杉山至のイタリア日記

01/12/08(土)

昨日別れる車の中で朝8時半から仕事をするようなことを
いっていたのだが、私はさすがに外人枠ということで
10時過ぎに工房へ行くことに、、。

積み込みがぼちぼち始まっていたが、おもしろいことに
こちらでは積み込みは工房の人は一切手伝わない。
オペラ専用のトランスポートの業者らしく、その会社から8人ほどが工房まできて、
ゆっくりとトラックに積み込んでいく。

おそらく、保証の問題なのだろうか。
積み込んだものに関しては、トランポ会社が責任をとるということだろう。

ただ、トニーノ氏のみが立ち会って、積み込むものの指示を出しているという状況だった。

やはり土曜日。
午後2時ころまでには、工房の大工さんはみんな帰ってしまい、
手伝いにきている学生さんとアカデミアの卒業生のみで残り作業が続けられる。

トラックの積み込みも日本でいう11トンクラス一台のみで、
残りのセットに関しては後日時間差で搬入のようだ。

月曜日からいよいよローマの劇場で仕込みだ。
私もなんとか、立ち会わせてもらえることになった。


夜はナポリでは初めて深夜過ぎまで、アカデミアの学生と街に繰り出す。

晩ご飯を食べた後に、ドーモ前に夜9時半過ぎに集合して、
それからナポリの土曜の夜の街をえんえんと地元の学生につき合って歩き回る。
ほんとにイタリア人は歩くのが好きだ。
で結局お店に入ったのは12時近く。
で2時過ぎまで、みんな一杯のお酒で粘って、盛り上がる。
学生はどこも貧乏なのだ。
2時過ぎに街の中心街の方でバスを捕まえて、家まで戻る。

明日が日曜で良かった。
今日はぐっすり眠れそうだ。

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01/12/09(日)

午後まで眠って、それからクリスマスの街に繰り出す。
昨日の夜からやっと街のイルミネーションが付き始めた。
どの通りもそれぞれ違った色やカタチのイルミネーションがあり、
見ていて飽きない。

---クリスマスのナポリの街---


確かにナポリのナターレ(クリスマス)は雰囲気がある。
ナポリの下町スカッパナポリの中心の通り、ビア・トリビュナーレには
この季節のナポリの名物、プレゼッツピオが軒を飾っている。

プレゼッピオとは、まあクリスマスのジオラマ飾りといったらよいか。
木の皮を外側に使いイエスが生まれた馬小屋やら街やら人々の暮らしやらを
ジオラマ風に造ったもので、それが通りの露店で売られているのである。
そして、自分でも作れるように小さな人形やら家やら、木の皮やらも
同時に売られている。
なんといったらよいか、こう地方色があるというか、田舎っぽいというか、、。
その雰囲気がまたなんともいえず、ナポリっぽさになっているようだ。

ナポリの銀座通りのようなビア・トレド(トレド通り)にある教会では、
このプレゼッツピオを教会の地下礼拝堂に特設している。
まるで見せ物小屋のように、道ゆく人がこの教会のプレゼッピオを見ていくのである。

また、ミラノのガレリアを小さくしたような、ナポリのガレリアでも
その中央にさい銭を投げ入れられるように柵が張られた360°のプレゼッピオがある。
これがまた、雰囲気がなんともいえず良いのだ。
岩肌に壊れた建物、その中で生活している人々、遠く小隊を連ねてやってきたアラブの商人達。
中央の馬小屋にはまだイエスはいない。
その上には上空から吊られた天使達が舞っている。

この人形はパースペクティブをともなって配置されていて近い部分では
高さ30センチほどもあり、かなりリアルな17世紀か18世紀の服装をした
ヨーロッパの田舎の人々の格好をしている。
遠く、山の上の方には5センチくらいの人形が置かれている。
一瞬、ディズニーランドのカリブの海賊を思いだしたが
逆にこちらが元祖であると気付かされる。
なんというか、洗練されていない田舎の感じというか、、。

17世紀〜18世紀にその原型が造られたナポリの街。
その夜を電球のイルミネーションが飾る。
このなんだか温かい感じのナポリのクリスマス。

野暮ったさといったらよいか、それがこの街の魅力なのかもしれない。

ナポリ。
やはり不思議な街だ。


夜は、またツバサさんとキミヒコさんと4人でイタリアンを食べる。
しかし、今日はなんだかとても寒い。
この冬一番の冷え込みじゃないだろうか、、。
だがその分、街のイルミネーションがとても綺麗に見える。

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01/12/10(月)

今日はローマで仕込みの日。
朝9時に起きて、ナポリ中央駅へ向かう。
ローマに昼前には着きたい。

---イタリア・電車事情---

しかし、いやな予感はあたるものでローカルラインは
全てショーペロ(ストライキ)だ。
イタリアでは2週間に一度くらい国鉄はストをするらしい。

しかし、幹線のインターシティやユーロスターなど数本のみ動いている模様。
これらは国際間や主要都市間で運行しているため
イタリアやナポリだけの事情で運休にできないのだろう。
これらの電車は特急料金やら急行料金がつくが、まあローカルラインよりは
その分少し早い。
だから、私は一応最初からインターシティでいこうと決めていたので、
電車は動いているようだ。
がんばって切符を買おうと試みる。
しかし、
駅の切符の窓口は全て閉まっている、ただ4つある自動販売機にだけ人だかりがしている。
が、これがまたくせもので、殆どの自動販売機は現金を受け付けない。
4つしかない上に、人が群がるのですぐ内部の現金が無くなるのだろう、その上
それを管理している人は果たして一日に何回調べていることか、、。
案の上、1台目は現金不可、2台目の自動販売機に20分近く並んだ上でやっと切符を購入。
発車予定時間の5分前になんとか列車に乗り込む。
しかし、やはりイタリア、予定時刻15分ほど過ぎてからようやく動き出す。
ああ、しかし、3ヶ月もたつと少しづつこのリズムにも慣れてくるから、なんともいえない。

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なんとか無事ローマに到着。
なんだかローマがとても綺麗に見える。
5年前に来たときは埃っぽい街だと感じたのだが、今日見たローマはとても綺麗だ。
現代の他の国際都市と同じようなちゃんとした姿をしている。
ローマ・テルミニ駅の内装もどうやら新しくなっている。
総ガラス張りのショップがあったりと、いずこの国際都市も同じ様相。


--------------------ローマの街並み・その1----------------------

ナポリにいたせいだろう、街を歩いていてもローマがとても綺麗に感じる。
ただ、ゴミが少ないとか道の石畳が綺麗に整備されているというだけではなく、
これはローマの街の造りにもよるのだろう。
広い道、そしてその道のパースペクティブの焦点に教会が建っていたり、オベリスクがあったりと、
街自体にローマが偉大であった各々の時代の記念碑が溢れているのだ。
そしてそのひとつずつがナポリのそれに比べとても大きい。

駅を出て、ディオクレチアヌスの浴場跡を過ぎ、三越デパートの角を曲がり、
ベネツイア広場へ。
ビットリオ・エマニュエーレの記念霊廟を見上げ、
さらにテベレ川の方、劇場のあるピアッツア・アルゼンチーナを目指して進む。

丘やちょっとした坂道などが、歩行のリズムに起伏を与える。
そして歩くリズムの中に街の各々の焦点がうまくあってくる。
それぞれの広場がなんらかの焦点をもち、それらがほどよい距離で繋がっている。
まるで記念碑のネットワーク上を歩いているような感じだ。

この歩行の感じは今回のイタリア滞在では初めての感覚である。
例えばナポリにも記念碑はあるが、それ自体の集中力が低いしまた、あまりにも街が
ゴミゴミとしているため、それが際立ってこない。
またベネツイアの場合では、今度は道が平坦でせまく曲がりくねっているのと、
各々の広場が小さいのでローマほど街全体に対するスケールの大きさを感じない。

やはり偉大なる街、ローマ。
ナポリは今だ私にとって魔都であるのに、ローマは30分の歩行でその街の歴史がもつ偉大さを
感じさせる街なのだ。

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なんとか無事に劇場に到着。搬入口を探し出し、トニーノさんとその工房の人たちに出会う。
今日はとりあえずいろいろと観察。
今日のタイムスケジュールを振り返ると。

---Teatro argentinaでの仕込み・一日目---

工房の人たちはトニーノさんの車一台に5人が乗ってローマに到着。
なんでも朝5時にナポリを出て、途中渋滞がありローマに3時間半ほどかかったとのこと。
今日のトニーノさんの顔色はちょっと暗い。
トラブルだらけだといっている。しかし笑顔は忘れない。
朝9時くらいから搬入開始。例のごとく搬入は基本的に運送会社が行う。
その間に鉄骨のペリアクトン(3角パネル)の基礎の骨組みを組み立てる。
私が到着した12時半の時点で4つあるうちの1つの基礎が完成していた。
それに地がすりと額縁パネル(ボーカシェーナ)も完成。

しかし、なんともゆっくりとした仕込みだと感じる。
昼飯を挟んで、午後(2時過ぎ)から鉄骨の土台の上に乗る鉄骨の骨組みと
交換可能な木のパネルを取り付ける。
同時に小屋の大道具さん(8P)はノッツエ・デ・フィガロのプリモアクト(一幕)の
バックパネルを組み立て始める。
2時過ぎに演出家と舞台監督到着。
この一幕の仕込みが夕方6時くらいまで続き、7時くらいまでには一幕の出演者がそろう。
スケジュールでは7時くらいから舞台上での一幕の稽古の予定であるらしいが、
まだ仕込みは続いている。
後になってわかったのだが、朝から昼過ぎまでは大道具、照明の仕込み、午後、夕方から
は舞台上に出演者が乗るというスケジュールになっている。
だからまず一幕のセットを仕込み、夜稽古。翌日に2幕のセットを仕込み、また稽古、と進んでいく。
日本のように全て仕込んでしまってから完全に舞台を渡すというシステムではない。

予定より2時間ほど押して8時過ぎにやっと舞台を出演者に渡す。
舞台稽古の間も大道具さんおよび工房の人たちは舞台奥で待機。
待機といっても、カフェに抜け出したり、おしゃべりしたりとまあ休憩時間の
ようになってはいるが、。

夜10時過ぎに2幕の頭まで稽古が進み、舞台監督の人が転換でーす!!と声を
掛ける。
まだ2幕のセットは殆ど仕込んでいないので半分くらい仕込みながら転換をする。
結局劇場を出たのは11時くらい。
しかし出演者はまだその後も稽古を続けていた。
おそらく11時半過ぎまで稽古していた模様。

これがだいたい仕込み初日の流れ。

次に日本で私が知っている仕込みと大きく違うと思った点について、、。

----------------------オペラ仕込み・びっくり事情その1---------------

まず、照明さんの仕込みにびっくりした。
基本的に舞台は大道具が優先的に使用している。
照明さんは客席前方、道具と絡まないサイドから仕込みを始める。
で、プランナーらしい人と小屋付きの照明さん2人にあとはいわゆる
お手伝い的な人が3人、合計5人でゆっくりと仕込んでいる。
で、びっくりしたのは、現場で仕込み図を引いていたことだろうか、、。

なんとなく見ていてわかったのは基本的に大道具がどのバトンになにを吊るのかを見てから、
バトンを決めて仕込み図を引くのだ。
だから舞台ができあがって位置が決まったのを見て、その部分の照明を仕込み始める。
なんとも、なんとも、、。
これは日本と全くシステムが違う。

まだ何回かしかこちらでのオペラの舞台を見ていないが、
どうもこちらでは舞台美術家と照明家はだいぶ立場が違うようだ。
通常ポスターには衣装家や舞台美術家は演出家、指揮者と並んで名前が載るのに、照明家は載っていない。
日本とはこの点が大きく違う。

歴史的に照明家という職能は確かに現代的な仕事だ。
同様に音響さんもほとんど重要視されていない。
まあそれはオペラだから演奏者と指揮者がいればOKという世界であるからだが、、。
逆に明治以降に西洋の様式を取り入れた日本の劇場は歴史的にこちらにくらべ新しいので
劇場における照明家、音響家が重要視されたのかもしれない。


あと驚いたことといえば、舞台上のバトンの多さとその一方でサスバトンがないということだろうか、、。
これはこのテアトロ・アルゼンチーナの小屋が古いという事情もあるが、
まあ、言ってしまえば全てが美術バトンなのだ。
全部で40本以上のバトンがある。基本的に小屋の梁組の位置を除いて
バトンの間隔は20センチといったところ。
劇場のサイズとしては間口6間、タッパが9m奥行きが通常舞台のエリアで
やはり6間ほど、そしてその奥に倍の大きさでバックステージが広がっている。
ただ、袖は殆どない。
キャパは平土間部分で200から250ほどで
周囲にぐるりと巡らされた6階まであるボックス席をいれればおそらく500〜600くらいだろうか。
いわゆる日本で言えば中劇場の部類に属するサイズだ。
しかし、このバトンの数にはびっくりする。
そしてバックステージにはそれに加えさらに20本近くのバトンがある。
ただ、全てが美術バトンで照明専用のサスペンションバトンがないのだ。
だから仕込みを見ていると日本で照明さんが美術バトンに仮設しなけれればならない時の
ようにすべて、太いケーブルを引き回しているのである。これは大変。

仕込み初日の今日であと驚いたことといえば、
夕方からすでに舞台稽古が始まったことだろうか。
一幕を仕込んで、一幕の稽古。そして翌日は2幕のセットを仕込んで、2幕の稽古、
というわけである。そして夕方から始まった稽古は夜11時半過ぎまで行われるということだ。
合理的なのかそうでないのか、、。

ともかく、イタリア滞在3ヶ月目にして初めてオペラの仕込み現場を体験。
言葉の壁とまるで、見学の学生のような立場での仕込み体験。
いやはや疲れた。

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01/12/11(火)

昨日の夜は劇場を出て、夜11時半近くにホテルに到着。
その後、近くのレストランを探してみなで夕飯。

ここはホテルといっても、なんだか修道会が経営しているようで、
ホテルともアルベルゴ(イタリアのホテルの名称)とも書いていない。
入り口もわかりにくい。
しかし内部はとてもモダンで部屋はなんだか日本のビジネスホテルのようである。
ここに3泊することになる。
トニーノさん以下工房の人たち5人といっしょだ。

朝、工房の人たちは7時に起きだし、8時に劇場入り。
私は車の関係(トニーノさんの車は5人しか乗れない)もあって
一人遅れて10時頃に劇場入り。

その前に。

このホテルが実はサンタンジェロ要塞やサンピエトロ寺院の近くにあり、
劇場までの道がまた素敵なのである。
それで、いろいろと寄り道しながら劇場へいくことに、、。
今日はまず、サンタンジェロの要塞を外から見てその前の橋を渡り、
遠くサンピエトロを望み、途中パンテオンに寄ってから劇場入り。

ということで、ここでちょっとパンテオンについて。

-----------------Pantheon・見えない球体の思想---------------------

パンテオン。紀元100年前後(再建)に建てられた古代ローマの万神に捧げられた建築。
ご存じのように、アテネのパルテノン神殿と並び、
西洋の建築の源流を示す非常に重要な建造物である。

このパンテオンも5年前と合わせて2度目の訪問になる。
以前来たときえらく感動したことを覚えている。

しかし、またしてもしかし。
入り口に立ち、このプロナオス(前室の部分)にある巨大な
大理石の一本造りの柱の一群を見上げてまずため息がでた。
岩盤から切り出された継ぎ目のない一本の巨大な柱。
静かに手を触れてみる。

コレハ、ナンナノカ?

そしてそのまま内部に入り、かのドームの上空を見上げて空いた口が塞がらない。
やはりまたしても時間が止まる。

この空間はなんなんだろうか?

全身が執拗にこの空間全体を把握しようと呼吸を始める。
しかし、空いた口はそのままだ。

この空間の構想はどこにあるのか?

43mの直径の球体が完全に収まるような上空のドームと、それを支える円筒形の壁面。
そして真上にある直径9mの開口から覗く丸く切り取られた空とそこから降り注ぐ光。
これがこの空間の全てだ。
曲線と曲面で構成された明快で単純な空間。
しかし、それゆえにこの空間を構想した意志がとても遠くにあるように感じる、、。
かのミケランジェロはこのパンテオンを称して「天使の建築」と語ったという。

しばし観察。
曲面の端に位置取り、上を見上げる。
しかし端から見上げてあることに気付く。
曲面のどこから見てもそこは常に端であり同時に中心となるのだ。
曲面には結ばれるべき焦点がない。
本来結ばれるべきはずの焦点を追い、視線はその曲面を流れる、
しかしその視線はその曲面に流されどこまでも移動していく。
曲線と曲面の空間だけが持つこの「無縁」の思想。

そして流された視線はこの建築が輪郭のみにより指し示す、
この直径43mの見えない「球体」を描き出す。
これは、宇宙のカタチだ。
単純で偉大で野蛮で深遠なローマの思想だ。

ローマが生み出したアーチという建築の原形。
このアーチが回転しドームとなり360°の上空を被い、
気が付くと私はこの見えない球体に取り囲まれている。

ここに空間がある!!

上を見て、横を見て、下を見て、見回して、、。
x軸もy軸もz軸も全てがゆっくりと大きく回転を始める。浮遊を抱えて、、。

ワタシハドコニイルノカ?

そして私はよろめきながら球体の底点へと導かれる。
ここが世界の中心。そして、同時に世界の端なのだ。
この球体の底から見上げる天はまたしても丸く切り取られ、
そしてその中心には空洞の空がある。

これがローマが夢見た空間だ。
360°のアーチ=ドームが造りだした見えない球体が抱く、
空洞化した中心と周縁の思想だ。
中心と周縁と空洞が同時的に存在する空間、そしてそれを夢想したローマという思想。
2000年の時を越えて、この空間が抱き続けた夢に思いを馳せる。

私はどこにいるのか?
空間とはなんなのか?
そして、
ここはどこなのか?
今更ながらこの空間的アイデンティティの喪失に気付かされる。
私達はいまどこにいるのか?
21世紀は、このパンテオンが夢見た視線の先にあるのだろうか?

この果てしない透明の球体が見た幾多の夢。
見上げたこの空洞の空に息を吐いてみる。

ただ、ただ丸い真冬の空は光に溢れ、晴れわたっている。

、、、、、。

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まるで、瞑想のような時間が過ぎる。
しかし朝ままだ始まったばかりだ。

このパンテオンから歩いて10分ほどの所に劇場がある。
私は10時入り。

-------------------Teatro arzentina仕込み2日目-----------------

劇場ではノッツエ・デ・フィガロの2幕用のパネルの建て込みが行われていた。
後方にある残り2つのペリアクトイの鉄骨の基礎がほぼ完成。
それに順次鉄骨の骨組みを建て、パネルを取り付けていく。

照明さんも舞台中のバトンに吊り込みを始める。
昼ご飯の後、2便目のトラックが到着。
今度は劇場近くに止められなかったようで、
我々も搬入を手伝う。
しかし、このパネルがとても重いのだ。
イタリアの人はほんと力持ちだと思う。
私は絶対に持てない。
だから、中でも一番軽そうなパネルを運ぶ。
それでも、筋肉がけいれんするほど重いのだ。
確かに重い分頑丈なので日本のパネルのように注意しなくても
多少ガンガンぶつけても壊れないという造りではあるのだが。

3幕は2幕のパネルの表面の装飾パネルを取り替えることにより
成立させるので、舞台後方では4幕(庭のシーン)の橋と
発砲スチロール+セメントで造った岩の組立が行われる。


夕方6時からまた稽古開始。
しかし、夜8時半に私は抜け出して奥村君とベネツイア広場で待ち合わせる。
ナポリを発ったあと、奥村君はギリシャを巡り今日夕方にローマ入りした。

2人で劇場近くのピッツエリアで食事。

夜12時頃にホテルに帰還。

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01/12/12(水)

今日も朝9時に起きて、歩いて劇場へ。
途中パンテオンに寄ったことはいうまでもない。

-------------------Teatro arzentina仕込み3日目---------------------

今日は2本目の演目、コシ・ファン・トウットのバックの海の書き割りパネルの
吊りと、2台のブランコの吊り等が行われる。
照明さんもまたさらに奥のバトンのつり込みを始める。

今日は12時からコシ・ファン・トウットの舞台稽古が始まった。
だから、転換後、大道具さんと我々ナポリチームは舞台裏で昨日の階段の組立の
続きを行う。
舞台裏で作業をしていると舞台監督の人が静かしてくれと何度もやってくるが、
そこはイタリア人、数分は静かに作業しているのにすぐまたおしゃべりを始め、
ガンガン作業し始めるのだ。
このあたりの感覚は日本とまったく違う。

----------------------オペラ仕込み・びっくり事情その2---------------

ここで、またびっくりしたこと。
どうも劇場付きの大道具(マッキニスト)スタッフには責任者がいない。
ただ、人のローテーションを組んでいる、偉そうにしている人はいるのだが、
彼はまったく仕事をしていない。
そして、どうもこちらのトニーノさん側と舞台の造りについて事前に打ち合わせをしていない
ようなのだ。
仕込み初日の夜遅くに立ち話をしながらトニーノさんが大道具の中でもまじめそうな
人に舞台の造りの説明をしていた。
しかしかれは、別に大道具の管理者ではない。
それも日本のように正確な打ち合わせではなく立ち話程度なのだ。
2日目にして、昨日の人にさらに数人が取り巻いてまた同じように説明をしている。
だから、なんどもなんどもトニーノさんは同じことを説明する。
打ち合わせという発想はないのだろうか?
どうも不思議だ。

このようだから、組立ながら大道具さんは自分の役割を何となく決めていき、
毎日すこしずつ、転換の作業を覚えていくのだ。

今日は奥村君も見学に来ていて、夜はトニーノさん以下ナポリチームに私、奥村君で
近くのレストランで食事となった。
しかし、トニーノさんの顔は沈んでいる。
どうも、まだよくわからないイタリア語であるが、話を聞いていると
今回の劇場の大道具スタッフが気に入らないようなのだ。
おしゃべりばかりで働かないと愚痴をこぼしている。
また、問題は明日でトニーノさんの工房から来ているスタッフは帰ってしまう。
しかし、いまだ、転換はナポリチームが手伝っている。
果たして、本番まで、時間的に短縮できるのか、という問題もあるようだ。

仕込みを見ていて何となくわかったのはナポリから来ている我々は舞台美術の組立
のスタッフであって、大道具という位置づけではないということ。
そしてこの劇場大道具というのはどうも大道具でありかつ日本でいうところの演出部的な
動きもするということ、である。
そのあたり、ナポリチームはやはりトニーノさんの元よく統制がとれていて、確かに
よくしゃべりまたよく休憩するのだが、仕事もよくするのだ。
一方、劇場側はどうも管理者がいない。そのため、動きが鈍い。

4日目に衣装さんが大道具に衣装の早替えを手伝ってほしいみたいな
ことを相談していたときも、統率者がいないので、皆一人ずつにその日にいるのかいないのかを聞いていた。
なんとも、なんとも。

やはり、日本は集団作業が得意だと感じる。イタリアのスタッフも個人の動きをみているかぎり、
日本人より優れている人もたくさんいるのだが、どうも集団で動くということをしない。
だから、転換も即座に打ち合わせして、システマティックにしていく日本のようにはいかない。
あれはどこにいった、ここはどうなるだのと怒鳴りながら、みなで転換している。
しかし、きっと何回か転換していくうちに徐々に役割を決めていくのだろう。そう思いたい。

日本で何度も仕事をしているトニーノさんはだから、私に日本のスタッフは優秀だとこぼしていた。


もう一点、舞台監督という立場の人はいるのだが、まったくといっていいほど、
照明と大道具のテクニカルな面に関しては関係してこないということだろうか?

日本でいえばだから舞台監督というよりは、進行さんに近いのだ。
出演者の入り時間にはいて、舞台稽古にずっと立ち会うのに、大道具の仕込み時間や
照明の仕込み時間にはいない。しかし、舞台上で稽古中に問題が発生するとそれを
トニーノさんや照明プランナーに伝達しにくるのである。
このスタッフの役割もプロダクションによって多少変わってくるのだろうが、
今回仕込みに立ち会ってみて驚いた点の一つだ。

まあ、舞台監督がいないという点や大道具組立の指揮と舞台美術家をトニーノさん一人が
兼ねている点や照明がプランナーともう一人で仕込んでいる点などみると
なんとなく青年団に近いという感じもするのだが、、。

不思議なものだ、青年団のスタイルは日本では相当変わったシステムで動いているのに
このイタリアのオペラの仕込みを見ていて、青年団との類似点をかなり発見するのである。

演出家も舞台監督を通して話しをするのではなく、直接照明家や舞台美術家のトニーノさんに
ここはこうして欲しいと語り、ガンガン進めていくのである。
実際、最初は演出家の人が舞台監督かと思ったくらい、そこまで統一して仕事をするのだ。
イタリアは集団で動く巧みさがないのだが、その分個人で優れているひとは、とてつもなく
仕事ができる。

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01/12/13(木)

今日も私は10時に劇場入り。
今日は違う道で行ってみる。
しかし、ローマはどこにでもランドマークとなるような焦点がある。
サンタンジェロを通過して遠くサンピエトロをテベレ川から眺める。
7つの丘と川が生み出した地形に人間が造りだした、2000年の夢。


一昨日の夜、奥村君と待ち合わせたベネツイア広場に向かう前、
ちょっと時間があったので、かのミケランジェロが設計したカンピドリオ広場に出かけた。
ここも変わっていない。
5年前に来たときの記憶をたどりつつ、カンピドリオ広場の市庁舎の裏、
フォロロマーノを眺める。
ローマのフォロの遺跡がライトアップされて夜に浮かび上がる。
ここも変わらない。
なにか古い友達にあったようなそんな安心感を感じる。

永遠の都ローマの魔力。夜に浮かび上がるローマの遺跡達が静かに雑談を始める。

そんな景色を思い出しつつ、劇場へ急ぐ。

そういえば、昨日事件があった。奥村君が泥棒にあったのだ。

-------------------奥村君、泥棒にあう!!-----------------------

劇場を一端出て、旅行代理店に向かう途中の出来事であったらしい。
ちょっと細い道で近道しようとしたところ、外人(イタリア人ではないらしい)が
話かけてきた、ちょっと地図を見せてほしい。
そして、雑談しつつ外人はその地図をもってこっちかなこっちかなと、
どんどん細い道の方へ行ってしまう。
しかたないからその外人が行く方に付いていくと、
急に今度は2人組のイタリア人が現れ、麻薬捜査官だと名乗り、パスポートとクレジットカード、
現金を見せろという、なんでも地図を貸してあげた外人が素直に従っているので、
なにも不思議に思わず、全て見せたらしい。
そして最後にもう一度最後に確認するといってバックをごそごそやられている間に
クレジットカードを2枚すられたとの事。
3分ほど歩いてからなんだか変だと思って、しまってあるカードを確認して無いことに
気付いたという。
ローマはいい街ですね、といっていた奥村君だが、とんだ目に遭ってしまった。
しかし、これは巧妙だ。結局この泥棒は3人組なのだ。
まず外人(らしき人)に見本をやらせ、同じことをさせる、
なんとも日本人の心理を突いた泥棒だ。
もし、カードがなかったら、おそらくパスポートを持っていかれただろう。
この状況、一人では防ぎようがない。
奥村君はそれでもラッキーだったのは、カード紛失の連絡先の番号をその場で
持っていたので、5分ほどで止めたとのことである。
しかしその5分間でやろうと思えば10万くらい平気でおろせるだろう。

しかし、まったくもって気を付けるしかない。だれもが狙われるのだから、、。


-------------------Teatro arzentina仕込み4日目----------------------

今日で我々ナポリチームはトニーノさんを残し、ナポリに帰ってしまう。
うまくいくのだろうか。
今日は、朝からボーカ・シェーナのサイズの変更を行っている。
それに、3作目のドン・ジョバンニ用の文字幕を吊っている。
なんとなく、劇場の大道具も動きがよくなってきたように感じる。
昨日の夜、レストランでたまたま、そのまじめな大道具さんがいて彼にトニーノさんが
愚痴をいっていたのがちょっとは利いたのかもしれない。
だから、今日はシーンの転換やつり込みは小屋のスタッフに任せ、
ナポリチームは舞台裏で残りの作業を行う。
今日も12時過ぎから舞台稽古が始まる。舞台稽古はコシ・ファン・トウット。

昨日の夕方から実はオーケストラが入ってのシーンの通し稽古が始まった。
今日も夕方6時過ぎから昨日の続き、ノッツエ・デ・フィガロの3幕の通し稽古が始まった。

ナポリチームは3幕への舞台転換を手伝って、引き上げることになった。
劇場を7時半に出て、
通常4人乗りの車に5人が乗りアウト・ストラーダ(高速道路)を200キロ近いスピードで飛ばす。
なんで、こんなスピードが出るの?
ああ、これもイタリア。無事帰還できますように。

ローマを出てからこの高速道路がずーとゆるやかに下っていることに気付く、
ローマはやはり丘の街なのだ。

無事10時半にはナポリに到着。
やはり、家に帰ってきたという感覚が少なからず芽生えている。

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01/12/14(金)

今日はのんびりと起き出して、髪の毛を切りに行く。
3ヶ月ほっとらかしなので、ぼうぼうに延びてしまった。

Come?(どうします?)と店員が尋ねる。
ともかく、短くしてくれとそれだけを伝える。
本を見せてもらって、後ろはこのように刈り上げで、、。

なんだか、大正時代のモボのような頭になってしまった。
ああ、しかし、これが基本なのかもしれない。
髪が自然にかるくカールしていればそれでいいのだろう、
しかし、直毛で剛毛の私ではザンギリになってしまう。
ああ、人種が違うと床屋の技術は相当ことなるのだろう。


須藤さんが日本に一時帰国しているので、今日は一人でのんびりと過ごす。
本屋にいって先日トニーノさんが学校で話していた、
シェノ・テクニカ(舞台技術)の本を探し、なんとか購入。
これがまた凄い本なのだ。
これが日本にあれば、日本の舞台美術の状況はだいぶ違うだろう。
そんな本なのだ。
70年代初版ですこし古いのだが、これだけまとまっている舞台の本は今だかつて見たことがない。
舞台の形態、歴史からはじまり、遠近法の発想、衣装のこと、
そして劇場の構造、舞台のパネルの作り方、転換の仕方、そしてかなりこの部分は古いと感じるが
照明の種類、ライティングの方法まで。
すべて図版入りで丁寧に解説が付いている。
これは、確かに、舞台を学ぶ人間は最初に見た方がよい。

舞台がいかに伝統に縛られあるいは、口伝でその技術が伝えられてきたかという
逆の面でも勉強になる。
日本ではいまだ、大道具はその会社の工法が秘技の一部であったりするのだから。

しかし、久しぶりのナポリの街を歩いていて感じるのは、やはりナポリは田舎だということ。
どうもそれが結論のようだ。
しかし、弘前のようないい意味での田舎なのかもしれない。
住んでいる人々は街に誇りをもっている。
そして過去には確かに栄光の時代がなんどもあったのだから、、。
イタリアでも地方の時代が静かに始まっているのかもしれない。

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