杉山至のイタリア日記

01/11/24(土)

久しぶりの休養日。
そろそろナポリを散策しよう。

現在住んでいる、ナポリの下町、スパッカナポリの
我が家から歩いて10分ほどの所にある考古学博物館へ向かう。
ナポリ王国、ブルボン王朝の宝といったらよいだろうか、
なんだかパリのルーブルや大英博物館を思い出す。
ヨーロッパの王国が競って集めたエジプト、ギリシャ、ローマの遺品達。
この博物館も基本的にはその遺品で成立している。

ただ、大英博物館やルーブルと違うのは、地元ナポリはギリシャ時代からの
植民都市、ネアポリス(新都市)であったということだろうか。
だから集められた遺品も実は地元の物が多い。

特にポンペイから発掘されたモザイクタイルの床や壁面の装飾はすばらしい。
よくもこの時代にこれだけの写実的表現があったものだと驚く。
遠近法を使った絵などもありそれにはさらに驚く。

現在のこの喧噪のナポリの下には確かにギリシャからの遺跡が眠っている。
そしてナポリの人々はなに食わぬ顔をしてその上を2人乗りのバイクで走り去る。
重層的な街ナポリ。

ナポリはほんと一筋縄では捉えられない、不思議な魔都の魅力がある。

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01/11/25(日)

昨日に引き続きナポリ散策。
今日は山の上にある美術館「カポディモンテ美術館」に向かう。
これも1800年代のナポリ王国ブルボン王朝の残した遺品で成立している。
成立しているというか、その時代に美術品を飾る為に立てられた宮殿がそのまま
現在一般に公開せれる美術館になっているのだ。

---------------カポディモンテ美術館・ナポリの風景---------------------

ここでは、中世からルネッサンス、そしてバロックと様式を網羅するように
丁寧に作品が集められている。
ベネツイアで感動したティツイアーノの作品も多数ある。
今回はミケランジェロの素描の前で立ち止まってしまった。
じっくりとミケランジェロが引いた線をのぞき込む。
なんだろう、この線の力強さは、、。どこからこの力がでてくるのか、、。

昨日行った考古学美術館では、ローマ時代にギリシャの彫刻を模刻したものが何点かあり、
それを観て逆にフィレンツエで観たミケランジェロのダビデ像を思いだした。
ミケランジェロもこれらの彫像をどこかで観たに違いない。

彫像の巨大さがそれだけでもつ力強さとギリシャ時代からルネサンスへ通底する
人間の生への賛歌。
ミケランジェロの作品とこのローマ時代の彫像は確実に繋がっている。
この石に刻まれた、この力はなんなのか。どこから沸いてくるのか、、。

そしてその疑問の糸口を内包している街ナポリ。

イタリアのルネッサンス以降の美術史を一応に網羅した作品を見つつ、
ナポリの姿が徐々に見えてくる。
これだけの作品の収蔵を可能にした、ナポリ王国とはどういった王国であったのか。

ナポリの街を歩くと解るが、
18世紀後半からこの街の主な骨格は変わっていない。
建物の高さ、ファサードの装飾、道の幅、石畳の道。
古くからある街の主な教会は殆ど全て18世紀に その時代の様式であるバロック様式に変更されている。
この時代、どう考えてもおそろしく豊かな王国だったに違いない。

我々が住んでいる建物も実はパラッツオ(お屋敷)だったらしくおそろしく天井が高い。
巨大な門をくぐって抜ける中庭にある階段もまるで宮殿のようなサイズである。
しかし、ナポリではこのような建物が街のあちこちにごろごろしているのだ。


この宮殿の美術館には現在最上階のペントハウスにイタリアの現代美術も展示されている。
そしてそのペントハウスの細長い窓からナポリの街が一望できる。

今日も晴れている。空がとても青い。
ナポリはとても美しい。遠くから見ている限りは、、。
やはり街というよりも自然が織りなすその原型としての山並みや海岸線だろうか、
この風景は確かに見たことがないほど美しい。
その山並みに黄土色や白色で塗られた建物がへばりつくように立ち上がる。
ベローナで感じたローマ人の作りだした都市軸が及びもしないこの自然の地形のスケールの大きさ。

しかし、この自然が作りだした大きなカタチにギリシャ人ははやくも植民都市として
グリッドを引く。
アゴラを造り、神殿を造り、そしてローマ人はその上にフォロを築き、劇場を築いた。
左にベスピオ火山、青い海の向こうにイスキアの島、この大きな地形の中に埋もれるように
ナポリのごみごみとした街並みが見える、教会のドームがその中に小さなアクセントを加える。

ナポリのゲニウス・ロキはどこにあるのか?

ギリシャからのこの重層的な都市の解体を試みる。

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01/11/26(月)

朝はアカデミアへ。
午後は語学学校へ。
平日のリズムが戻ってくる。

今日のアカデミアでの授業はなぜか、日本と中国と韓国から書道協会の人々が来ての講演であった。
どうやら、ナポリの外国語大学とアカデミアの共催であるらしく、
教室には生徒が溢れている。

騒然としたその教室の中で、まず中国の人が書を披露、続いて日本人が日本語の文字について解説、
最後に韓国の人がハングルを紹介、といった講演。
書や東洋の文化に興味のある人が集まっていたので、日本人である私は、
見ず知らずの人から自分の名前を日本語で書いてくれとせがまれる。
ちょっとした人だかりができる。
ああ、やはり日本は遠い国だ。

不思議な縁だが、講演で来ていた大学の先生方がなぜか四国の大学の方が多く、
徳島大学の教授にお会いした。
私の大学時代の友人、久保田君が現在徳島大学で助手をしているので
そのことを話たら、どうやら同じ学部との事。
ああ、世界は狭い。


夜は須藤さんが語学学校で知り合った中国語を話す日本人の若者と
彼のナポリの友達(彼らも中国語を話す)を家に呼んで、カレーを食べる。
ナポリ人とは思えない静けさ。
2人はペッペとマリオという。
須藤さんに言わせると彼らはとても中国語がうまいらしい。
カレーを食べながら、中国語でイタリア人と会話する。
私もがんばって聞き取ろうとするが、なかなか難しい。
というか中国語とイタリア語を聞き分けるのにまず必死。

日本人の彼は22才で健作君という。
小倉出身で2年ほど中国の大学に留学していたとのこと。
なぜイタリアなのか?
本人は日本に帰ったら家業の瓦屋を継ぐといったいたが、、。

ナポリはイタリアの中でも物価が安いといわれている。
だからなのかこのナポリにはちょっと変わった人々が集まってくる。

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01/11/27(火)

朝はアカデミアへ。
午後はトニーノ氏の工房へ。

不規則ながら、生活のリズムが出来てくる。

------------------アカデミアでの授業・1年生の課題、その他------------------

今日のアカデミアの授業は一年生は好きな画家の絵を一枚選んで、
それを拡大模写するという課題。

全部で4コマから5コマを使ってこれを行う。
まず、画家の作品をフォトコピー(A4サイズ)して、
それに方眼の入ったクリアなアクリルシートを当てる。
その方眼をA1サイズほどの画用紙に拡大して写しとり、
画家の作品を模写していくというもの。

鉛筆での下書きが終わったら今度はアクリル絵の具で色を載せていく。
この課題はだから、縮尺の発想を学ばせると同時に正確なトレースと
正確な色の感覚を身につけさせるというのが目的である。

また、授業が進むにつれて解ったことは、
この課題は画家のアイデアを探るという目的もあるということだ。

画家がどの範囲の色域をつかい、階調としてどのレベルまでその作品に表現しているのか、
また、どこから描き始めたのか、その色は下から塗ったのかゆっくりと塗ったのか等々。
トレースしていくうちに、画家がその作品を描いた時の息づかいを感じるということだ。
それが、結局最終的に仕上がった学生のトレースの作品の全体的な雰囲気を左右する。
これは、なかなかおもしろい課題である。

2年生は今日はお休み。
3年生と4年生は今後の課題に向けて、教授(トニーノ氏)と面談。
イタリア人はやはりだれでもしゃべるのが得意なのか、これがとても長い。
ともかく、しゃべってイメージを伝え会う。
しかし、これはとても重要なことだ。

私が日本で行うワークショップでも個人が考えている空間のイメージを伝えるためにまず、
アイデアを言語化して意見を出し合うことをする。
あるいは他者との認識のズレを発見するということを行う。

デザインや空間は完成すれば客観的に存在するので
最後は視覚的にはそれをもって他者と了解したつもりになる。
いわゆる「百聞は一見にしかず」ということだ。
しかし、それを発想する段階ではまだその「一見」は各々の頭の中にしかなく客観化されていない。
その段階でどう他者と意見を交換し、あるいは同意を得ることができるか、
というのが発想段階での重要な課題となる。

デザイン系の授業の難しさはそこにある。
個人各々が持つ言語と視覚的あるいは空間体験的イメージをどのように結びつけるか。
それはプレゼンテーションを上手にしろとか、説明的になれということではない。
言葉を使い描いた視覚的なイメージと言語を往復することにより初めて、
イメージがあるカタチを持ち始めるのだ。

スケッチや言葉や模型や実際の大きさの物を総動員してでも他者と対話することにより
ある一つのカタチを創りだすことが目的なのだ。
私はそこからしか発想の可能性は開かれないと考える。


ある人が木の下で語り始めた、それがおもしろいのでそれを聞きに人が集まってきた。
この木の下の教師と集まった人々、それが学校という空間の始まりであると語ったのは、
建築家ルイス・カーンだ。
ルイス・カーンが抱いた様々な空間の「原初」のイメージ。

空間がその本質にもつ「原初」のイメージを考えよう。
それをどのように皆の頭の中に浮かび上がらせることができるのか。
そこにはやはり、始めに光りがありそして同時に言葉があるはずだ。

まだ、半分も解らないイタリア語での授業を聞きながら、そんなことを考える。

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01/11/28(水)

午前中はアカデミアへ。
午後は語学学校へ。

今日のアカデミアの授業は引き続き一年生は模写で、
あとは4年生と3年生が若干名来ている。
教授との面談を待っていたのだが、教授(トニーノ氏と助手のレオナルド)は
教授会とやらでまた途中でいなくなってしまった。

ぷらぷらと教室をうろついていたら、4年生が話しかけてきた。
おきまりの日本語で自分の名前を書いてくれ、というところから入り雑談へ。
4年生はさすがにまとまりがあるような印象を受ける。
今回の卒業製作ではブレヒトの演目を取り上げる予定らしい。
俳優はもう決まっているのかときいたら、これから集めるのだと言っていた。

アカデミアの場合、他の学科に俳優やら声楽やら彫刻やら全ての美術・芸術系の学科があるため、
そこから人を捜してきては、コラボレーションを行うらしい。そこがおもしろい。
トニーノ氏に聞いたところ、アカデミアの学生は全部で2000人くらいではないかと言っていた。

演劇学科というよりは、芸術学部という枠組みなのだ。


午後は語学学校へ。
ベネツイアとは違いこの語学学校はシステマティックでいわゆる普通の学校といった印象を受ける。
授業が終わればみなすぐ帰る。
ああ、ベネツイアが懐かしい。

今回私は午前中にアカデミアでの授業があるため、3ヶ月コースの午後のクラスを取っているのだが、
このクラスの他のメンバーが、
メキシコ人とスペイン人の若い女の子とスペイン語がぺらぺらのドイツ人のおばさん。 それに現在ちょっと休んでいる、イギリス人の教授に私という構成。
スペイン語とイタリア語は同じラテン系の言語で、かなり似たところがあるらしく、
スペイン人とメキシコ人の女の子は上達が早い、だから今回は私は必死で付いて行くといった状況。
ああ、大変だ。


夜は、午前中のクラスで須藤さんが知り合った日本人の女性とその人が現在住んでいる、
家(日本人が4人住んでいる)にてラーメンを食べる会が開催される。

結局集まったのは日本人7人。
こちらに長くいるダイスケさん。
上智大学からこちらナポリの外国語大学に交換留学で来ている女学生。
それにこの家の住人のうちの2人、お菓子を勉強に来ているイズミさんと
19才!!のヨシエさん。
そして我々2人という構成。
ダイスケさんの特製トリガラスープで、中華の麺(なんだかうどんのような)を食べる。

ナポリはやっぱりなんだか変だ。

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01/11/29(木)

今日は午後の語学学校のみ。
しかし、毎日いそがしい。
なんだか、日本のあのくそ忙しかったリズムにだんだん戻っているよな、、。
これはやはり私の性格のせいなのか、、。

今日はベネツイアで会った、舞台美術家の奥村君がシエナ、フィレンツエと経由して
ナポリに来る日である。
ナポリに着いたら電話するとのこと。
奥ちゃんはナポリを拠点に近郊に出かけるらしい。

奥村君とは結局夕方駅前で出会い、
我々が住んでいる部屋の隣の部屋が現在空いているのでそこに1週間滞在することになる。

3人で夜は近くの有名なイタリアンの店・ベリーニに出かける。
最近、中華やらラーメンとイタリアンから離れていたせいかとても美味しい。
実際、ナポリの料理はおいしいのだが、ちょっと油がきつすぎる。
街ゆく人々を見れば一目瞭然。
他のイタリアの都市よるもかなり太った人が多い。
このオリーブオイルの量は我々にはちょっと辛い。
しかし、このベリーニはさっぱり系でとても美味しい。
ベリーニのラベルの付いたD.O.Cの白ワインとともに、再会を祝う。

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01/11/30(金)

今日は朝から奥村君を連れて、トニーノ氏の工房へ向かう。
晴れた冬の朝だ。
しかしナポリは暖かい。
トニーノ氏に奥村君を紹介して、二人してぼちぼちと作業に加わる。
ああ、この環境は!、、。
奥村君が叫ぶ。
日本でなんで、図面を引いていて、いやになってしまったか、なんだか解ったという。
いわゆるこのようなタタキの現場にいないかったからだと、、。

-------------トニーノ氏の工房・ナポリ舞台美術の仕事・1-----------

トニーノ氏の工房はほんとに恵まれていると思う。
タタキ場と図面を描くスタジオが一緒にあり、
アカデミアの生徒さん(舞台美術家志望)や卒業生が木工の大工さんに混じって働いている。
そしてそのすぐ脇でトニーノさんがヨゴシのテクニックを教えながら作業をする。

これは考えて見れば当たり前の環境なのだ。
しかし日本ではこうはいかない。

大道具の工房は職人さんがいて彼らは舞台美術家とは違う立場にいる。
分業と棲み分けが明確になっている。
だから美術家は図面のみ引いて、大道具さんに発注した道具がその通りできているか
最後に確認に行くということを行う。
それがどういう構造でどういう仕組みで出来ていようが、
最終的な仕上がりがそう見えればいい。
材料を管理して大道具の予算がどれくらいになるのかというのは、
舞台美術家の仕事ではなく舞台監督の仕事になっていたりする。

そして職人さんたちはその美術家がどれくらいの思いで図面を引いていようが、
それは一つの作業の流れの中にある。
様々な分野に携わる人々が一つの作品を一緒に創り上げていくということが
重要である演劇の現場から視ると、この部分だけは別の働きをしている。

しかし、このトニーノ氏の工房は違う。
彼が全て管理している。
デザイン図面を引き、専属の大道具スタッフと話しをして、
どういう造りにするのか、道具帳までトニーノ氏が引き、
それを大道具スタッフの棟梁とともに現場で創り上げていくのである。
だから常にトニーノ氏は上のスタジオで図面を引きつつ、この工房に降りてきては指示を出している。

私も物を創り上げる現場はこのようにあるべきだと考えている。
そして、突貫屋や青年団の現場ではそのようなシステムを確立すべき努力してきたつもりだ。
しかし、このシステムは日本にはまだ明確なカタチでは存在していない。

奥村君の目が輝く。
これは理想の環境だ。私もうなずく。

トニーノ氏の工房では学生も職人さんもトニーノ氏も毎日昼飯は皆で一緒に同じテーブルで食べる。

以前、私が早稲田の夜学でお世話になった斉藤先生が書かれた
吉坂 隆正の仕事についてまとめた本を読んだとき、
吉坂がベネツイアのビエンナーレ日本館を設計し、現場を管理していたとき(1960年代?)、
職人さんたちと共に昼飯を野外に仮設した大きなテーブルで食べている写真があったが、
あれを思いだした。

建築家は本来現場が始まれば、現場の仮設事務所に常駐して、
現場で変更したり新しく出てきた問題に対し常にその場で図面を引き直し対処して、
職人とともに新たなカタチを創り上げていく。


我々はナニを創り上げようとしているのか?
このイタリアのトニーノ氏の工房でやはり日本の事を考える。

ここには人間がいて、人間の手が介在して、対話があり、創造がある。
現場こそが常に創造に満ちているのだ。

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