杉山至のイタリア日記

01/12/15(土)

ローマ以来の疲れがたまっている。
よく眠れる。
昼すぎに起き出して、またナポリの唯一の繁華街
ビア・トレドに向かう。

今日は工房に来ている、アカデミアの学生(5年生?)の
ジョバンニとフランチェスコの家でフェスタである。
その為に、ワインとドルチェ(お菓子)を買っていく。

イタリアは家庭でフェスタの時は、人が大勢集まる。
今日も彼らの家に向かう途中で2人のアカデミアの卒業生(デザイン系)を
ピックアップ、その為にまず彼らの家でカフェを頂きつつ、まずは雑談。
このデザインの彼は、日本のアニメがとても好きなようだ。

イタリアで感じるのはやはり、日本のアニメの影響の凄さだろうか。
北斗の拳、ハイジ、キャンディ・キャンディ等々。
みな子供の頃にこの手のアニメを見て育っている。
それが、知らず知らずのうちに彼らのデザインセンスに少なからず影響を与えている。
なんという影響力だろうか。
この彼はいまプレイステーションにはまっているという。
いずこも同じ、、。

結局夜10時過ぎくらいからようやくフェスタ開始。
ジョバンニとフランチェスコはシシリア出身で、
今日はシシリア料理を堪能。
やっぱり食のイタリアだ。
とても美味しい。

総勢、7名でのフェスタ。しかし夜2時頃に前回一緒に街をふらついた、
あのアカデミアの仲間達がやってくる。
多少人が入れ替わりしかし、わいわいと朝までフェスタは続きました。

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01/12/16(日)

久しぶりに一人なので、時間がルーズだ。
今日はメールを受け取りにナポリで知り合ったダイスケさんのお宅におじゃまする。
2年ほど、このナポリに住んで、主に家庭教師や通訳の仕事をして生計を立てていると
語っていた。

今日はとても寒い。
なんでもベネツイアには雪が降ったという。
サンマルコ広場が一面の銀世界になっていた映像をテレビで見たとダイスケさんが
言っていた。

部屋にもやっと古い電気ストーブが来た。
これでなんとかしのぐしかない。

先日伺った、2つのアカデミアの学生の部屋にも電気ストーブしかなかった。
ベネツイアの家やローマでは、セントラルヒーティングのシステムが当たり前なのに、
このナポリにはどうも、これはそう普及してないようだ。

これ以上寒くならないことを祈って。
今日は一人で素うどん(面は台湾製)を食する。
ご馳走さま。

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01/12/17(月)

一週間ぶりのアカデミア、そして一週間ぶりの語学学校。
なんだか、一ヶ月くらいナポリを留守にしていたような気分。
今日はとてつもなく寒い。
午後の語学学校の授業の時に、先生がナポリに雪が降ったといっていた。
なんでも彼女はナポリで雪をみたのは生まれてから2度目だと言っていたが、、。

ベネツイアでも昨日雪が降ったらしいし、ヨーロッパは大寒波なのだろうか。
家にはテレビがないので情報が入ってこないが。

語学学校の後にポストオフィッスに行ってきた。
20分以上ならんで切手を買う。
日本への封書がなんと1000リラ(約60円)!
ほんとに届くのだろうか?
なんだか心配になって来た。
国鉄やら郵便局やら国営の事務所はどうもやはりやる気がない。
係員もいやいや仕事をしている感じだ。
10年前の中国もそうだったが、このあたりにその国の先進性が見えてくる。
イタリアの人自体はとても親切なのに、なぜ国営の企業になるとこうも
やる気がないのか?
日本の昔の国鉄もストライキが多かったとは思うが、、。

今日はとても寒いので早く家に帰って、スパゲッティを食べて寝ることにする。

その前にそろそろナポリの街について書こうか、、。

-----------------ナポリの街・陰影をもった重層的な街-------------------------

ナポリの街を考える上でどうしても忘れてならないのは世界遺産にも指定されている、
その地下の墓地や遺跡、石切場のことだろうか。

ナポリ湾と呼ばれる大きくカーブした自然の地形が造りだした良港に恵まれ、
街は海辺近くまでせり出した緩やかな傾斜地やちょっとした小高い山に点在する。
そして大きなランドマークはなんといってもポンペイを滅ぼしたかの有名なベスピオ火山。
それに、海の向こうに不思議な陰影となって写るイスキアの島だろうか。
自然の地形のみを捉えると、ナポリはとても風光明媚だ。
同じように海と迫り出した山が見事な景観を造る、プサンや長崎といった街を思い出す。
しかし、この傾斜を伴った地形の上に人間が築いた歴史がこの街を複雑にしているのだ。

一見街の外観はあきらかに18世紀以来のバロックの表情をしている。
そして、建物の階層も高く、それは例えばミラノが現在残しているその18世紀19世紀の建物より
遙かに立派な街並みを形成しているのだ
ブルボン王朝によるナポリ公国の時代。
街並みを見れば明らかに、この時代がナポリが一番繁栄していた時代であることが解る。

しかし、ナポリの下町スカッパナポリやトリビュナーレ通りなどこの周辺のゴミゴミとした通りの
空間構成はどうもギリシャ、ローマ以来の時代を引きずっているのではないか。
このスパッカナポリと呼ばれる通りは、
非常に細い通りなのだが、ナポリの下町を2分する通りで、
城がある西の丘の方まで遙かに延びている。総延長にして2キロほどか。
これがこの地形の傾斜に対して直交し、海に対して平行に走る通りである。
さらにこれに直行する幾多の坂道によって、ナポリの下町は基本的には碁盤の目のようになっている。
大きな自然に対し、その地勢を生かしたグリッドを持ち込むローマ以来の都市の原型がここにも見える。

さらに、先日潜入したこのスカッパナポリの中心の地下一体のエリアは、
ギリシャ時代の街の中心であったという。
アゴラがあり、さらにローマ時代にはフォロや円形劇場があった。
そしてその地下にはいまだその時代からの空洞が存在する。
この地下の資源が支えてきたナポリという街。
重要なのはこの点だ。
地下の石切場で掘り出された石により、現在のナポリの街が築かれているということだ。
地下の岩盤を切り出し、空洞となった土台の上に新たに街を築く。
ナポリはだから陰と陽が反転したような街なのだ。

地下から切り出された黒っぽい石により、敷石から壁面、アーチまで、
このバロックのナポリの街は造られている。
この石が見せる表情がナポリのイメージにさらに影を与える。
あのベローナでみたローザ(バラ色の石)やフィレンツエで見た砂岩とも違う、
暗く、重い感じのこの石。
それが、幾多の国や王室が占領しては治世したこのナポリの歴史の影となりこれを支えている。

風光明媚な自然のその懐には巨大な黒い岩盤が眠っている。
そして、それを掘り起こし、歴史を暴きつつ、空洞化された岩盤の上にコツコツと街を築く。
この街はだから、いまだギリシャ以来の陰影を引きずっているのだ。

そして新たに、丹下健三が基本設計をしたという駅の北側の
再開発地区のポストモダンな高層ビル群がさらにこの
ナポリの街に違った影を落としている。

光と影が入り交じりナポリの街を形成する。
歴史とその地形に重層的な陰影をもった街。
この街はどこに向かおうとしているのか、、。

しかし、今日も街は人と騒音で溢れている。
そしらぬ顔でヘルメットもつけず2人乗りのバイクで走りすぎていくナポリの若者。
そして歪んだこの黒い石畳の薄暗い路地の上、今日も空は情けないほど青く晴れ渡っている。

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01/12/18(火)

午前中はアカデミア。
午後は語学学校。
しかし、今日はトニーノ氏は学校に現れず。
もう一人のレオナルドさんだけで授業を進めている。
授業を進めているというか、監督しているというか。

先週から1年生は第二課題に入った。
今回は19世紀以前に描かれた、パースペクティブの技法を使った絵を
拡大模写するというもの。

いわゆる、一点透視法で描かれた絵を元にその焦点を確認しながら、
B3くらいのサイズの紙に描いていくというもの。
ただ、おもしろいのは、元は縦長の絵なのだが、それを横に延ばして
描かれていない部分にまで拡大して描いている生徒が何人かいたのだ。

トニーノ氏がいないので、半分休校のような状態である。
確かに明日で12月の授業は終わり、クリスマス休暇に入る。

語学学校も明日で終わりだ。
新学期は1月7日より。
なんだか、やはり学生に戻ったような日々が続いている。
ただ、ここは外国だということ。

今日も語学学校の授業の後、工房に手伝いに来ていたアカデミアの5年生、
ジョバンニと待ち合わせて、彼の友達の家にいく。

-----------------ナポリ・アカデミアの学生達-------------------

イタリアの学生はよくつるんでいる。
通常は街をぶらつくことが多いのだか、
昨日今日、このナポリもこの冬一番くらいの冷え込みなので、
誰かの家でだらだらと過ごすのだ。
一端、その友達のアパートで3時間ほど過ごしたあと、そこにたまたま遊びに来た、
近くの画家志望の学生のアパートに移動して晩飯を食べることになった。
ここは、画家志望の彼と友達の2人で一つの部屋に住み、
他の同居人は建築家の2人、それに他のアカデミアの学生2人、計6P。
画家志望の彼らの部屋は凄かった。
部屋自体、モダンアートといった感じ。
壁面前面淡い黄色で塗ってあり、1m×2mほどある巨大な製作中の作品が何枚か
どんと置いてある。
それはナポリの考古学博物館前の交差点を夜に写真で露光して取り、その光が流れた
その風景を絵にしたものだ。
なんだかとっても、ポップアート。
この絵を見ると、ナポリが別の街に見えてくる。
彼らの目にはこう映っているのか、、。
なんだか、ニューヨークのどこかの交差点のようだ。

その画家志望の彼がなぜかチャーハンをつくってくれた。
イタリアにもチャーハンがあるのかと聞いたら、いや、中華のを真似してつくったといっていたが、
これがとてもおいしかった。
感謝、感謝。
結局、画家志望のここの住人2名とジョバンニとシシリアからナポリに遊びに来ている
彼の弟エマニュエル、それにインスタレーションをやっているフランチェスカという女の子と
彼女の友達、それに私の7名での晩餐となった。

なんだか、彼らは毎日このように行動しているようだ。
友達の家から友達の家へ、あるいは、喫茶店やバールからバールへと。
しかし、だれもお金がない。まあ、学生はいずこも同じ。
なにをするともなく、だらだらと時間を過ごす。
しかし、友達と会うというこの時間がとても大切な時間なのだ。
昨日の夜は結局1時過ぎまでその家でだらだらと過ごすことになった。

なんだか、ほんと10年前に戻ったような感覚を覚える。
芝居ばかりしていて、いつも時間がなく、しかし、友達と夜遅くまで
話し込んでいたあの学生の頃だ。

ナポリでアカデミアの学生達とこの静かな冬の夜を過ごす。
しかし、彼らもクリスマスには殆ど実家に帰って過ごすという。
ジョバンニもシシリア出身なので、明後日の夜行で
シシリアに帰るといっていた。片道8時間の夜行の旅。
だんだんと街が静かになっていく。

なんだかんだと文句をいいながらも、このナポリにもだんだん慣れてくる、
なにか、なつかしい感じの人々とこの古ぼけた街並に、、。

深夜1時過ぎの街をジョバンニ達と歩く、夜のナポリが一番好きだとジョバンニが言う。
静かで綺麗だから、、。

クリスマスはもうすぐだ。

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01/12/19(水)

アカデミアの舞台美術の授業も今日で今年は最後。
なんだか、教室も殺風景だ。
トニーノさんはあいかわらず不在。
レオナルドさんと少々話こむ。
イタリアの舞台美術と劇場関係の本で
押さえておいたほうが良い本はありますか?
レオナルドさんが少々考えて何冊かピックアップしてくれる。
しかし、一番お勧めは彼のこのアカデミアでの師匠の本だといっていた。
ナポリの18世紀の舞台美術を全て集めた凄い本があるんだ。
しかし、これは大きすぎで図書館でしかみることができない。
サンカルロの近くにある図書館でみるとよいと教えてくれる。

タンティ、オグーリ!!(おめでとう、良い年を的な意味)といって
みな別れていく。
いよいよ、クリスマス休暇が始まる。

午後の語学学校も今年は今日で終わり。
こちらもタンティ、オグーリ!!

なんだか、街が静かに感じる。
11月の頭、ナポリに来たばかりのときには、あれほどうるさく感じた街なのに、
なぜか、通り過ぎる車のクラクションももう当たり前に感じる。


ナポリもいい街じゃん。
歩きながら、ひとりつぶやいてみる。

今日は夕方本屋によってスカルパの小さな作品集と
19世紀に建造されたイタリアのある小さな劇場のレスタウロ(修復)の記録の本を買う。

夜はまた中華風素うどん。

昨日より幾分暖かいかな、今夜は。

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01/12/20(木)

トニーノさんがローマに行ってしまっているので、工房に行っていない。
しかし、大きな問題はどちらかと言うと、電子メールが受け取れないということだ。
今日例の電話があるお宅、ダイスケさんに電話してみたが、
なんでも電話が昨日から不通になっているとのこと。
工房もだめ、ダイスケさんもだめ。
う〜ん。八方ふさがり。
何通かメイルを書きためているが、いつ発送できるのやら。

近くの郵便局にいって、追加の手紙を出そうとしたが、これまたうまく行かない。
中央郵便局に行ってくれと言われる始末。
ここも郵便局じゃないのか?
だから、イタリアはだめなんだ。
ひとり、語散る。

電子メールにしても郵便のメールにしてもどうしてこうイタリアはうまく行かないのか?
この点だけ、不満が残る。

しかし、各州が今だ独自の風習や習慣を残し、その土地の風土を大切にするお国柄だ。
外界との接触はそんなに重要じゃないのかもしれない。
とりあえず、家に帰っていつ届くとも当てのない、文章を書く。
明日はローマだ。
須藤さんが10日ぶりに日本から舞い戻ってくるので、空港までお出迎え。
ああ、明日は国鉄がストライキでないことを祈るのみ。

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01/12/21(金)

今日は大きなトラブルもなく、無事ローマ着。
先日泊まった修道院のアルベルゴにまた泊まることにする。
空港に夜8時半到着予定なので夕方近くまで、ローマを一人散策する。
今日はまず、駅の近くのサンタマリア・デリ・アンジェリ教会に立ち寄る。

----------------------- Chiesa di Santa Maria degli Angeli-----------------

ここはローマ時代のディオクレチアヌスの浴場跡の廃墟を元に
ミケランジェロが設計した教会だ。
元のバジリカの空間構成と形態をなるたけ保存するように計画されているという。
ファサードはその遺跡のレンガの曲面がむきだしのままだ。
そして内部は教会の平面では珍しい、横に長い(袖廊が長い)造りになっている。
この平面と高さにローマ時代の原形がそのまま生かされている。

5年前に初めてローマの駅に着いたとき、この街のスケールに圧倒されながら、
まず始めにこの教会に入った。
ミケランジェロの設計とはしらず、ただ、廃墟の壁面をそのまま利用している
ファサードのおもしろさに惹かれて入ったのだ。
あの時の感動を思い出す。
内部のコリント式の円柱を見たときただただ涙が出た。
これが柱だ。いわゆる本当のヨーロッパの、ローマの、そしてギリシャに通じる柱なのか、、。
一本の石の柱、その色と柔らかくゆるやかなエンタシス。
そしてただただこの柱の純粋な大きさと建物全体の見事なバランスに圧倒されたのだ。
今回もその感動は変わらない。
やはり、バロックの様式に変更されている内部の細やかな壁面の装飾や後陣のデザインよりも、
この壁面から離されたこの独立柱とこの教会の全体のスケールの大きさに心打たれる。

レスタウロ(修復)という発想はなにも近代が生み出したものではないのではないか。
この建築をみるとそう思えてくる。
ルネッサンスの時代すでにミケランジェロはローマ時代の原形を見事に生かして、
それに再び生命を吹き込んだのだ。

偉大なローマが残した空間的遺産。
この建築の空間的広がりが、先日訪れたパンテオンのイメージと重なる。
そしてミケランジェロの構想は見事にそれを捉えている。

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つい先日歩いた道をまたなぞる。
ベネツイア広場から、ピアッツア・アルゼンチーナへ。そして橋を渡りサンピエトロを
遠く望む。

一端そのアルベルゴにチェックインして、この近くに発着する駅からのルートのバスを
調べ、サンピエトロ寺院へ向かう。
ここ、バチカン市国にある郵便局で出せば郵便は早く着くとのことで、
ここから先日出しそびれた郵便を出す。
逆にナポリの中央郵便局で出した郵便より早く着きそうだ。

それからサンピエトロの内部へ。
ここにあるミケランジェロのピエタでまたしばし黙考。
どしうてか、ローマにきてもミケランジェロの影ばかり追うことになる。
まあ、ほとんど有名なところにはミケランジェロの手が関わっているのだが。

------------------ミケランジェロのピエタ@サンピエトロ寺院からバロックへ-----------

マリアの滑るような姿勢、そして倒れたイエスを支える大きな手。
その手の中に抱かれているのはイエスという一人の小さな人間だ。
この作品を造ったときのミケランジェロの構想はどこにあるのか。
ミケランジェロ25才の作品。

この作品はなぜか見ているうちにさまざまな姿をみせる。
彫像がいろいろと語りかけてくる。
そしてまた、私は勝手にあの時代を空想する。
ルネサンスからマニエリスムそしてバロックへ。
マニエラ(手法)とよばれるマニエリスムの時代はミケランジェロの手(マニ)から始まっている!?、、。
このピエタを見て私はまた一人勝手に確信する。
そしてこのピエタはさらにその先のバロックを先取しているのではないか、、。

バロック。
あのナポリの謎とともに、このバロックという時代の些細な解体を試みる。
その為には、、。

ピエタの印象を脳裏に焼き付けたまま、今度は少し離れたスペイン階段の先
ボッロミーニとベルニーニの教会へ向かう。
バロックの傑作と称されるこの二人によるそれぞれの個性的な教会が
500mと離れず建っている。
これまたこの2つの建築を脳裏に焼き付ける。


迎えに行く空港への電車の中で、濃縮されたそのバロックのイメージを紡ぐ。
そして到着する飛行機を待ちながらしばし黙考。

マニエリスム・バロックとはなにか。

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ルネサンスが、中世以来の神の理解に基づいた上で、
古代ギリシャの時代が生み出した人間の尺度を再認識する作業だとすれば、
バロックとは神無き人間の尺度が今度は崩れ始める予兆なのではないか。
そう考えれば、ミケランジェロはすでにそれを内包している、、。

我々はどこまで行くのか?

バッハの階調とミケランジェロのあのピエタの襞がみせる語り得ない崩壊への予感。
あのピエタのマリアはそれでもすれすれのところで死せるイエスを支える。
しっかりと大きな手で。
まるで過ぎてしまった完璧なる時を支えように。
そしてそれはミケランジェロという非常に大きな力により成されたのだ。
しかし、時はそれでもこぼれ落ちる。
バッハの無限の階調から、ミケランジェロのあの神のごとき両腕から、、。


ルネサンスからマニエリスム、バロックまで通底するミケランジェロの手が示したのは
その完璧な時から流出する語り得ないエネルギーの予兆だ。

それがベルニーニ、ボッロミーニの襞と流れる楕円の曲線に至り、
一つの様式として昇華される。
そしてそのミケランジェロが到達したバロックの息は再びその人間の「手」の中に封じ込められてしまう。
そしてそれは神が死ぬ近代の到来まで封印されるのだ。

ミケランジェロの手(マニ)がルネサンスから流れ出した時代をつくる。
そしてその作品は時代を超越し、その流出するエネルギーを我々の時にまで届ける。

ミケランジェロのがマニエラが示し、到達したバロックとは、
このどうしょもなく流出していく人間存在への
限りない「問い」の始まりであると考えられないか。
近代はこのピエタから始まっている、、。


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飛行機は30分近く遅れて到着、そしてなぜか荷物がそのあと1時間半近く出てこない。
近くでまっていたイタリア人のおじさんがピッコロショーペロ(小さなスト)といっている。
しょうがない、これもイタリアだ。
結局3時間近く空港で待って、やっと出てきた須藤さんを迎える。

急いでローマのテルミニ駅までもどり、終バスになんとか乗り込む。
8時半到着予定がこの遅れ。
とほほ、イタリア。
宿舎に着いたのは夜12時半を回っていた。

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