杉山至のイタリア日記

02/01/05(土)

---CD&BOOKSのお店発見!---

諏訪夫妻は昼前の列車でローマに去っていった。
我々はまたナポリの街をぶらつく。
先日サンタルチアの近くで発見したCD & 本の店に出かけてみる。
ここはナポリに似合わずモダンなお店だ。
日本で言えばHMVと渋谷のブックファーストを足したようなお店といったらよいか。
規模はもっと小さいが、、。

基本的に店内にはCDと本を置いているのだが、
地階と地上階とその上のこちらでいう1階という構成で
試聴ラックはもとより本とCD以外にカフェやホームシアター、
ちょっとした文房具屋それに所々にインフォメーションセンター、
チケットカウンターがあったりという、
いま流行り(世界的に)の他業種複合(メディアミックス)のショップになっているのだ。
もちろんナポリの他のお店のようにシエスタ(昼休み)もない。
土、日も営業している。(日曜、祭日はシエスタ有り)
どう考えてもこれはナポリ資本ではないのでは?というお店だが、
お客はいつもいっぱいだ。
ナポリの他のお店も遅かれ早かれこの現代的な波に飲み込まれていくのだろう。
まあ、こちらとしては便利でよいのだが、、。
しかし、なんだかあの神田の古本屋街のような本屋しかない
ナポリも捨てがたい気はするのだが。

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02/01/06(日)

---泥棒の街・イタリアに未来はあるのか---

そういえば、昨日須藤さんがバイクに乗った
若者にバックをヒッタくられそうになった。
結果的には大丈夫だったのだが、、。

事情はこうである。
2人で道を歩いていると、バイク(2台、一台は2人乗り)
に乗った輩が、向こうの車線をなんだかこっちを意識しながら通り過ぎていった。
なんとなくやな感じだったのだが、
そいつらが道の先でまるで爆撃機が旋回して攻撃してくるように、
今度はこちら側の車線を前方から向かってくる。
一人は明らかに鞄のみを見ている。
しかし、ちょっと手が届きそうになかったのか、
片手だけフラフラさせながら、畜生という顔をして通り過ぎていった。
私が奴らを視線で追うと、またUターンして
対向車線をベロを出したアホ面で向こうに進んでいく。
ふざけた奴らだ。

ふさげたというのは、奴ら(彼らと呼べるような若者ではない)
としては別に金銭に困っている様子ではないということだ。
服装も今時の若者だし、スクーターも結構あたらしい。
そして明らかに地元の若者風である。
奴らとしては、明らかに遊び感覚なのが解る。
「あのバックはヒッタくれるかな〜」

まるで賭けをしているような感じさえある。
いっとき日本でもオヤジ狩りというのが社会現象として
騒がれたことがあるが、あんな感じなのだろう。
ガイジンという「弱者」は、金持ちであろうが、
必死で金を貯めて勉強にきている物であろうが別に奴らには関係ない。
奴らにとっては人格ある個人ではなく、単なるゲームのいちキャラに過ぎないのだ。

しかし、こんな奴らにバックをヒッタくられたガイジンとしては、
しかし悲しい気持ちになる。
なんと、民度が低いことか、、。
そう憂えざるを得ない。
彼らみたいな若者がイタリアのイメージを傷つけ、
結果的には自らのイタリアの将来の可能性を狭めていることに気づいていないのだ。
そして我々ガイジンとしてはただ、他人やイタリアはもう信じられず、
自衛するしかないということになる。
そしてナポリをイタリアをこの面でだんだん嫌いになるのだ。

久しくニューヨークは危険な街で、
地下鉄なんて乗れるしろものではないという時代があったが、
その汚名返上の為に、市と警察と市民が一体になって変革しよういう意識をもって取り組んだ結果、
ニューヨークは今はかなり安全な街になったという。

郵便局や国鉄等の窓口で、再三私はイタリアの国営企業の後進性を感じてきたが、
この街に徘徊する無軌道な若者達やナポリやローマでのガイジンに対する危険性も
本来は国や都市やその住人が意識を持って取り組むべき問題ではないだろうか。

ヨーロッパは2002年の1月1日よりユーロという統一紙幣になったが、イタリアが
他のヨーロッパ諸国と安全面や社会的利便性において同等になるには、
この点が大きなネックになるのではないだろうか。
過去の遺産を食いつぶしているだけでは、未来はやってこない。

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02/01/07(月)

---チケットゲットの難---

今日から学校が始まる。
しかし、アカデミアはなぜか早くも休校。
朝出かけてみると、教室が改装中。
張り紙で授業は来週からとある。
どうなっているのやら、、。
学校をぶらぶらしていると、トニーノさんに会う。
工房も今は一休みらしく今週の木曜に来てくれとのこと。
なんとものんびりした2002年の1月が始まった。

午後の語学学校はそれでもちゃんと授業。
昨日書いた泥棒の話に途中でなったのだが、
クラスのドイツのおばさんはモナコに住んでいるのだが、
その近くのニースはもっと危ないと話していた。
車がいままでに3度盗難にあったという。
道も怖くて、夜などは、携帯電話をしたまま、道を歩かないと危ないらしい。
イタリアだけではない。いずこも同じ。

街にはナポリの日常が戻って来た。
学生街も若者で溢れている。

夕方、サンカルロ劇場に寄って、今月末にここで行われる、
オペラ「トウーランドット」のチケットを入手。
やはり、ポルトローナ(平戸間部分の席)はちょっと高価で我々には手が出ない。
それでもボックス席のかなりよい席を今回は確保。
しかし、切符を買うのも一苦労だ。

結局3回通ったことになるか。
最初にサンカルロ近くのチケットオフィスで2001-2002年の、
ナポリの劇場タイムスケジュールの本を買って、
正月2日にチケットを買いに行くも、7日以降に来てくれと言われる。
で7日の今日行ってみれば、なんでもサンカルロ劇場の窓口で聞いてみてくれとたらい回し。
しかし、ここはイタリア。この程度で諦めていてはだめだ。
サンカルロの劇場に出向き、チケット売場を探し、
シエスタの長い休憩時間が終わるのを待って、なんとかゲットという始末。
資本主義の国とは思えない、この不便さ。

先日の郵便局もそうだったが、
まるでロシア民謡のあの一週間の歌のようだ。
月曜日に手紙を買って、
火曜日に切手は買えず、
水曜日に違う郵便局で断られ、
木曜日に発見した違う郵便局でなんとか切手をゲット、
金曜日にやっとポストに入れる。
そしていつ日本に着くのやら、、。

コンビニエントという言葉はきっとイタリアにはないのではないか。
最近やっと解ってきた一つの事実だ。

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02/01/08(火)

---スパッカナポリを直上!!---

新年が始まったのに、アカデミアの授業が休みなので、
また街を徘徊することに、、。

今日は我々が住んでいるナポリの下町から一本まっすぐ延びる
通常スパッカナポリ(ナポリを割るという意味)
の延びる丘の先までこの道を行ってみることにする。

丘とは先日いったモンテサントの要塞のこと。
しかしこの丘の直下はろくな道がない。
スパッカナポリのこの道は、
この丘をぐるりと取り巻く大きな道(ウンベルト通り)までで終わりであることが、
辿り着いて判明。

なぜ、ろくな道がないかというのは、おそらく
昔からこの丘は要塞であったため、進入が容易くないように
道が造られたという背景があるのだろう。

今日この要塞のすぐ下にあるモンテサント修道院の美術館で買った
19世紀のナポリの街の本をみると、おもしろいことに、
この山の上の方に広がるボメロという山の手地区は、そのころはすべて畑なのだ。

先日もこの丘から海の方に下ったとき感じた、
街のあの不可思議な接続の仕方はやはりこの歴史的な発展形態にあったのだ。
そう考えると、要塞であったこの丘の地区と下町のエリアが断絶しているのもうなずける。

スパッカナポリのこの道の終わりから曲がりくねった階段を登っていく。
不気味なのは、結構広い階段なのだがだれも通らないということだ。
まあ、周囲の家も別に怪しくはないし見晴らしもよいので昼間であれば安全だとはおもうのだが、、。
20分〜25分くらいの階段登山だろうか。
無事丘の見晴台に到着。

今日ももう一つの目的であった修道院の美術館を見学してまた、喧噪のナポリに戻る。

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02/01/09(水)

---やっと近過去形の授業---

今日も午後の語学学校のみ。
やっと月曜から近過去形?(パッサートプロッシモ)の授業に入った。
須藤さんは、先日知り合った中国語を話すイタリア人から.
ナポリにあるオリエンターレ(東洋大学)で
日本語を勉強しているイタリア人を紹介してもらい、
定期的に会うことになった。
中国に在住の時もやはり同じようにして語学を修得したという。

今日も授業後ナポリの街をふらつく。
先日いった本屋&CD屋に出かけて、また本を買ってしまった。

のんびりとした一月が過ぎていく。

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02/01/10(木)

---東洋大学の図書館---

今日も語学学校のみ。
今日は夕方私もオリエンターレ(東洋大学)に行ってみる。
アカデミアもそうだが、ナポリの大学は基本的に開館時間であれば
誰でも入れるようだ。
今日はこの東洋大学の図書館に入る。
日本語と日本の文化、歴史及び文学の本がかなり充実している。

先日、吉本ばなながこのオリエンターレに来て講演したらしい。
なんでも、ここの日本語学科の教授が吉本ばななの本を翻訳していて、
その発売とセールスプロモーションを兼ねて呼んだとのこと。
この図書館でも、現代の日本の作家の本が多数ある。
村上 春樹、村上 龍、山田 詠美、辻 仁成等々。

図書館内であれば、どの本でも自由に閲覧できるので、
私は古い岩波新書を読むことに、、。

家からも歩いて5分ほどの所にあるので、
日本語に飢えたときには、ここは結構使えそうだ。

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02/01/11(金)

---久しぶりの工房・あのサンカルロ劇場での美術だ!?---

久しぶりの工房だ。
トニーノさんは風邪をひいて喉を痛めているらしく声がでない。
しかし、ばりばり仕事をしている。
工房は新年でまだ人が少なめだ。
しかしまた新しい舞台のタタキが始まったようだ。

工房内には巨大な発泡スチロールの切り出しがあった。
なんのセットかと聞くと、2月にナポリのサンカルロ劇場(イタリア3大歌劇場の一つ)
で行われるオペラ「Tancredi」の為のセットだという。
どうやらトニーノさんは工房を貸しているのと、多少のタタキものを請け負っているようだ。

ちょっとややこしいのだが、今回のオペラの美術プランには美術家が2人いるらしい。
一人がイタリアでも有名な現代彫刻家件舞台美術も手掛けるという大先生で
もう一人はその先生がイメージした美術を舞台に落とすという役割の舞台美術家である。
しかし、こちらの舞台美術家もトニーノ氏より年輩の方で、かなりイタリアでも有名な方らしい。
トニーノさんがそう言っていた。
だから、彫刻家がマスタープランを作り、舞台美術家がそれを図面に落とす、
そしてトニーノさんの工房でたたくということである。
さらに、ここがおもしろいのだが、イタリアではやはり彫刻が重要らしく、
前回のモーツアルトの作品の時もそうだったが、彫刻的な作品を舞台で作るときには
彫刻家の先生が必ず参加するようだ。
今回もナポリのトニーノさんとは違う別の学校で彫刻を教えている先生が
その巨大な発泡スチロールによる切り出しを製作していた。

我々は発砲スチロールを使った切り出しをなにか偽物、副次的な物と考えがちだが、
彫刻の1000年以上の歴史を誇るイタリアでは発砲スチロールという素材は
逆に模型を作ったり、実験したりする為の便利な新素材として彫刻家や授業に
取り入れられているようだ。
この先生もまず、10分の1くらいの発砲模型(かなり精巧)なものを作りそれを元に
巨大な発砲の切り出しを行うということをやっていた。
そして切り出された発砲には表面にセンメント(チェメント)が塗られ、ヨゴシをかけて
完成ということになる。

それが、彫刻家の先生によって実際に切り出し加工が行われるということに、なんとも
手作業を尊重するイタリアの職人気質を感じるのだ。

そしてそれは舞台美術のタタキにも同様な事がいえる。
プランやスケッチや絵だけでなくできあがった実際の物にまで舞台美術家の実際の「手」が
関わっているということ。
イタリアの舞台には必ずその中心に才能を持った個人の「手」や「技」の集積が見えるのだ。

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