杉山至のイタリア日記

01/11/10(土)

今日は朝からトニーノさんの工房兼スタジオに出かける。
朝9時半頃ホテルに迎えに行くと言っていたのに、
トニーノさんは全く来ない。
10時まで待って電話してみる。
10時40分位にホテルに行くから、と明るい声。
ああ、ナポリタイム。
これから先がまた思いやられる。
トニーノさんの車でスタジオまで。
ナポリの中央駅からだと、渋滞もあるが車ででだいたい20分くらいのところである。
ナポリの小さな工場が集まった地帯だと彼が説明する。
東京でいえば、さしずめ川口あたりか芝浦あたりといったところか。
トニーノ師匠の工場はでかい。

一階(地階)がいわゆるタタキ場で2階が絵描きスペース。
その一角を中二階にしてトニーノさんの仕事場と事務所がある。
舞台美術の工房はいずこも同じ。
ここには他にバレー専門の工房なども同居している。

窓からは工場の向こうにナポリ湾が見える。
しばし、歓談。
昼過ぎに私たちは昨日語学学校で紹介してもらった物件を見に行く。
スパッカナポリのど真ん中。
ああ、ここはどのような地域なのだろうか。
一抹の不安がよぎりつつも、大家のアマンダさん(女性)を呼び出す。
どうも、我々が住む予定の物件はアマンダさんのヨガ道場といっしょらしい。
大家さんはとても感じがいい。気さくな人だ。
ヨガも教えていて、学校でイタリア語の教師もしているらしい。
テキパキと家の説明をしてくれる。
明日からここに荷物を持ってきたいのだが、問題ないか?
どうぞ、どうぞ。
すんなり、この物件に決めてしまう。
ナポリ滞在2日目にして住むところ一応確定。
ああ、ベネツイアよ。あの大変さとは大違い。
ただ、隣というか、我々の部屋の先にヨガ道場がある。
あやしい、敷物。天井には布。
掛け軸のある祭壇。
ああ、あやしい集団でなければよいが。

夜は、ベネツイアの語学学校で知り合ったアイコちゃんが
ローマからナポリに来ているというので、一緒に食事をする。
ナポリの美味しいトマトと貝の入ったスパゲッティを食べる。
それに魚。
それにしてもナポリのこのちびトマトはとてつもなく美味しい。
ちょっと甘みのある酸っぱさ。
危険な街ナポリの不安な夜も、なんだかこのおいしさで元気になる。
明日はいよいよ、ホテルから引っ越しだ。
重い荷物は引きずって、スパッカナポリ(ナポリの下町)を横断しなけらばならない。
ああ、これが一大イベント。
どうなることか、、。
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01/11/11(日)

ホテルのチェックアウトタイム11時までウダウダと過ごす。
大家さんとの待ち合わせが昼の1時なので、
ゆっくりとロビーで時間をつぶして、体力と気力を温存する。
12時半。いよいよロビー出発。
日曜の街はなんだか異様に混んでいる。
途中通りかかった、道が物凄い人混みだ。
ナポリの名物、クリスマスの飾りを売っているお店がその道に
軒を連ねている。
ああ、しょうがない。ここを通っていくしかない。
一人あたりほぼ30キロ近い荷物をゴロゴロと転がしていく。
異様な緊張感。
道行く人全てが信じられなくなる。

きっと外国人が日曜日の浅草の仲店通りを重い荷物を引きずって移動しているようなものなのだろう。
それでもなんとかがんばって目的地に到着。
無事、新居に入る。
おきまりのトイレ掃除から食器洗い。
冷蔵庫の掃除等々。

不思議な感じの住居だ。この場所は。
詳細は後日記述。

一端街に出て、近くにあるナポリの世界遺産、
地下の都市(ネアポリス)の洞窟を見に行く。
そこは古代の石切場だ。
巨大な洞窟がナポリの地下に眠っている。
それも巨大な一枚の岩盤の中に。

いまだ、このナポリの街は捉えきれない。
いままで見てきたトスカーナやベネトのあの
視覚的に明確な都市のイメージが掴みにくい。
ギリシャ、ローマの街の上に築かれ、スペインに占領され、
公国として栄えた時代の意匠を引きずっている、重層的な街。

ゆっくりと解析するしか手はない。
ナポリのゲニウスはどこにあるのか、、。
これはとても楽しみな探検だ。

夜は昨日通りかかったとき見つけておいた中華レストランに入る。
チンジャオロースと白ご飯。
お腹にやさしい晩餐。
ナポリのこれからの生活の無事を祈って乾杯。
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01/11/12(月)

陸の孤島。
ネットワーク上のロビンソン・クルーソー。
いまだにナポリでE-mailの送受信に成功していない。
これは凄いストレス。
なんといったらよいのだろうか、見えない不安というのか、、。
ナポリにいれば、怖いナポリというのも自分の目で確認できる。
我々はここにいるのだから。
しかし、このネットワークの不通というのは、なんだかとても不安になる。
いま、その世界はどうなっているのか。
見えないもう一つの世界が断絶する。
見えない恐怖。
イタリアの貸し物件には大概電話が付いていない。
この物件も電話はあるのだが、着信専用だ。
電話局の精算がとてもルーズで請求書が6ヶ月くらい遅れてくるという実体がその背景にある。
だから大家さんは怖がって電話を付けない。
その替わり携帯電話はほぼ日本と同様に普及している。
若者はほぼ皆携帯電話を持っている。
しかし、コンピュータの普及率は低いらしく、
個人でパソコンを所有してインターネットを行っている人はまだ少ないようだ。
だから、携帯電話で通信するシステムも殆ど発達していない。
携帯電話のショップに行って聞いても、マック用のそんなものは無いといわれる。
これからどうしよう。
語学学校では電話さえ貸してくれない。
トニーノ師匠の工場では試させてもらったのだが、ナポリのローミングサービスの
番号にまったくかからない。
ああ、
ネット上のロビンソン・クルーソー。
いつ届くとも知れない長い手紙を書いている。
しかし、それはロビンソンと同様に自分が今どこにいるのかを確認するための重要な作業なのだ。
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01/11/13(火)

3ヶ月目にしていよいよ本格的に研修がスタート。

トニーノ師匠はなかなか凄い。
月、火、水の朝ナポリのアカデミア(美術大学)に講義に出かけ、
午後は彼の工房で図面を描き、作業の指示をして過ごす。
基本的に工房は月曜日から土曜まで機能。

講義はどうやら今日が初日らしく、各学年(4年生までいて総勢30名くらいか)
ごとに集めては今年度の授業方針を説明する。
トニーノ氏は一人で4学年全て教えているわけだ。
肩書きは教授である。(その気さくな人柄からはちょっと想像出来なかったが、、)
どうやら、とても人望が厚い先生らしい。
生徒がみな彼の話に熱心に聞き入っている。
私はその脇に座り、各学年との懇談を横で観察。
ああ、まだ30〜40パーセントくらいしか話している内容が解らない。
先は長い。
ただ、やはり内容が舞台美術のことなので、とても興味深い。

私は彼のしっぽになって行動する。
月、火、水の朝は一生徒としてアカデミアの講義を聴講。
その後、彼の工房に出かけ、研修。
そして月、水、金の午後は語学学校に通う。
こんなスケジュールでナポリは過ごすことになりそうだ。
トニーノ氏の話では、アカデミアの授業は6月までで、
4月、5月、6月は実習に入るとのこと。
またトニーノ氏の仕事の方は、大きなところでは
まず12月にローマでモーツアルトのオペラ三作同時上演があり、
4月と8月には日本公演があるとのこと。
学校で教え、自分で工房を持ち、もちろんデザイン図面から道具図面も引いて
構造も考える。工房内にスタジオをもち、そこからさまざまな作業の指示を出す。
昨日はローマ、明日はナポリ。そして日本。
忙しく働くトニーノ氏。
こんな美術家がイタリアにもいるのだ。

タタキも行い、現場も自分で仕切り、デザインから一貫して
美術製作を行う我々突貫屋のスタイルは間違っていなかった。
ここにその先駆者がいるのだ!!

トニーノ氏の工房に向かう彼の車の中で、私も自分でタタイて
装置を作っていると話したら、彼は
「それが舞台美術家には一番大切な事だ。
実際の製作の作業現場で働く事を通してしか舞台美術家になることはできない」と。

果てさてどうなる、ナポリでの研修。
11月のナポリの空はどんよりと曇っている。
しかし、気候はかなり暖かい。
夜もまだ毛布と薄いシーツで過ごしている。
今日は朝から雨が降っている。
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01/11/14(水)

昼過ぎまで、ゆっくり過ごす。
アカデミアの教授会に出席しているトニーノ氏を待って昼過ぎにアカデミアに向かう。
しかし、いっこうに現れる気配なし。
一度家に帰る。
携帯電話も繋がらない。
今日はトニーノ氏の工房にいくのをあきらめる。
ナポリの時間がルーズなのか、トニーノ氏がルーズなのか。
おそらくその両方が重なって複雑な計算式になっているのだろう。
とりあえず、いろいろと気長に待つしかない。
しょうがないので、2人で夕方買い物に出かける。
語学学校の事務の人に聞いた少し大きめのスーパーに行ってみる。
ナポリの山側、フニクラーレ(ケーブルカー)でいった山側だ。
しかし、行ってみてびっくり。
我々が住んでいる下町とは大違い、新しく(といっても80年代くらいか)
開発された住居地域が広がっている。
住んでいる人たちもなにげに上品だ。
ちょっとベネツイアを思い出す。

少しずつナポリが見えてくる。
旅行ガイドには載っていない、ナポリの生活が見えてくる。
我々が今住んでいるところは、東京でいえば神田だ。
中央に取り残された、古い住居地区。
コンビニの流通革命によって東京ではもう死滅した小さな商店が軒を連ね、
小さな町工場が至ところにある。

この文化はいつまでつづくのだろうか。
山をおりて、海側からナポリの街を見ると
旧市街の向こう駅の北側に高層ビルが建ち並んでいる。

ここにはベネツイアのような、死の影は見えない。
ここナポリは、まるで今の中国の街のように、現在も物凄い勢いで変化している。
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01/11/15(木)

今日もナポリは曇り。
午後語学学校の授業に出かける。
今日も先生は仮の先生。
今度はなかなか名前を覚えてもらえない。
授業後、朝のクラスの日本人の人と待ち合わせ、街をふらつく。
コックさんとその妻。
しかし、二人とも私より若い。
ナポリに来てまだ2週間とのこと。
最初語学学校でイタリア語を学んで、それからコックの修行をする予定らしい。
3〜4年このイタリアでがんばると言っていた。
夜はダンテ広場の近くのピッツエリアで食事をする。

実は現在住んでいるヨガ道場の家はやはり少々問題があってそれが
かなり生活のリズムに影響を与えている。
先日、隣に住んでいたフランス人の女の子が今週でパリに帰ってしまう
のでこの家で軽く友達を呼んでフェスタを行っいたのだが、
ちょうどヨガの授業の最中で大家さんが静かにしろと押し掛けてきたのである。
翌日、大家さんから我々住人に宛てて手紙が置かれていた。

内容は
1・友達を夕方から夜遅くに呼んではいけない。
2・たばこを吸ってはいけない。
3・ヨガの授業の間(月、水、金の夜7時から10時まで)は静かにすること。
以上である。
さすがにこの内容にはみなカチンときて、新しく入ったフランス人の20才の男の子は
早速大家のセニョーラ・アマートに抗議をしたらしく、
たばこは台所のみOK。友達に関しては全面的に呼んでもよいことにさせたらしい。
ただし、ヨガの授業の時には静かにするということは了承。

友達を家に招いて食事をし飲んでしゃべることを大切にする、
それがイタリアの文化だと思っていた私としては、
さすがにこの第一の事柄には納得できなかった。
イタリアにいる限り、友達になれば早速夜家に招いたり一緒に食事に出かけたりするのに、
我々だけ友達を家に呼べないとなればそれは、日本人が変ではあると思われてしまう。
それは困る。
郷に行けば郷に従えとあるが、この家はイタリアの慣習には従っていないのだ。
困った、困った。
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01/11/16(金)

今日は朝から工房に出かける。
じっくり作業を観察。
やはりなかなか勉強になる。
伝統的な手法と現代的な技術。それがうまく機能している。
工房での作業に関しては順次報告していきたい。

現在は来月ローマのテアトロ・アルゼンチーノで上演されるモーツアルトの
le Nozze di Figaro とCosi Fan Tuttoの道具を製作中である。
上でトニーノ氏が図面を描き、下に来ては木工の親方に指示を出し、
ヨゴシのテクニックを手伝いに来ている若い学生などに指導する。

午後は一度家に戻り、郊外にある大型ショッピングセンターに買い物に出かける。
これがまた一苦労。
まず地下鉄の駅を探し、今度は降りるべき駅を乗客に聞き、降りた駅が
以前語学学校で教えてもらった駅より一つ先の駅だったらしく、
結局歩いて一駅もどり、バスの運転手を捕まえてどのバスがこのショッピングセンターに
行くか聞いてバスに乗り込み、これまたどこで降りていいか解らないので窓の外をづっと
見て、地図で教えてもらったそれらしいところで降りる、、といった始末。
イタリアは全てこのように事が運ぶ。
誰か知っている人に聞かないと自分では発見できないようになっている。
住んでいる人にはとても便利な街であるが部外者にとってはとてもわかりにくいようになっている。

結局苦労して辿り着くも、あまり期待していたものが無く、服と少々の生活雑貨を買って戻ってくる。
今日はイタリアで初めての地下鉄。
なんでも初めての日はとても疲れる。

夜は明日パリに発つ、隣室の女の子がまた友達を呼んできて、少々談笑。
彼女はまだ19才。ナポリを離れるのをとても寂しがっていた。
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