イタリア滞在3ヶ月が過ぎた。
いろいろあるが、なんとか順調。
一年を3ヶ月単位で割っていくと、3ヶ月が4回ということになる。
丁度それが四季に対応する。
一年間の期間が与えられた私にとってはイタリアでの「秋」が過ぎたことになる。
ナポリの街もクリスマスに突入し始めた。
街のネオンの準備はもうほぼ終わっているのにまだ、灯はともらない。
21世紀最初のクリスマス。
どうなることか。
今日は3人で世界遺産ポンペイに向かう。
午前中のんびり過ごし、正午すぎにポンペイに到着。
ベスピオ周遊鉄道からみるナポリ湾は綺麗に晴れている。
私にとってポンペイは2度目の訪問だ。
前回は真夏に来たが今回は冬の一日だ。
前回見そびれた2つの劇場跡をまず訪れる。
ベローナに引き続き2度目のローマ時代の劇場跡だ。
ポンペイの劇場は保存状態がよく、綺麗にカタチを留めている。
劇場は2つあり一つは大劇場、もう一つはそれをそのまま小振りにし、
客席の傾斜を少し急にしたオデオン座(小劇場)である。
---------------------ポンペイの遺跡・円形劇場と小劇場-----------------------
2つの劇場とも、ポンペイの街の遺跡の中ではベスピオ山からの緩やかな傾斜が続く
南側の低いエリアに位置し、その自然のなだらかな地形と、
この場所の微地形をうまく利用して客席の傾斜を造り、劇場を配置している。
いろいろと歩き回りこの劇場全体をなるべく身体化して把握しようと試みる。
声を出して音響的な空間も確認する。
大劇場はビツエンツアで観たパラディオのテアトロオリンピコより若干大きく、
客席の傾斜も急に感じる。
ということは利賀の野外劇場より広く、急だということだ。
ベローナで観たローマ時代の劇場遺跡と舞台は同じくらいの大きさだろうか。
平戸間部分は綺麗な半円をして、客席も綺麗に同心円上に広がっている。
客席の規模はベローナの方が大きいか、、。
ベローナの方は破損が激しいのと大きな地形の中に見事にはまっているため、
それとはちょっと比べられないが、、。
周囲の地形との関係で言えば、
劇場の環境的位置関係はベローナの方が遙かにすばらしい。
(詳細はベローナのローマ劇場の記述を参照)
奥村君が客席の断面を観ていて、丁度直角三角形のカタチをしていることに気づく。
ということはだいたい傾斜は30°くらいか。
視覚的にはかなりのすり鉢状の傾斜に感じる。
石の客席に座ってみる。
現在の普通のイスに腰掛けた時と同じ高さを感じる、
ということはだいたい42センチくらい。現在の我々の身長より
低かったはずの古代ローマ人は、足が長かったのだうか、、。
舞台から須藤さんに声を出してもらう。
普通の声でもかなり明瞭に聞こえる。
今度は自分が舞台側から声を出してみる。
青山円形劇場の中央に立ったときのように声が綺麗に中央に跳ね返ってくる。
現在は劇場の客席後方下手側にしか壁が残っていないのだが、あの壁がもし客席後方全体を
包んでいたら、おそらくもっと音は明瞭に聞こえたのではないか。
平戸間のさらに奥の舞台部分は若干上がっていてその下は2mほどほりこまれている。
その上に現在は鉄骨の床梁が掛けられている。
このミゾはやはり仕掛け用のミゾだろうか。
勝手な創造をいろいろと繰り広げる。
舞台後方のスケーネと呼ばれる壁もちゃんと残っていて、
これも最上段の客席のように音の反射を考慮してか同じ高さで巨大な一枚の壁面を構成している。
だから、劇場はスケーネと客席後方の壁面によりまるで一つの蓋のない箱のようになっている。
小劇場の方もまた歩き回ってみる。
大劇場をそのままこぢんまりとさせた感じ。
スケーネや舞台袖、客席の形態等、機能はまったく大劇場とかわらない。
こちらの方が舞台が小さいせいだろうか客席の傾斜が急に感じる。
だから、客席に座って舞台を観ると、ちょっと見下ろす視線が強すぎるきらいがある。
しかし、舞台に立って客席を見渡すと東京の小劇場になれている私としてはこちらの方が
なんだか親密感がある。
人間が車座になっていっぺんに話せる最大の規模は20人までだと言われている。
これは向かいの人の声が互いに話しあう時でも
普通の声量でも聞こえるという音的環境とその人の表情を認められるという
視覚的な距離が関係している。
この小劇場の舞台と客席の近さはその舞台上の人間が普通の声量でしゃべって聞こえる
限界の距離の内に留めたのではないかとこれまた勝手に想像する。
その点からするとこの急な傾斜の客席にも納得がいく。
声は球体的に広がっていく。
従って客席も球のような断面の傾斜を持てばそれは音的には一番よいわけだ。
今回の滞在で、いまだ3つしかローマ時代の劇場を観ていないが、
驚くのはその劇場の規格化である。
舞台の規模、入り口や袖の位置、円形という客席の形態、スケーネという背景まで。
そこには一つの統一した規格が存在するようだ。
まるで、他の劇場と交換可能であるようなそんな規格化である。
それでなんだか、歌舞伎の劇場を思い出した。
いつだったか、青年団の旅公演で九州の飯塚に行ったことがる。
その近くに嘉穂劇場という古い歌舞伎のスタイルをもった劇場があった。
その劇場を観てその時感じたのは歌舞伎という完成された劇場のスタイルの統一感であった。
花道の位置、角度、スッポンや回り舞台の仕掛け、舞台と客席の高低差、劇場の間口やタッパ等々。
いわゆる本で見たことのある歌舞伎用の劇場と同じ機能を持っていたのだ。
歌舞伎という演劇のスタイルがひとつの完成をみた時に、その劇場の形式も固定化したと考えられる。
そして一座が巡業する上で同じようなスタイルの劇場であればそれは
一つのパッケージとしてそのまま流通させることができるわけだ。
最近まで日本で多く造られたプロセニアム形式の劇場も劇場のカタチは違えども、
流通という点ではその方法を踏襲しているといえる。
しかし、近代の劇場の罠はそのプロセニアム形式なる劇場のスタイルが、
いったいどのような演劇を前提として考えられたものなのかというところだろう。
そこに現代にも通じる日本の近代以来の劇場の問題がある。
ローマの劇場にもこれと同じような印象をうける。
ギリシャが生み出した演劇のスタイルをそのまま踏襲し、
その演劇スタイルの劇場形式をそのまま輸入する。
だから、多少の大きさの違いはあれど、円形であること、すり鉢状の客席、
スケーネを持った舞台背景(これはローマ時代に新たに付け加えられた要素)、
上下の登場人物の出はけ口等といった機能は、一つのスタイルとして固定化するのだ。
そして建築的に一つの完成された「・・・劇場」と呼ばれるようになる。
ここに演劇と劇場の難しい関係がある。
演劇が流動的にその創造行為を繰り返すかぎり、それは一つの完成された形式として捉えることはできない。
それゆえおそらく劇場は完成された形式を持ち得ない。
しかし、その演劇スタイルが完成しある成熟期を経るとやっとそれはスタイルとして定着し
それをハードとしてささえる箱である劇場はそのスタイルを可能とさせるある一定のカタチを持つ。
日本でいえば、能の舞台であり、歌舞伎の舞台であり、ヨーロッパでいえばオペラの劇場であり、
ローマや演劇の円熟期を過ぎたギリシャの円形劇場ということになる。
S・ティドワースが「劇場の歴史」で述べているように、
演劇と劇場はこのようなアンビバレントな関係を常に持っている。
21世紀の我々にはどのようなカタチの劇場が必要なのか。
歴史が示すようにそれは、これから生み出されていく演劇とともに追いかけっこをしつつ
創造されることになるだろう。
ローマの植民都市としてその噴火の直前まで繁栄した地方都市ポンペイ。
そこに残された円形劇場の廃墟はこのポンペイの都市がローマというその政治・経済の中心と
どのような位置関係にあったのかを静かに物語ってくれるのだ。
昨日の夜、大家さんが日本のプリンシペッサ(お姫様)が
子供を産んだと我々に教えてくれた。
日本ではフェスタが開かれていると言っていた。
あれはいつだったか、昭和天皇の崩御をネパールの山の中で
ネパールのおじさんから聞いたことを思い出した。
また海外だ。
日本ではあまり感じないが、海外でこの手のニュースを聞くとき
日本は王国(天皇のいる国)であることをまた再確認する。
先日、ひょんなことからフランス人の若い男の子と話していて、
日本にはまだ王様がいると話したらびっくりしていた。
そんなもんだ、世界は変わっていく。
今日はのんびり起き出して、ナポリの海岸線を歩く。
このあたりからは、海とベスピオ火山、そして海に向かい傾斜していく斜面に
へばりつくようなナポリの街がとても美しくみえる。
やはりナポリは景色がとても綺麗なところだ。
海に沈む冬の夕日を観ながら、海岸線を歩く。
長崎やプサンの海岸線を思い出す。
山が海の際まで張り出し、そして人間が造りだした建物が
その山のラインに沿いながら小さく小さく景色に点点を添える。
それから、暗くなった喧噪のナポリの街に戻る。
今日は日曜なのにかなりのお店が開いている。
クリスマスはもうすぐだ。
また一週間が始まる。
朝はアカデミアへ。
午後は語学学校へ。
夜は奥村君と2人で近くのレストランテに出かける。
建築の話や舞台美術のこと、そして将来のことなど。
初めて奥村君とじっくり話しこむ。
なぜ、一年間仕事を休んだのか、どうしてイタリアに来たのか、、。
不思議な接点で今、我々はここにいる。
様々な事柄に共感しつつ、また違いを発見しつつ、
冬のナポリの夜に美味しいワインと魚のフリットを食べながら話し込む。
2人して遠く日本を離れイタリアの地で日本の演劇・舞台美術の進む方向を空想する。
21世紀はもう始まっている。
我々はなにを創り、どこから始めればいいのか。
今日は学校にトニーノ氏は現れず。
もう一人の先生レオナルドが逆に私に、今日はトニーノは来ないのかと聞く。
それを私が知りたい立場なのだが、、。
どうなっているやら、アカデミア、、。
午後工房に行ってみれば、トニーノ氏はローマにうち合わせにいったとのこと。
あと4日で現在たたいている物は積み込みだ。
工房も騒然としてきた。
最近ナポリは天気がよい。
しかし、空気は乾燥していて、朝晩はかなり冷え込む。
夕方5時にはもうあたりは暗くなる。
工房でももう屋内の作業場だけではすまないので屋外で暗くなるまで作業している。
仕込み直前はいずこも同じだ。
夜は明日の朝はやく奥村君がギリシャに立つというので、
3人で先日いった美味しいレストランテ(ベリーニ)にでかけることにする。
やはり、イタリアはなにより食が一番大切。
このお店はほんとに美味しい。
始めナポリで数件入ったレストランテはどこもオリーブオイルと塩がきつくて、
ナポリ料理は美味しいけどちょっと重いと感じていたのだが、
このお店はなんだか日本人好みというかさっぱりめで美味しく素材もとても新鮮だ。
今日は3人で食べたメニューを紹介。
まず、ワインはここのオリジナルラベル(D.O.C)のビアンコ。
プリモピアッティに海の幸のサラダ、
セコンドピアッティにペスカトーレのリゾットとプロシュート(ハム)と青菜の入った
ピッツア・マルゲリータ。
そして、コッツエ(ムール貝・レモン絞り)。
どれもおいしいので奥村君がセコンドピアッティ(パスタ)をもう一品追加。
私以外は食後にコーヒー(エスプレッソ)を飲んで、3人でしめて、120.000L(7.200円)。
これでもナポリの夕食にしては少々高い金額なのだが、日本に比べれば遙かに安い。
みなさま、ナポリに来た折りには是非一緒に行きましょう。
ここは、お勧め!!
奥村君は朝早く、ギリシャに旅立っていった。
私はアカデミアへ。
来週は教授(トニーノ氏)がローマでのオペラ公演で授業がなくなるので、今日は気合いが入っている。
2年生で課題をだいぶまとめた人が先生に見せに来る。
2年生でもやはり絵はうまい。
しかし、平面図を見て、先生が劇場の構造の話を始めた。
やはりまだ2年生だ。劇場のシステムがよくわかっていないのだ。
------------------アカデミアでの授業・イタリアのオペラ劇場の基本構造-------------------
間口の考えかた。天井を造らないこと、劇場にはバトンがあって吊るという考え方があること。
そして、イタリアの劇場、特にオペラの劇場の場合、ボーカシェーナが重要であるということ。
ボーカシェーナとは訳せば、シーン(場面)のボーカ(口)ということである。
いわゆる日本で言われているプロセニアムアーチにあたる。
しかし、プロシエーノといわれるのはイタリアの場合、
エプロン(劇場前面の床)のことを指すらしい。
このボーカシェーナをどう縁取るのか。
このボーカシェーナの間口をどう意識して埋めるのか。これをまず考えなさいと先生がいう。
そしてこの口を境に舞台と客席は出会う。
舞台は客席の前の上下の端の位置からの見切れラインにより、
パースペクティブをもって袖のラインが決まる。
同様に床がパースを持って、いわゆる開帳場になっていることが多い。
今回の課題はアカデミアの近くにあるベリーニ劇場(1800年代の劇場)を課題の劇場としている。
この劇場の舞台はは3°くらいの傾斜を持っている。(通常3°から6°の傾斜を持っている)
そして間口は可動の上下の壁面やカーテンで調整し、タッパはやはり可動のパネルやカーテンが
動くことにより調整できる。
そのボーカシェーナのエリアを決定しその内側をどうデザインするのか。
これが舞台美術家の重要な仕事の一つであるということ。
この2年生がもってきた平面はその劇場の間口を意識せず、
舞台の真ん中に天井の付いた四角い箱を置いたものだったのだ。
いわゆるインテリアになっていたのだ。
あるいは他の生徒でも全体のイメージがわかる一枚の絵を持ってくるのだが、
それが映画の一場面や風景のようになっている。
客席と舞台という発想そしてそれが出会う壁面・ボーカシェーナをどう捉えるか。
青年団はこの壁面を2次元ではなく、ゆるやかに変形する2.5次元くらいの不思議な流体と捉えた。
このアカデミアでの授業ではそれは、まず伝統的な舞台の発想から入る。
しかし、この見えない壁面、ボーカシェーナをどう捉えるか、
とういうのが舞台芸術において重要であるということには変わりないのだ。
舞台は映画や風景画ではないということ。
シェノテクニカ(舞台美術の技術)の本を見なさい、
そしてもっと実際の舞台を見なさいと先生がいう。
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今晩はナポリで知り合った、イタリア料理を勉強に来た日本人シェフが
料理をしてくれる。
我が家の台所を使い、料理を始める。
我々はその間、サラミと赤ワインをいただく。
前菜にまずズッキーネを炒め、それを酢につけた温かいアンティパスト。
メインに魚と貝の煮物。(これが最高に美味しかった!!)
そしてニンニクとトマトのスパゲッティ。
閉めのドルチェ(デザート)は須藤さんが買ってきた、ナポリのケーキ、ババ。
日本人によるナポリの素材を使った繊細なイタリアン。美味しい、美味しい。
ちょっと他では食べられない。
食も芸術。
そんなイタリアな夜が暮れていく。
なんだか最近、夜寝付きが悪い。
それによく夢を見る。
この天井の高い古いナポリの屋敷のせいか。
語学学校の若い先生がナポリはソンニョ(夢)をみさせる街だと言っていたが、、。
------------------ダブリン再び・キルメイハムジェイル----------------
そんな夜に先日見た、アイルランド・ダブリンのあの監獄をふと思い出した。
キルメイハムジェイル。
しかし、私がぼんやりと考えたのは
あの監獄に収監されていたアイルランドの英雄達のことではなく、
あの監獄を設計した無名の建築家のことだ。
あの監獄の形式はいわゆるパノプティコン(一望監視方式)といわれる形態をしている。
内部にアトリウムがありその周囲に同心円状に独房が3層に配置される。
だから中央にいる監視人には全ての独房が見える。
一方、独房の内部にいる人間にとっては常に視線の先に監視人がいることになる。
だから、常に監視されているという意識を伴う。
一方、舞台芸術が追求してきた、空間構成はこれとは逆の造りになっている。
この独房の側に観客がいて、監視人の位置に出演者がいるのである。
どの客の位置からでもなるべく、均等に出演者が見えるということが優先される。
そう考えるとこのパノプティコンという空間形式は劇場が追求してきた空間形式と
アンビバレントな関係にあるのだ。
だから、このパノプティコンという建築の空間形式は、見せ物小屋の発想を逆転した
いわば見る見られるの視線の関係における「空間のもつ権力」を成立させる形式といえる。
建築家はどんな思いで支配する立場である大英帝国の要求のもとあの監獄を設計したのだろうか。
やはり監獄は苦痛を感じさせるような造りにしようとしたのだろうか、
あるいは懺悔の念を起こさせるようなことを
あの独房の上方にある小さく穿たれた窓で発想したのだろうか。
一人が寝起きする最低のスペース。そして最低限の採光の確保。
脱獄不可能と諦めさせることを目的とした必要以上の壁面の厚さ、頑強な扉と鉄格子の表現。
この意匠はそう考えれば、その意匠によりあるイメージを抱かせるという点で
明らかにある種演劇的な要素を保持している。
あたりまえだが、通常の住宅を設計するとき建築家はエネルギー効率と快適さを考える。
そして意匠は付加価値的な要素として働く。
しかし、監獄の設計ではどうなるのか。
なにか、舞台美術に近い発想を感じるのだが、、。
この本当の主人のいない監獄という建築。
建築家はどのような気持ちで設計したのだろうか。
ぼんやりとこのナポリの暗い天井の高い大きな部屋であの建築を思い出す。
やはり、革命の士が銃殺された中庭の風景が頭に浮かんでくる。
頑強な石壁と空しか見えない空間構成。
そして風に乗りかなりの速度で流れすぎていくダブリンの雲。
あのキルメイハムの丘に建築家はどのようなビジョン(幻影)を見たのだろうか。
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今日は終日、工房へ。
明日土曜日に第一陣の積み込みがある。
今日のたたきはだから追い込みだ。
結局夜11時過ぎまで工房で作業は続いた。
夜遅いので、トニーノ氏が車で家の近くまで送ってくれる。
他の手伝いに来ているアカデミアの生徒も一緒だ。
なんだか、どこも仕込み直前は同じようだ。
トニーノ氏が最終チェックでづーと工房でうろうろとあっちで
指示を出しこっちで指示を出しとやっている。
イタリアでもこんな遅くまで、作業が続くとは結構驚きである。
しかし、なんとか明日の積み込みには間に合いそうだ。
ここまできたら折角だから、明日は土曜だが、私も明日の
積み込みに立ち会うことにした。
ああ、結局こっちにきても同じように時間はなくなっていく。
これが舞台美術の宿命なのか、、。