はベスピオは霞んでみえない。
海からの水蒸気を含んだ、ちょっと湿り気のある空気に辺りは包まれている。
この霞んだナポリの景色もとても捨てがたい。
日本のあの湿度とはしかし違う、大地は乾燥しているのに
漂う空気がなにやらボーとしているのだ。
その中に微かに浮かぶ黄土色を基本としたナポリの街。
この街を見ていると、なぜか温かい気持ちになるから不思議だ。
初めてナポリの街に来たときはなんてゴチャゴチャしているのかと
嫌になるのだが、しばらくここに住み、人と接し、
この景色をみていると、このゴチャゴチャがナポリの
暖かさの秘密なのかとも思えてくる。
帰りはまた山の南側斜面の方まで回り、地図で発見した昔からの
農道だったと思われる階段を海に向かって降りていく。
とても素敵な階段の道である。
綴れ折れになりながら時たま視界が開けて青の海が目に飛び込んでくる。
海とそこに張り出した丘。その傾斜した大地に展開する人間の営み。
建物の機能的な新しさ、設備の豊富さ、道の整備状況等々、確かに
これらは今の日本にはかなわない。
しかし日本がバブルの時以来忘れてしまった自然と街と生活と、
日々の豊かな営みを大切にする南イアリアの原風景がここにあるのだ。
レモンチェッルロとは、
アルコール度数30パーセントのレモン味の
いわゆるリキュール酒(日本で言えば梅酒みたいなもの?)
なのだが、昨日我が家で開催したフェスタ(夕食会)で
これを入れたプラスティックコップが溶けだしたのだ。
発砲スチロールを溶かすオレンジの皮の話は聞いたことがあったが、
まさかレモン味のお酒がコップを溶かすというのには、
そこに居合わせたみなが驚いた。
驚いたというか、溶けだしたコップのその溶液を少なからず飲んでしまったわけで、、。
ああ、体に悪影響がないとよいのだが、、。
昨日はまた不思議な日本人の集まりとなった。
このナポリで調律師の仕事を2年ほど行っている、
ノブさんとその後輩のジュンペイさん。
それに先日もご一緒したイズミさんとヨシエちゃんと
我々合計6人での静かな晩餐だ。
ノブさんが手羽を買ってきてくれて、これがなんと一羽(手羽の部分ですが)
日本円で100円くらいとのこと。しかもとてもおいしい。
イズミさんとヨシエちゃんがお手製ティラミス。
須藤さんが豚の生姜焼きとおにぎり。
みんなで持ち寄って、豪勢な晩餐(新年会)となりました。
来週には、、舞台監督や演出部として舞台で活躍し私も世話になっている
八重樫さんがナポリにやって来るとのこと。
一月もいろいろと楽しく忙しく過ぎていきそうだ。
先週は教室改装中で授業がなかったアカデミア(トニーノさんの講座だけ)だが、
やっと今日から冬休み明けの授業再開となった。
久々の授業ということで今日は気合いが入っている。
まず、一年生。
冬休み前からの課題の今週、来週が提出らしく、
教授二人が一人一人の生徒の作品をゆっくり見て回る。
この一年生の第二課題も、基本的には模写だ。
しかし、好きな画家の絵を拡大模写した前回と違うのは、
遠近法の手法を用いて書かれた室内の絵を模写するということである。
ここで要求されるのは、
1.遠近法の考え方を知ること。
2.描かれた絵の時代背景(何世紀の絵なのか)を意識して、室内装飾を考える。
そしてさらに、書かれた一枚の遠近法の絵から今度は平面図と立面図を描くという
課題が続く。
すなわち、遠近法は科学的な方法でありその絵を分析すれば、正確な奥行きと
高さ、平面と立面が解るのである。
一枚の「絵」と「図面」の関係,これを一枚の室内装飾の絵を模写することから、
手を使って考えさせるということがこの課題の目的であるといえる。
平面と立面と立体と絵を自由に行き交うことが、舞台美術家のみならず、
建築家にも要求される技術、技能であるわけで、それを一年の第二課題で
理論というよりは先に実践的に体験させるというのは、課題の組立としては
おもしろいといえる。
さらに、描かれた絵の時代背景と装飾のあり方を、2枚の違った時代の
絵を選んで描かせることで、考えさせるという事もこの課題の重要な目的の一つである。
こちらは久しぶりの教授との対談。
休み前から同じ課題(ピランデルロの舞台)である。
今回も図面表現と劇場の機能の話を実際に生徒が描いてきたボッツエット(パースのスケッチ)に
先生が鉛筆でスミを入れながら解説。
今日は主に、大黒幕の位置、文字幕、袖幕の位置をどう考えるか。
客席からの見切れラインによるパネル等の平面における位置どり。
それにやはりボーカシェーナをどう意識するか(どう区切るか)といったところが主な
解説点である。
生徒には、ボッツエットと劇場の箱図に落とされた平面と立面(断面)
それに、パネルや置き道具のスケールの入った、スケッチや図面が要求される。
さらに、登場人物の衣装スケッチ(これがみなうまい)も。
一人一人の作品をみなで見ながら、先生が問題点や可能性を指摘して授業は進んでいく。
あいかわらず、3年と4年は今日もほっぽらかし。
まあ、どこでも4年生は卒業設計で基本的には一ヶ月になんどか先生と会って、検討を
重ねるということなのだろうが、、。
しかし、生徒の色々な作品を見るのはやはり楽しいものだ。
いろいろな国でいろいろな人がいろいろな舞台の美術を考えている。
彼らの自由な発想をみていると、とても刺激になるのだ。
今日はやっと3年生が先生と面談。
3年の課題はシェークスピア作品の美術図面&衣装スケッチの製作。
やはり2年生に比べると、図面表現は上だ。
そして、描いてきている枚数も多い。
しかし持ってきた課題を見ているとある共通の問題を抱えていることがわかる。
それは、舞台の構造、舞台美術のメディアとしての特殊性をあまり意識していないこと
といったらよいだろうか。
早い話がみなあまり実際の舞台作品を見ていないということだ。
イタリアとは違い日本には小劇場の文化があり、学生でも見ようと思えば
かなりの数の実際の舞台作品にふれることができる。
しかし、イタリアにはこの日本のような演劇の状況はない。
だから、学生が実際に現場に関わる機会は今の日本の方が多いのではないだろうか。
確かにナポリにも多くの劇場があり、シーズンになれば毎日どこかの劇場で
必ずなにか上演されているのだが、これらの作品はどちらかというとターゲットとする
年齢層は上だし、やはり学生には少々値が張るということがある。
確かに天井桟敷のような格安の席もあるので、一概にはそう言い切れないが、、。
オペラはやはりいまだ、金持ちが見に行くものという意識があるようだ。
それはともかく、舞台の構造、作りを知らなすぎる。そして彼らは舞台を空間として
ではなく、どちらかというと映像的(グラフィック)に捉えているようなのだ。
最近、突貫屋で行っている「対談」というシリーズの舞台美術のインタビューでも
映像と舞台の違いを取り上げたことがあるが、
この映像的であるということと舞台のもつ空間性の違いは重要な事柄だといえる。
一見、映画の美術と舞台美術は似たもののように考えられる。
確かにある限られた額縁の中、フレームの中をどのように位置取り装飾するか、
簡単に言ってしまえば、これが両者における美術家の仕事であるわけだが、
ここで考えたいのは映像と舞台というメディアの違いである。
すなわち、映像は2次元の平面に投影あるいは、表示されたメディアであるのに対し、
舞台は額縁といえど、その中は3次元であり、別に額縁にしばられなくても表現可能な
メディアであるということだ。
しかし、舞台芸術に触れる機会の減少、舞台に比べ格段と安い映画、ビデオの流通。
そしてインターネットに代表されるモニターという視覚メディアを利用した
グラフィック表現の普及と流行。そしてCADという、これまたモニターを媒介とした
図面製作の形式が実際の舞台のあり方さえ変えようとしているのも確かだ。
建築の表現においても、CGを使用し、それに適した質感や形態的表現に
実際に建てられる建築も影響されているように、舞台においても映像やモニターという
メディア形式が主導するグラフィック的表現が実際の舞台を変えてしまうのかもしれない。
実際、舞台の中に映像を取り入れたり、照明やプロジェクター等で空間的な演出をすることが、
日本の小劇場でも最近盛んにおこなわれている。
それと同じようなことが、イタリアの若い世代でも起こっているのかもしれない。
しかし、やはり私はもう一度舞台の原点に立ち戻って「空間」ということを考えたい。
我々の視覚と思考は確かにモニターというメディア形式を受け入れ、適応し
発展させていく。しかし、我々はやはりこの「空間」に生きている。
言葉と思考と視覚のみでは把握しきれない、思考と感覚の全体性を持ってしてしか
把握しきれないからこそ、私はこの芸術がおもしろいと思うのだ。
時代により人は様々なメディアを発明、利用してきた。
しかし、そこには必ず、その時代時代の人間のあり方が表出されている。
コンピュータは我々をどこまで導くのか。
ルネサンスの芸術運動が数学や、遠近法や物理学等の科学という最新の武器を使って、
しかしもう一度人間の可能性を見つめ直したように、この新しいメディアを受け入れつつ、
しかし、もう一度我々と我々を取り巻くこの「空間」を考えたい。
ナバホインディアン(でしたっけ?)の詩にこんなのがあったと思う。
「美が上にある、美が下にある、気が付くと我々は美に囲まれている。」
空間は常にこのようにあったのだから。
昨日の夜9時から、ナポリ・ヌオーボ城近く19世紀の劇場
テアトロ・メルカダンテでロミオ&ジュリエットを観劇。
こちらでの現題は「Romeo e Giulietta」
ご存じのようにシェークスピアの作品で舞台はベローナ(イタリアのベネト地方の都市)。
だからだろうか、イタリア人が演じているとなんだかとてもしっくりくる。
きっとロミオもジュリエットもこんなだったんだろうなと思えてしまうから不思議だ。
あのシェークスピアの日本語に翻訳するととても周りくどいセリフも
おしゃべり好きのイタリア人に言わせると、芝居だからとか説明的すぎるとか
感じずに違和感なく見ていられる。
逆にシェークスピアはイタリア人を意識してあの周りくどいセリフを書いたんじゃ
ないだろうかと思えるくらいだ。
芝居(演出&俳優)自体は結構よかったのではないか。
場面転換なども殆ど暗転なくスピーディにつながり、
セリフ自体のテンポも小気味よい。
目新しい演出ではないが、シンプルで集中力のある演出という気がした。
しかし、今回も美術が良くない。どうもイタリアでは美術と照明に
満足することが少ないようだ。
ということで、またここで美術について、、。
劇場は19世紀中頃の建築で、基本的にはオペラを上演することを前提としているが,
音の響き、客席からの視点(この種のタイプの劇場としての)等、とてもすばらしい。
それに比べ舞台美術がおもいっきり負けている。
とても中途半端。
演出がシンプルかつモダンなので、それに合わせて
美術もかなりシンプルかつ抽象化しているのだがその「度合い」がよく分からない。
劇場は装飾だらけの19世紀の建築、それを無視するかのような、
プラスティックの緑を張った上下の袖見切りパネル。
そして舞台中央にオブジェなのか岩なのかよくわからない
発泡スチロールから切り出した2つの巨大な岩?オブジェという構成。
で、場面はこの巨大な岩2つが閉じたり開いたり、
横に回ってみたりという動きだけで、街角や屋敷、墓場等のシーンを作る。
だから、あの有名なバルコニーのシーンでもバルコニーはなく、
この巨大な「ヌリカベ」のような岩の上にジュリエット、
それを見上げ岩にへばりつくロミオという構図でシーンが作られる。
しかし、これはやはりいくら抽象的に見てくれよと、演出が思っても
実際にはこの様にしか見えず、なんだかよくわからないシーンになっている。
しかし、岩だか「なんだかよくわからないオブジェ」というのはおそらく美術家の
一つの狙いでもあるはずだ。
しかし、問題はこの岩の造りにある。
これにより「よくわからない」度合いが違う意味で作用してしまっているのだ。
転換して断面が見えるのだが、汚い施工のあとしか見えない。
美術家がイメージとして提出した抽象的な岩が、実物になったとたん
発泡の軽さと無理なヨゴシと粗い施工で「なんだかよくわからないモノ」になってしまった
という感じなのだ。
プランと実際のモノとの微妙な距離。トニーノさんの工房ではこれがトニーノさんの監督の元
一貫して繋がっている。だから、同じ発泡から造られた岩でも、
実際にそれを実物大で製作したときの質感のあり方をデザイン的にうまくコントロールしているのだ。
だから、「リアル」ではないが、「演劇的」には成功しているといえる。
しかしそれが今回のこのロミオ&ジュリエットのセットのようになってしまうと、
それは単なる「まがい物」にしか見えない。
本物に勝る素材はない、しかし、デザインが、手が、
ある種演劇的な存在としての可能性を実現させうるということも確かなのだ。
舞台のイメージの豊かさは、本物(リアル)だけではない。
手を大事にするイタリアのトニーノさんの工房の仕事はそれを感じさせてくれる。
昨日は雨、そしてかなりの冷え込みだった。
今日は晴れていて日差しの強い日中は暖かだったが
夕方から急に冷えこんだ。
昼夜の温度差が激しい。
工房に行く途中、雪を被ったベスピオの山が見える。
ほんとに富士山に似ている。
工房のスタジオでは、トニーノさんが次のプランを引き始め、
工場ではスペインの劇場を回る小さな舞台の為のセットと
サンカルロ劇場でのオペラで使用する発泡のオブジェの加工作業が続いている。
トニーノさんが今引いている舞台の一つのシーンは、ナポリに
実在する建物のファサードからイメージを取ってきているという。
ベスピオ周辺にあるナポリの17世紀〜18世紀のビッラ(郊外の別荘・高級住宅)
を集めた古い本を見させて頂いた。原題『VILLE VESUVIANE』
風光明媚な地形、温暖な気候、豊かな大地。
このナポリ、ベスピオの周辺の地は、ギリシア以来の植民都市として栄え、
ご存じポンペイやエルコラーノの遺跡が見せるように、
王侯貴族や金持ちの別荘地としても古くから発展してきた街である。
この本では、現在ではもう、街の中心に取り込まれたり、市街化してしまっているのだが、
そのような緑豊かな田園風景に距離を置いて点在したビッラを集めている。
そしてパラパラとページをめくるうちにナポリのこのビッラの共通した特徴が見えてくる。
それは、現在のゴミゴミとしたナポリを歩いていても時たま感じる、
あの静けさと凛とした空気、それに現在のナポリの比較的新しい建物でも
今だに保持している空間構成に通じるなにかである。
それは、誰か一人の有名な建築家が達成した、カタチではなく、
このナポリの長い歴史の中で継承されてきた空間的特質だ。
それは例えば、バロックの装飾で飾られた巨大な木造の扉を持った門や、
その門の中に見える、小さな中庭と半外部になって建物の中庭側のファサードを飾る階段だ。
私が今住んでいる、Via Atriにあるこの建物もパラッツオといっていい。
ちょっとここで、この建物について、、。
通りの名はVia Atri。ナポリの下町スパッカナポリの中心地区にある細い石畳の坂道だ。
建物への入り口にはとても巨大な門扉がある。
幅が4.0m程、高さがこれまた7.0m程、さらにその上に鉄のアーチの装飾がはめ込まれている。
さらに外側にはこの扉を囲むように石を積み上げた巨大なバロック風装飾のアーチが飾っている。
入り口入ってすぐの所には管理人さんの部屋がある。(おそらく昔は門番の部屋だったと思われる。)
そして、幅がこれまた4.0m程もある巨大な階段(これも半屋外階段)を上って、
こちらで言う2階(日本での3階)に今住んでいる家(部屋)がある。
そして、部屋がこれまた大きい。一つの部屋が20畳くらいの大きさがある。
しかし、それが3室の続き部屋になっているので、居住用というよりむかしは
業務用であったと思われる。私はその一部屋を借りて住んでいるということになる。
別に小さなキッチンとトイレ&風呂、住んでいるエリアの反対側には30畳程のヨガ道場がある。
ここもおそらく昔はお屋敷の素敵な大広間だったと思われる。
高さも日本の住宅の2倍以上で天井までの高さがなんと、5.0mほどもある。
しかし、さすがに住むにはちょっと高すぎるので4.0m程の高さの所に
なぜが巨大な白い布が張られているが、、。
部屋に一つある窓も日本風に言えば床からの「掃き出し窓」だが、しかし高さがなんと4.0mもある!!
まるで我々がイメージするヨーロッパの宮殿の芝居のセットのようだ。
巨大な2枚の木製の扉を開くとその先にさらにガラスの入った窓がある。
そして、石で出来たちょっとしたバルコニー。そして門の扉と同様に外側を素敵な3角破風が飾る。
どう、考えても居住の為の部屋というより、なにかの執務室だったようなところだ。
しかし古い家を借りて住んでいる知り合いの家のある部屋も、
やはりこれくらいの天井の高さがあったので、おそらく当時の金持ちや貴族は、
このようなところに住んでいたのだろうか、、。
今じゃ、天井が高すぎる、冬暖房効率が悪い、寒いくらいしか思わないが、、。
暖房も無く、洗濯機もなく、ガスはプロパン直置きだし、設備の面ではとても便利とはいえないが、
ともかくこのような部屋に住んでいるとナポリのお屋敷(パラッツオ)やビッラは、
その創建当初とてつもなく立派なものであったのでは?と想像するのだ。
写真で見たベスピオ近くのあのビッラとこのナポリの我が家でも共通に感じるのは、
やはり、ポンペイの住居のアトリウムや中庭、そして道に面した立派な入り口に通じる
空間的質なのである。
この土地の風土にあった形態としてポンペイの時代から続く住居形式が存在し、
それにルネサンス以来発展したイタリアの建築の様式を持ち込む。
それがナポリのこのパラッツオやビッラの住居の形態を、
そして街並みを造りだしているということだ。
ベスピオのふもと、ナポリの風土が生み出したこのすばらしい無名の建築達には、
古くから伝わってきたある共通した建築の「カタチ=精神」が生きているのだ。