今日は昼前にパドバへ、奥村君と3人で向かう。
ベネツイアから電車で30分、ベネト地方の小都市である。
しかし歴史的には古く、ガリレオが教えていたパドパ大学があることで有名な都市だ。
--------------------Padovaの街並-------------------------
何カ所か興味をそそられるスポットを選んで街を歩く。
しかしどれもあまりパットしない。
ベローナの街を観てしまったからか、なんだか街の求心力の無さを感じてしまう。
ベローナと同様、古代ローマ時代から続く歴史があるらしく、
古代ローマの劇場跡もあったりする。
しかし、それも、ベローナほどの力強さを持っていない。
街全体がなんだか中途半端である。
第二次世界大戦で爆撃を受けたせいもあるだろうが、
旧市街と新市街が微妙に入り組みつつ現在の中心を形成している。
街の求心力の無さは街を流れていく川が運河というせいもあるかもしれない。
人工的に引かれた運河、微妙なモダン建築と中世の街並み。
なかなかとらえどころのない街である。
おそらく、15世紀以降ベネツイアに占領されていたという歴史も
街の性格に左右しているのではないだろうか?
街で唯一大きな聖堂サンタントニオ聖堂に向かう。
これも不思議な折衷様式の聖堂である。
8つのドームはビサンチン様式を見せ、その下部、三身廊を支えるアーチはゴシック様式である。
また、祀られている聖人がイタリアでも最も有名な聖人の一人であるため、
壁面の各々の祭壇が様々な様式でおそろしく飾り立てられている。
まるで、仲店通りである。
大学の都市パドバ。
コペルニクスやガリレオが講義した街。
その自由で進出の気風がこの街の原型を形づくったのだろうか、
だから、金持ちであるとか支配者層により形成された整った街のイメージよりも
折衷的で様々な時代の要素が混在したなにか庶民的な感じがする。
それが古いポルティコの中にならんだ現代のモダンなお店の内装にも通底する
パドパらしさなのかもしれない。
今日はのんびり。
天気がよいので、午後街に出かける。
もう、ベネツイアでの日数も残り少ない。
そう思うと、なんだか、まだ見たりないところが一杯あるきがしてくる。
何気ない風景を写真に撮ってしまったりする。
駅の近くゲットー発祥の地に行ってみる。
なんだかパットしない。
パットしないというのもなんだが、
以前プラハで見たことがるゲットーのようなものを想像していた私にとって、
それはあまりに普通だったのだ。
普通とは、ベネツイアの他の街並みと殆ど変わらないということ。
確かにこれが、古いゲットーの建物です、という写真に写っている
建物をみれば、確かに他のベネツイアの建物に比べ、高さの割に
階数が多いということはある。
しかし、いやに密集してたっているだとか、明らかに使っている素材が
違うということは無く、ベネツイアの他の地域の広場と同じような
雰囲気になっている。
実際にベネツイアにおいて、ユダヤ人がどのように暮らしていたのか
不勉強な私は知らない。だが、このゲットーを見ると
ベネツイアという国がその当時からいかに国際的であったかということが
なんとなく見えてくるのだ。
今日から奥ちゃんが、我々が通っていた語学学校に行っている。
ああ、時代は巡る。
私はプッパ先生の授業に出る。
午後は語学学校の新規企画、
オリガミ教室にオリガミを折る方で参加する。
イタリア人の主婦?(尼さんも2人ほど参加)
を前にして、オリガミを折る。
なかなか緊張。
私はむかし母からならった我が家に伝わる
「宝船」を折る。
これをうまく変形するとこちらのゴンドラになる。
なかなか好評。
オリガミは日本の神秘の一つのように考えられている。
確かにそうかもしれない。
折り手として参加した我々日本人5人は皆、なにかしらを折れたし
紙を使って殆どの子供は親から様々な折り方を教わるのだから。
今の若い日本の家庭はどうなのだろうか。
小さな文化だが、日本人の精神性がその中に見える。
オリガミは実はとても深い文化だ。
アメリカの戦争の煽りを受けて、この語学学校も当初予定していたより
参加者が少ないらしい。だから外国人であろうとイタリア人であろうと
様々な企画で参加者を増やそうとしている。
ベネツイアの観光客もかなり減っているらしい。
思わぬところでも戦争の被害は出ている。
隣では、
須藤さんが鶴を折り続けている。
今日は雨模様。
でも、東京の11月より明らかに暖かい。
海流のせいか、風があまり吹かないせいか。
ベネツイアの静かな11月。
今日はプッパ先生の今学期第一回講義の最後の日だ。
そういえば、この講義中先生は一度もイスに座った事がない。
生徒に寝る暇も与えない、情熱的な授業。
最後はダダイズムの後期、メタテアトロといわれる部類の作品を
実際に活躍している知り合いの俳優を連れてきて、朗読させる。
講義の最後には学生から大きな拍手が興る。
内容はいまだ、良くわからないが、素敵な授業であり、貴重な体験であった。
プッパ先生を紹介してくれたキアラさん、それにプッパ先生、ありがとうございます。
今日は先日、ベローナで観た、カルロ・スカルパ設計の美術館、
カステル・ベッキオについて考えてみたい。
------------------------Castel vechio Museo-----------------
いきなりだが、美術館の展示内容にはそんなに惹かれるものはない。
いや、逆にスカルパのディテールが凄すぎて、展示を観ているどころでは
無くなるのも事実だ。
それくらい内装に気合いが入っている、そんな美術館である。
とりあえず、こんな凄い内装観たことがない。
スカルパに興味のある人は絶対観た方がいい、いや観るべきだ。
突貫屋の斉田君なんか観たら、数日は帰れないだろう、
そんなに凄い。
しかし、凄すぎてどこから記述してよいやら、、。
ともかく全てにため息が出る、そういうディテールの集合なのだ。
とりあえず、分析してみる。
・職人の技を生かした、極限的なディテールの表現
・カステルベッキオという古い中世の城の外観と空間を最大限保存し
活用した「対話のある空間」構成。
・これは内装ではない、スカルパの思想だ。
私にはこの3つに集約される気がする。
まず、第1について。
これは、日本で出版されている多くのスカルパ関係の本が取り上げている通り。
ディテールの人スカルパをこの美術館で堪能できる。
それはたとえば、絵を飾るための背景のパネル一枚にもその精神が宿っている。
周囲をフラットスティールで押さえ、その内部にコンクリートを打ち、それをさらに
彩色してテラコッタ風に仕上げ、それを真鍮の金具とフラット
スティールでスカルパ得意の直線の集合による3次元的構成で床から立ち上げる。
この手の込んだパネルが、一枚の絵を展示する為の背景のパネルなのだ。
金具一つにしても、戦後すぐ日本の50年代の住宅建築で試みられたような
建築家が一からデザインした実験的サッシュがそうであったように、
どのディテールにもスカルパ独自のデザインが息づいている。
それをみると、現在の大量生産される工業製品のもつディテールが
なんだか、寂しげな無味乾燥としたものに見えてくる。
ディテールに神が宿る、これはミースの言葉だが、スカルパのディテールには
職人の国イタリアの中世から続くその精神が宿っている。
そして第2の空間について。
これは、やはり写真では解らないものの一つだ。
スカルパのディテールにはアップのすばらしい写真がいくつもある。
しかし、スカルパが作りだしたこの空間の質はやはりこの場所で、自分の
体で感じないとわからない。
その一つが、丁寧な既存建物との対話といったらいいのだろうか、
それを感じる。
既存建物の部屋割とその歪んだ形態はそのままにして、スカルパはそこに
正方形グリッドを持ち込む。
まるで、発掘された建物を方眼紙にトレースするように、
スカルパの思想をこの建物にぶつけている。
それが、しかしこのカステルベッキオの微妙な揺らぎを見事に捉える。
そしてスカルパのカタチがゆっくりとこの建物と対話を始める。
展示の最後の方で見た7センチづつセットバックしていく壁面に気づいた時には、
空いた口が塞がらなかった。
この城は川に沿って建てられている。
そして、その川を自然の要塞としてそれに沿うように切り立った壁面を持っている。
そしてその壁面は川のうねりとともに緩やかに折れて続いていく。
その折れる微妙な角度の壁面のラインと呼吸をともにするように
それに直行するように持ち込んだテラコッタ風仕上げのコンクリートの巨大な
壁面が一枚ごとに7センチづつ短くなっているのだ。
静かに確実に、微妙にしかし大きなリズムを持って。
そしてそれを床面のスカルパ得意の矩形に折れ曲がる模様がさらにトレースする。
スカルパという偉大な指揮者が振る指揮棒の微かな震え。
それが醸し出す、絶妙のハーモニー。
それを聞くものは、観るものは、ただ静かに息をのむ。
この建築にはスカルパの思想が生きている。
ここに空間がある。
ここに建築がある。
これは写真には写らない。
この語り得ぬスカルパの作品を前にして、ただ、ただ私は沈黙するしかない。
最後に入り口の取っ手のディテールを撮り、その取っ手に手を掛けてみる。
人々がいて、日々の生活があり、その毎日の静かな喜びがカタチとなる。
そうやって生み出されたディテールは通奏する静かなリズムを奏で
一つの偉大な交響曲を形作る。
外に出ると、この城の目の前にローマ時代の城門がポツンとある。
この城門の下ローマ時代の黒い敷石に轍が残っている。
構築への意志。
この轍はどこまで続いているのだろうか。
明日の夜、深夜にベネツイアを後にする。
それで、今日は最後のフェスタを家で開く。
2ヶ月もあっという間。
けれど、かなり友達が出来た。
今日のメンツは
日本人が諏訪君、細野さん、和田さん、ユウコさん、こちらのレストランで働いている
タカシ君、それに奥村君と須藤さんと私。
イタリア人が諏訪君が連れてきた、マルコ、ジュンコ(以前会ったハーフの女の子)
とその彼氏(ジョバンニ)、語学学校のセルジョ、アンナ、リザ、マッシモ、以上15人。
狭い部屋を奥村君と私でなんとかこの人数対応できるように整える。
料理はすべて須藤さんが、、。
得意の中華x日本風の料理で皆の好評を博す。
7時から夜11時まで。
にぎやかなパーティは続きました。
今日はベネツイア滞在最後の日。
朝から色々と動き回る。
まず、郵便局に行き、こちらで購入した本を日本へ送る。
次に我々が移動するので、出ていかなければならない奥村君の次の受け入れ先、諏訪邸を訪ねる。
諏訪邸に少々荷物を置かせてもらう。
夕方帰宅して大掃除。
それから、ベネツイア最後の夜に
タカシ君が働いているレストランへ。
チケット(ベネツイア特有の魚貝、野菜の前菜)がとても美味しい。
イカスミパスタ、と蟹ミソのパスタ、それに白ワイン。
ああ、ベネツイアを離れるのは、やはりさみしい。
11月のどんよりと曇ったベネツイアの空、肌寒い湿気を含んだ空気。
バポレットに乗り、カナル(運河)から見上げるパラッツオも
曇り空の下、少々寂しげに見える。
これも、ベネツイアの風景だ。
この小さな島全体が薄いモヤに包まれて、ひっそりと息を潜める。
そんな真夜中に駅へ向かう。
夜行でナポリへ。
しかし、ここで大きなトラブル発生。
EN(ユーロノッテ)という夜行列車に乗りナポリに向かうべく、
前々日に購入しておいた指定席がいわゆる寝台ではなく、普通の席であることが
判明。
そのつもりで購入したのだが私の説明が悪かったのと、寝台車の仕組みを知らなかったのが
問題の原因。
ところが、電車が到着してベネツイアを出発するまでの20分の間に、
見送りに来てくれたマルコ、諏訪君、奥村君が大活躍。
マルコが車掌と交渉して空いている寝台(クシェット)を押さえてくれる、
その間、諏訪君と奥村君が我々の重い鞄をエンエンと普通の座席から寝台車に
運んでくれる。
ああ、何っていったらよいやら。
日本を旅立つ前に見送りに来てくれた人たちを思い出す。
そういえば、スズケンが成田まで運転して来てくれたな、、。
今回もここベネツイアで2ヶ月まえに知り合った友達が見送りに来てくれる。
感謝。感謝。
少々値は張るが、快適な2段ベッドの個室クシェットでナポリまでの深夜の10時間を過ごす。
揺れる電車の中で、知り合った人達の顔を思い出す。
さよならベネツイア。
朝10時、電車はナポリに到着。
空はなんだか、荒れ模様。
しかし、気温は高い。
こちらでは、服一枚分いらない。
初めての街、ナポリ。
危険な街ナポリ。
ベネツイアで会うイタリア人殆どに身の回りの物は気を付けろと言われた。
周りを気にしながらホテルに到着。
また、ロビンソン・クルーソーが始まる。
半径5mから始まる世界の認識。
ピアノ、ピアノ(順、順に、、)。
また、ゆっくりと始めるしかない。
舞台美術家トニーノ師匠に電話する。
イタリア語のみだ。がんばって話すしかない。
お昼の12時半に我々が泊まっているホテルで待ち合わせることにする。
しかし、ロビーに降りて待っていても師匠は現れない。
20分ほど経過してホテルのロビーに電話がかかる。
トニーノさんの秘書からで彼はホテルに2時半ころにならないと行けないとの
伝言を聞く。
イタリアxナポリ時間、これは相当にまたサバを読むのが大変そうだ。
ベネツイアではだいたい1.4倍の法則が働いていた。
この法則は、どうやらナポリでは通用しないようだ。
無事トニーノ師匠と会い、しばしお話。
とりあえず色々な事を聞く。
ナポリのアカデミアで舞台美術を教えていること。
近くにスタジオを持っていてそこが仕事場であること。
日曜以外はほぼ毎日働いていること。
4月と8月にオペラでまた日本行くということ。
トニーノさんと会ってからこのナポリでの滞在日数を決めようと
考えていたのだが、この調子だと、結構長くこのナポリにいそうだ。
アカデミアの授業は11月から始まって、来年の6月まで続く。
最後の4.5.6月は発表(卒業公演)の為の準備期間とのこと。
であれば、6月まではナポリに居た方がおもしろそうだ。
東京で一度知り合い(久恒氏)を通して会っているのだが、その時はまったく話もできなかった。
今日初めてお会いしてその風貌からしてタタキあげの舞台美術家という印象を受ける。
自分でデザインもしてタタキも行い工房ももっており、また学校で教えてもいる。
なんだか私が東京で行っている舞台美術のスタイルととても似ている。
いや、逆にいえば私が考える理想のカタチがみえるかもしれない。
そんな予感を感じさせる出会いである。
とりあえず、このトニーノさんのところに居てみよう。
トニーノ師匠は47才。
私は35才。
師匠はちょうど一回り先輩である。