朝10:54分発、ボローニャ経由フィレンツエ方面行きの列車に
乗り込もうとがんばって起きる。
しかし、駅で切符を買うのにとまどり案の上列車を逃す。
ああ、やっぱりイタリア。
思い通りに事は進まない。
次の電車は1時間後だ。
くじけず空いた時間で駅から見える運河を一枚スケッチ。
気を取り直して、列車へ。
ボローニャまで2時間、そこから乗り換えて1時間でフィレンツエに到着。
フィレンツエは通算2度目の滞在である。
しかし、駅の周辺はあまり覚えていない。
街の中心ドーモのあたりからウフィッツイ、ポンテ・ベッキオへ。
その辺りでなんとなく、この街の感覚を思い出す。
しかし、ベネツイアに長くいたせいだろうか。
街がとても異質に見える。
-----------------------フィレンツエの街並み------------------
建物の色、大きさ、道の幅、曲がる角度、扉の大きさ、、。
どれもベネツイアと違う。
ベネツイアと違うというより、ベネト地方と違うといったほうがよいか。
ベネツイアから出かけたトレビゾ、ビツエンツアというベネトの街は
確かにその街独特の雰囲気を持っているが、それはやはりベネトである。
街並、外壁の色、それらに共通の尺度を感じる。
それらと比べフィレンツエのこの雰囲気は明らかに、ベネツイアとは違う「外国」といった感じなのだ。
これは、ベネト地方とトスカーナ地方の違いなのか。
確かに列車で来るときも、ボローニャからは山越えがある。
まるで日本海側と太平洋側のように、その山を境に天候も違えば気温や湿度も違う。
そしてそのイタリアの中央の山を背景にして地中海側に広がる平野がフィレンツエなのだ。
そんな「外国」フィレンツエを彷徨い歩く。
まず気になったのは外壁の色だ。
ちょっと埃っぽい黄土の色。
ここ、フィレンツエを流れるアルノ川の水も同じ色をしている。
ベネツイアやベネト地方の色が淡いちょっと湿り気のある褐色であるのとは対比的だ。
そして頑強な外壁の表現。
メディチ家のパラッツオやパラッツオ・ストロッツイなど、
ルネサンス期の粗石積み風の外壁が見せる頑強な外壁のイメージ。
ベネツイアがまったく無防備な街に見えるほど、こちらの扉や外壁の表現は厳めしい。
外的の進入が容易な平野部に展開した街が自らを守るため生み出したカタチ。
これが、フィレンツエの街の基調を成している。
黄土色の大地とそこに花開いたルネッサンスの芸術、
ドーモやサンタマリアノッベラ教会のファサードが見せる色大理石のあの独特の表情、
花の都フィレンツエで生み出された色調は、この川や土の色を無視しては語れない。
ホテルを決め、荷物を置いてから、街に繰り出す。
まずホテルの近くにあったサンロレンツオ教会に入る。
この教会はルネッサンスの最初の重要な建築家、ブルネレスキが設計した教会だ。
ファサードは未完に終わっている。
しかし、逆にこの未完のファサードの抽象的な輪郭が
外側からみえる側廊と心廊のバランスの良さを断面として示してくれる。
それから街の中心ドーモ広場へ。
ここにあるブルネレスキの石像に挨拶し、これまた彼が設計したこの街のシンボル、
ドーモのキューポラに登る。
やはり街に到着すると最初に高いところに登りたくなる。
このキューポラは2重壁になっている、その間にある階段をえっちらおっちらと登って行く。
もう夕方近い、空がなんだか遙かな感じだ。空気が乾いている。
しかし今日は天気がいい。
フィレンツエの地形がとてもよく見える。
西のはずれから北東部にかけて山が連なり、それが自然の要塞を成す。
そのまま山がなだらかな斜面を見せ平野となる。そこにこの街は展開する。
街の東をアルノ川がゆっくりと流れ、その流れの先、南の方は彼方まで平野が続いている。
背後の山と緩やかに流れる大河とそれが形成した平野部。
豊かな街が成立する条件が見事に揃っている。
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地形を確認してから、下に降り、街を徘徊する。
暗くなる前にミケランジェロのダビデ像があるアカデミア美術館に行って、今日の行程を終える。
夜はホテルの近くのレストランでフィレンツエの名物料理、
豚のレバーペーストが乗った小さなパンを食べる。
とても美味しい。ワインも折角トスカーナにきたのだから赤を注文してみる。
これも濃厚でおいしい。
やっぱり食のイタリア。
でも、芸術のイタリア。
ブルネレスキに、ミケランジェロに乾杯。
そして、今日一日に感謝。
今日から冬時間だ。
時計の針を一時間遅らせる。
それでも朝早くから起き出して今日は精力的に回ろうとがんばる。
まず、サンマルコ教会&修道院へ。
----------------------サンマルコ修道院・捨て子養育院----------------
ここの修道院がよい。怪僧サヴオナローラの部屋がある。
そしてフラ・アンジェリコの「受胎告知」があることでも有名。
建物も昔の修道院の部屋をそのまま保存してあり、
その当時の修道士の生活が見えてくるような気になる。
修道士の為の各々の個室は全てボールト天井になっていて、
壁面には必ずイエスを主題とした壁画が描かれている。
その個室群をさらに木造の大屋根が被っている。
個室の丸いボールト天井とその上の大きな木造の屋根。
この二重の屋根が、修道院における個と全体の関係を巧みに表象している。
地階(グランドレベル)部分には中庭を取り囲むように回廊が巡っている。
4年前に来たとき、この空間の居心地が良かったのを覚えいる。
今日は曇り空で天気が悪いがこの中庭に佇んでしばしスケッチ。
こちらに来て、なんどか修道院の中庭を見たが、
基本的にどの修道院も地階部分が回廊と中庭で構成されている。
この中庭は雨水を吸い込ませ、中央の井戸に貯水するためのものであると同時に
採光や外から遮断された広場の確保という目的も担っていたのだろう。
しかし、このサンマルコの修道院の中庭は気持ちがいい。
なぜだろうか。
対面する回廊までのほどよい距離感、ゴテゴテとした装飾のないシンプルで
スマートな柱とシャープなラインを見せる交差リブボールト天井。
圧迫感のないセットバックした低めの上層部分。
それに視線を若干遮るくらいの数の木々。
周囲をめぐる座ることのできる回廊の基壇分。
それに、この色だろうか。
あのトスカーナの黄土と漆喰を混ぜたなんだか柔らかい色彩の壁面。
これらの要素が一体となってこの居心地のよい空間を作りだしている。
それから、近くにあるこれまたブルネレスキ設計の捨て子養育院のロッジアを見る。
これからルネッサンスが始まったといわれる建築。
この空間もとてもよい。
今回来て感じたのはこのロッジアの柱の細さとそれに比べて遙かに高い天井の高さだろうか。
なんだか、磯崎新の建築の天井の高さを思い出す。
上に大きく抜けた空間の表現。
磯崎さんは相当にブルネレスキに影響をうけているのでは?、、。
そんな感じがする。
このロッジアはシンプルですっきりとした綺麗なデザインだ。
この反対側、ピアッツアを囲むように、これに似せて後に作られたロッジアがある。
この二つのロッジアの間違い探しのような微妙な違いが、
幸か不幸かこのブルネレスキのロッジアの完成度の高さを見せてくれる。
無駄を省いたシンプルで構造を意識させるブルネレスキのデザイン。
形態がそのまま構造を見せ、それを単純で純粋なカタチに収束させる。
力とカタチの科学的でかつ程良い関係。
ルネサンスの始まりはここにある。
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ピザを食べてお昼を済ませ、午後からはだめもとでウフィッツイ美術館に向かう。
とりあえず、どれくらい並んでいるか確認してそれから午後の計画を立てることにする。
しかし、混んでいれば2時間、3時間待ちは当たり前といわれていたのに
今日は日曜で空いていたのか20分ほど並んだだけですんなり中へ。
ウフィッツイについて語るのは大変なんので、特におもしろかったところだけ。
ここのボッティチェリのプリマベーラとビーナスの誕生はやはり必見。
前回訪れて見てはいるのに、やはり感動してしまう。
ここにもやはりルネサンスの始まりがある。
数え切れない大作を後にして、なぜか出口近くの階段の途中で
特別展の入り口がありそこに迷い込む。
実はこれがとても良かった。
なにが良かったかというと、展示の仕方とその内容がとてもおもしろかったのだ。
-------------------------遠近法に関する企画展示-----------------------------
これは企画展で来年の春くらいまでやっている模様。
ルネサンス期に発明され研究された遠近法に焦点をあてて、
絵画はもとより、透視図法の為の機械の実物模型や、
カメラ・オブスキュラの実物展示など、多彩なインタラクティブ展示を織り交ぜて
ルネサンスの文化の一つの本質を探るという企画展示である。
空間を扱う私にとって、遠近法は一つの重要なテーマであるので、
よく本で見かける遠近法関連の絵などの実物を見れたというだけでもよかったのだが、
展示の仕方もなかなかおもしろかった。
壁面に錆び鉄板や、黒カワの鉄板を使用していたりする。
それに所々鋭角なスリットを付けて外光を取り込む。
なんだか、どこかで見たような、、、。
しかし、この素材の使い方と空間的な表現は意欲的でいい。
素材を研究し、根底から物を創り上げたルネサンスの精神を彷彿とさせる。
それに巧みなインタラクティブ展示だろうか。
例えば、遠近法にとって重要なのは見る人の視点の位置なのであるが、
それを利用して、描かれた絵とそれを実際の空間に落とせば
どれくらいの距離感にあるのかというのを模型で示し、
画家が描いた視点から見た平面の世界と立体の世界を同時に覗かせるという展示が
あり、これが非常におもしろかった。
立体を平面に変換し写し取る画家の頭の中を覗いているよな気がする。
平面に写し取られた3次元の空間。
そこにはパスカルが発見した射影幾何学の原理が働いている。
展示されていたルネサンス期に開発された多くの遠近法の機械がその事を物語る。
対象を科学的に捉えること、そのことはある主体が対象を主観的に見て表現したときにそれでも
ある客観性を持ってその対象は認識されるということを保証する。
私にとって世界はこのように見える。そしてそれは神が創りあげた世界を覗くことなのだ。
ルネサンスの根底に流れる精神がこの展示を通してぼんやりと浮かび上がる。
そんな展示である。
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ウフイッツイの長い廊下を抜け出し、夕方、ミケランジェロのダビデ像が立つ丘に向かう。
丘の上のロマネスクの教会を見て、雲の隙間から覗いた
微かな夕陽に照らされたフィレンツエの街をスケッチする。
遙かかすむ街並みの中、なぜかドーモのキューポラだけが異様に大きく見える。
これが、ルネサンスの都市フィレンツエの今日の夕刻だ。
朝早く起き出して、フィレンツエからシエナへ。
列車で1時間半。
トスカーナの丘陵部を進んでいく。
ベネトの平野部とは全く違う風景。
なだらか丘がどこまでも続いている。
シエナの駅から街の中心(Centro)までの行き方が解らない。
ガイドブックを見ても、バスは中心街の近くまで行くとしか書いてないので、
どこで降りればよいのかわからない。
一応、それだと思う3番のバスに乗り込む。
30分走っただろうか、バスはくるくるとシエナの丘を回っている。
病院に寄り、狭い尾根道を抜け、街道沿いで止まってしまった。
運転手の女性が我々にCentroに行くのかと尋ねてくる。
それだったら、ここでバスを乗り換えろといっている。
???
しょうがない、ここがどこかもわからずバスを降りて
前に止まっている小さなバスに乗り換える。
ここでやっとこの小さなバスの運ちゃんに聞いてみる。
これはCentroにいくのか?
「これはCentroにいくバスだ」
どこで、おりればいいの尋ねる。
「人がいっぱい降りるところで降りろ」
???
しょうがない、とりあえず乗ることにする。
イタリアのバスはほんとにわかりにくい。
まず、車内アナウンスがないし車内に路線図がない。
だから、初めての路線に乗るとどの停留所で降りていいのかまったく解らない。
くるくるとバスは周り、キョロキョロと見回す。
時たま人が乗ってきて、適当にボタンを押して降りていく。
その停留所がどこの停留所でなんという停留所かは、まったくわからない。
ああ、イタリアよ。
それでも、必死で外の風景を追う。
バスが丘陵部の尾根を走り、古い建物が密集している地域にさしかかる。
ああ、やっと、旧市街に入ってきたかな。
とりあえず、自分に言い聞かせる。
どんどん、道が狭くなり、建物が古く立派になっていく。
大丈夫だ、このあたりならガイドブックの地図にも載っている地域に違いない。
そう確信する。
次の停留所には人がたくさん待っている。
バスがとまり、乗っていた乗客が一斉に降り始める。
ここだ!!と運ちゃんの顔をバックミラーから確認すると向こうももうなずいている。
よし、降りよう。
とこんな調子でやっとシエナの旧市街に到着。
-------------------------遙かな丘の劇場都市・シエナ-------------------
地図を確認しつつまず、シエナの中心カンポ広場を目指す。
丘の尾根に展開するシエナの街、狭く曲がりくねる坂道の向こうに素敵な塔が見えてくる。
あれが、市庁舎のマンジャの塔じゃないの?
その坂道を塔を目指して進むと、いっきに下方に視界がひらける。
ああ!ここがカンポ広場か!!
写真で見たり、本で読んで想像していたものとなにか違う、、。
衝撃が走る。
ああ、こうなっていたんだ!
これは見ないと解らない。
一応記述してみるが、これは見ないとわからない。
そんな空間が眼前に展開している。
扇型に広がったカンポ広場、その扇の要に街の政庁の中心、市庁舎があり、
その上にマンジャの塔が聳える。
そして、周囲を素敵なパラッツオが取り囲む。
これがいわゆる本や写真で見ていたこのカンポ広場のイメージだ。
しかし、ここには写真に写らない、空間の質が存在している。
それはなにか。一言で言えば、それは、この広場全体がゆるやかな坂になっているということだ。
坂というか、すり鉢状になっているといった方が正確か。
その扇の要、市庁舎がある場所を一番低い点として、まるで、ギリシャの円形劇場のように、
広場が展開している。
ただ、それが劇場の段々ではなく、緩やかなスロープとして面的に展開しているため、
広場全体に統一感と人々の移動の自由をもたらす。
日差しを浴びてその広場の坂に寝ころぶ人たち。傾斜はすり鉢状に中心を目指すので、
人々の座る方向もいやおうでも中心の市庁舎に向かう。
すでに始まっている終わりなき世界の「芝居」に参加している観客たち。
私達もそれに紛れて参加する。
背後は、まるで書き割りのようなパラッツオが取り囲む。
周囲を見渡すと、所々この広場に入ってこられる登場人物の為のアーチや通路がある。
上手と下手それに中央奥と4分1円になる箇所にいくつか。
ああ、そうか、我々はあの下手の花道から入ってきたことになる。
この「世界劇場」を設計した名も無きシエナの人々とその時代に思いを馳せる。
果てしない世界、しかしここもまた世界の中心。
シエナの街は不思議だ。
いままで見てきたベネトの街やフィレンツエの街のような発展形態とは
明らかに異なる、私の想像を遙かに超えた都市がここにある。
(ベネツイアも例外的な都市であると思うが)
漠然とではあるが、都市が成立する為の条件として考えられるのは
・自然に要塞的な地形をしている
・あるいは自然の地形を利用した要塞が築きやすい地形である
・川が近くにある、あるいは水、海が近くにある
・農業に適した平野部がある
といったところだろうか。
トレビゾにしても、ビツエンツアにしてもフィレンツエにしても
ほぼその条件を満たしている。
背後の山、街の中心を蛇行して流れる川、それにより作られた平野部。
そして、川と山が成す輪郭を利用した要塞。
しかし、シエナのこの街は丘の上に築かれている。
3つの丘が連なった、尾根道に展開した都市。
確かに地図をみれば、その谷筋に泉があることはあるが、、。
日本にも例がないわけではない、山城という築城形式は、
防御の面と見晴らし(観察)の面からそこが、城として地形的に適しているとされた形式である。
しかし、有名な鳥取の山城の兵糧攻めのように、
平野部を持たない山間部の城は食料の備蓄と生産性に問題がある。
だから、ある程度の規模の都市として発達するには、少々問題がある。
だから、マンジャの塔に登り、四方に見渡す限り広がるトスカーナの丘陵地を見たとき、
この四方に広がる世界を視界として支配できるこの丘の上を選んだこの人たちは、
相当に観念的な人たちではなかったか。
そう思わざるをえないのだ。
神が住まう丘、シエナ。
そしてここのドーモの形態もまた同じトスカーナでも宿敵であったフィレンツエとはまるで違う。
確かにルネッサンスとゴシックという時代の違いはある。
あらゆる壁面を埋めつくす装飾、無駄のない、しかし完璧な仕上げ。
このドーモを見てしまうとベネツイアの全ての聖堂がなんだかぬるく感じてしまう。
それほどまでに聖堂全体に言い得ぬ緊張が走っている。
これはなんなのだろうか?
たった半日の滞在。
ドーモ付属博物館を見て、時間を気にしながら
今度は街の人にどこからどのバスに乗ればいいのか尋ね、バスを探し、たった10分で駅に着き、
暗くなっていく汽車の中でゆっくりと夜のシエナを思い描く。
暗闇に包まれた丘の上の都市。
閉じた瞳の中に浮かぶのはやはり観念的で抽象的な都市のイメージだ。
人々が直観した3つ丘の上にあるゲニウス。
ここに聖堂を造ろう、ここに集まって住もう。
そしてその都市は中心に終わり無き世界劇場を持った。
ここもまた世界の中心。
なにかイエスの山上の説教のようだ。
人々が向かった方向と違う方向を目指した人たち。
このシエナの人々が築きあげた空間の質(=ゲニウス・ロキ)は、
だからまた全然違う諸層に属するのではないか。
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シエナ、エンポリ、フィレンツエ、ボローニャ、そしてベネツイアへ。
4回も電車を乗り継いで、計5時間半。
夜霧に煙るベネツイアにたどり着いたのは夜12時を回っていた。
戻ってみるとベネツイアはなんだかとても寒くなっている。
それに今日は霧で街がけむっている。
午後はのんびり。
夕方、諏訪君から電話がかかってくる。
メストレ(ベネツイアの対岸、陸側の新興住宅地区)
の公会堂で有名な建築家の講演があるのでいかないかという電話。
諏訪君の友達マルコと諏訪君の同居人の41才の
働きつつ、まだ論文を書いているという建築家の女性とでそれを聞きに行く。
途中で、マルコが調子悪いということで皆で早退。
近くのバールで一杯飲んで、駅の近くで食事。
安くて、美味しい。
メストレまでくれば結構安くて美味しい店が多いらしい。
まもなく滞在2ヶ月。
やはり、時間がどんどん早くなっている。
ベネツイアともそろそろおさらばだ。
借りている家のほんとの住人からメイルが入る。
11月9日にこちらに戻るとのこと。
しかし、まだ、ナポリからの返事がない。
ああ、どうなるやら。
今日は語学学校の先生ジュリエッタの誕生日だ。
学校の休み時間に軽くパーティをやるというので
私たちも出かける。
チャオ!
久しぶりの学校だ。
みんな元気そうだ。
なんだか、ちょっとさびしくなる。
しかし、アンナが私になにやら紙を渡してくれる。
ナポリからのファクスである。
やっと来た!!
アンナが英語に訳して説明してくれる。
どうやら、ナポリに無事行けそうだ、住むところも
そんなに探すのは大変ではないらしい。
ああ、一安心。
やっと研修の目処が立つ。
セルジョがいう。
「ナポリを観てから死ね」
がんばろう。
ベネツイアの残り少ない日々を有効に使おう。
ベネト地方でまだ行っていない、近郊の街に出かける。
今日はベローナに挑戦。
ベネツイアから電車で1時間半。
ミラノとベネツイアのちょうど間にある街だ。
昼前にインターシティ(特急)に乗り込みベローナに向かう。
今日は天気がいい。それに今日はイタリアの祝日、
諸聖人の日だ。
今日から日曜まで、4連休で休む人が多いらしい。
久しぶりにベネツイアも人で溢れている。
ベローナは、ご存じのようにロミオとジュリエットの舞台になった都市である。
だから、ロミオとジュリエットゆかりの名所が多い。
とりあえず、私たちはそれはパスして、ベローナの骨格を探す。
ベローナはもう一つ、現存する古代ローマのアリーナで行われる夏の野外オペラでも
有名な街だ。
今日の私たちのベローナ探訪の目的はその古代ローマの片鱗をベローナで探すということである。
---------------------------ローマ時代の遺跡とベローナの街-------------------------
ともかくまず駅を降りて、街の中心へ向かうその途中に見かけた
歩道に敷き詰められた大きな石に驚いてしまった。
ちょっと赤みがかった綺麗な石が広い歩道全面に
びっしり敷き詰められている。
一枚のサイズが900x1500mm位あるだろうか、
こんな立派な石を敷き詰めた街を今まで観たことがない。
ベローナの秘密はこの石にあるらしい。
後で知ったのだかこれはやはりベローナ産の
有名な石でローザ(バラ色)の石というらしい。
街の中心、古代ローマのアレーナにたどり着く。
これはローマのコロッセオにつぐ大きさを誇る古代ローマの楕円形をした競技場跡である。
この建築でもやはり同じ石が使われている。
これでベローナの秘密が一つ解ける。
古代から有名な石の産地で、それゆえ、石の文明ローマの都市がここに花開いたというわけである。
地図を見る。
やはり大きな川が山にぶつかり大きくカーブするその平野部に街が広がっている。
街が形成される条件が揃っている。
それに加えてさらにすばらしい石の産地が背後に控えている。
それがベローナの原型を作りだしている。
アレーナの内部に入り、その大きさと基部を形成している
ローマ時代のアーチに感動する。
ここで緩やかにカーブしていくアーチの回廊をスケッチ。
ローマのアーチは頑強かつ武骨でよい。
石とその間に充填された石灰質のローマ時代のコンクリート。
それが基部をなし、上部にはアーチを形成する巨大な楔石が見える。
なぜ、これほどの建築をその当時為し得たのか?
遙かな時代に思いを馳せる。
適当に飯を食って、カステル・ベッキオ美術館に向かう。
ここはかの、カルロ・スカルパが内装を手掛けたことで有名な美術館である。
これに関しては後ほど記述。
それから、中世からルネサンス時代のベローナの中心を成したエルベ広場とシニョーリ広場に向かう。
ここは所々、地下の部分が覗けるようになっている。
そこから覗くとローマ時代のモザイクタイルの綺麗な床が見える。
辺りの表示を見回す。
どうやらここらは古代ローマのフォロ(政庁の中心)の有ったところであるらしい。
ここでも、また塔(ランベルティの塔)に登る。
今日は天気がよい。
街を見渡しつつ、次に向かうべき目標を定める。
川がちょうど湾曲するその対岸の山すそにある、これまた古代ローマの遺跡、
ローマ劇場跡に向かうことにする。
ローマ時代のアリーナはなんどか観たことがあったのだが、
劇場は今回初めて観た。
綺麗な半円に広がるアリーナ(ステージ)部分、それを取り囲む階段客席。
その客席は山の斜面とほぼ同じ角度で展開する。
そして、客席上部遙か上の方には建物が建つ小高い丘が見える。
その階段客席に座り、舞台を見下ろす。
舞台の背景には、現在も一部ローマ時代のスケーネであった壁面が残っている。
そしてそのさらに背後には緩やかに蛇行するアディジェ川が見える。
劇場の客席後方上部に立つ古い建物を利用した博物館に入る。
ここでおもしろい物を見た。
それはこのローマ劇場を復元した模型と図面である。
えーっ!!嘘だろー!
規模がでかいのである。
スケーネは3層を成し、その川側(舞台の背後)は3層の
列柱で飾られている。
極めつけは劇場の山の上の方、現在もちょっとした見晴台になっているエリアに立つ神殿だ。
劇場とローマ神殿の一体となった超巨大な複合施設。
そんな模型である。
これ誰が考えて復元したの?
名前を見てみる。
A・パラディオ。
これまた、えーっ!!嘘だろー!である。
パラディオがルネサンス期に想像したこのローマ時代の劇場の仮想の原風景。
半分以上疑いつつ、しかし、やはりパラディオなのでどうしても気になってしまう。
今度はその模型と図面をなんども頭に思い浮かべてみては、現在のこの遺跡を眺め回す。
う〜ん。
さすがにパラディオ、ちょっとやりすぎなんじゃないの?
そう思いつつ、パラディオが復元して見せた丘の上の巨大なローマ神殿を想像しつつ、
丘の上まで登ってみる。
しかし、ここでその謎が一気に解ける。
ここからの眺望が全てを解決してくれた。
ローマ時代の橋ピエトラ橋の方向と同じように川向こうの全ての重要な道が
このローマ劇場から一直線に伸びているのだ。
ここに都市軸の一つの中心がある!
まず太陽のルートを確かめる。
今は夕方4時過ぎ、ちょうど客席から見て劇場の舞台の後方上手に太陽が見える。
これだ!!
おそらく、夏至の時にはちょうど舞台の真後ろに太陽が沈むに違いない。
そんな勝手な想像をしてしまう。
しかし、この太陽のルートからこの劇場の配置が導かれたのは確かであると思われる。
そして劇場の背後の川、その向こうのベローナの街。
こんな絵になる構図は滅多にない。
この平面的な関係をスケッチする。
地理的な関係を確かめるため地図を見る。
そして、もう一つの重要な事実に気づく。
なんと、この劇場とローマ時代のフォロがあった場所(中世の市庁の中心)と
アリーナが一直線に並んでいる!
パラッディオはおそらく正しかったのだ。
この丘にはパラディオが想像した通り、神殿があったに違いない。
いや、有るべきなのだ。
この丘はこのベローナの都市軸の中心を成している。
それは京都の区画がその北の山と皇居を中心として碁盤の目のように展開しているのと同じように、
このベローナの街を今だここからの軸線、空間的配置が支配しているのだ。
古代ローマ人の都市計画。
その明快で単純でしかし力強い意志がこの街の風景に重なって見えてくる。
古代ローマ人の偉大さとパラディオの天才に感動しつつもう一度ベローナの街を見渡す。
先ほど登った塔からとは明らかに違う明快な空間が目の前に展開している。
ここからの視界はまるで、空間の創造の原点を見せてくれるようである。
古代ローマにおいて劇場がどのような意味をもっていたのか。
不勉強の私にはまだわかない、
しかし、ここから広がる空間は古代ローマにおいて演劇というものが
相当に重要な位置を占めていたのではないかというのを充分に想像させてくれるのだ。
演劇と神話の世界、それが一つの強力な都市のイメージを造りだしている。
今日は舞台美術家の奥村君とベネツイアで会う。
なんだか、不思議な感じである。
日本の舞台美術家が2人もベネツイアをウロウロしている。
どうなっているんだか。
奥村君に例の語学学校を紹介し、
ベネツイアを少々歩く。
今日はベネツイアも天気がいい。
夕方、早めの食事を3人で取り
夜、私と須藤さんは予約してあった
パラフェニーチェでのオペラの公演「フィガロの結婚」を観に行く。
--------------------Le Nozze di Figaro@para Fenice----------------------
フェニーチェ劇場は96年に燃えてしまい、現在再建中である。
その間の仮設劇場がこのパラフェニーチェ劇場だ。
いわゆるテントの仮設劇場で、梁山泊の紫龍テントや
唐組のテントを思い出す。
話には聞いていたが、やはり音が悪い。
外を走る船の音や遠くのサイレンの音、空調の音が聞こえてくる。
それに輪をかけて、オケピットが客席床面と
同レベルにあるため、演奏が一枚の幕を作ってしまい
歌手の声が客席に聞こえて来ない。
ちょっと悲しくなってしまう。
でも劇場の音の悪さでは青年団でもいつも苦労しているので
なんだか、それを思いだしてしまう。
そして、一つの事実を発見する。
そうか、青年団の芝居は現代のオペラなのか、と。
役者による生の声と生の音、あるいは生音の演奏。
オペラでは当たり前のこの音環境で芝居を作っているのは
今の日本で青年団くらいではないだろうか。
別にこれは静かな芝居だからではない。
当たり前の事だったのだ。
それに今更ながら気づく。
これは音も空間を形成する重要な要素であると考えれば、当たり前の事実なのだ。
青年団の芝居もオペラのおもしろさもその音が創り出す空間にあるということだ。
「フィガロの結婚」に戻ろう。
あと舞台美術が悲しかった。
先日観た「Tancredi」のセットの造りが良かったからか、余計にこのセットがしょぼくみえる。
仮設のテント小屋を意識してか上部に巨大なブラックボックスを配置し、
わざと上昇性よりも横に延びる空間のイメージを強調した、
なかなかモダンで意欲的なおもしろい空間構成ではあるのだが、
いかんせんその曲面のパネルの経師の仕上げが汚いし選んだ柄と色が良くない。
折角のこの曲面で構成された空間の抽象性がその薄水色の模様の入った経師紙のせいで
台無しになっている。
それに、出演者が出てきてこれまた悲しくなってしまう。
劇場の形態のせいもあるがサイドの客席の見切れのエリアが多いため、
美術が折角横に広く、また奥も流れるような空間になっているのに、
キャストは舞台前面に張り付いたように演技しているのだ。
2次元の芝居。
舞台の形態と演出が合っていない。
互いに一人歩きしているなんだか悲しい舞台である。
だから、途中からちょっと目をつぶりながら舞台を鑑賞することにした。
その方が想像力が遙かに膨らむ。
それに初めてこのモーツアルトの有名なオペラ「フィガロの結婚」
を観たのだが、もう曲と歌のバランスの良さに感動してしまった。
ああ、もしモーツアルトが生きていた時代にこの作品を観ていたら、、。
そんな無理な想像までさせてしまう、それほどに感動してしまった。
なんだか、それが余計に悲しさを煽る。
きっと、オペラにしては斬新な演出で、モダンなセットなのかもしれない。
しかし、ちゃんとした普通の演出で普通のオペラの劇場でこの作品をもう一度観たい、
そう思ってしまった。
でもやはり観て良かったとは思う。
これを観て、もっと他のオペラも観てみたくなったのだから。