杉山至のイタリア日記

01/10/20(土)

今日も体調は引き続き最悪。
果たして治るのだろうか、、。
なんだか、喉の痛みがどんどん奥の方へ移動している気がする。
風邪が全身をまわっている。
そんな感じ。

ここに来て何十年来の不摂生が一挙に出たのか、、。

夕方散歩に出るが、元気にならず帰還。
夜はだいぶ寒くなって来た。

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01/10/21(日)

夜の咳で疲れがとれない。
朝から頭痛。
づーっと薬を飲んでいる。
ああ、ここはそれでもベネツイア。
今日はゼストの仕事をこなす。
朝からベッドで半起き状態でマックに向かう。
それでも、仕事をすると少し気が紛れる。
あいかわらず、頭痛はするが、なにもしないより体にいいかな?。

今日は一日外に出ないで過ごす。
夕方から雷が鳴り始めた。

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01/10/22(月)

それでも、少しずつ良くなっているのか。
今日は、普通の風邪薬と咳止めのみを飲んで出かける。
なかなか、咳が止まらない。
しかし、道行く人も同じ咳をしている人がいる。
やはり、流行っているのか。
まだ、少しぼーとする頭で月曜日を過ごす。
プッパ教授の授業にもがんばって出席。
すこしづつ言葉がわかるような気がしてくる。
それが、せめてもの励み。
夕方また休憩して夜、諏訪君のアパートへ出かける。
不思議な組み合わせの夕食を済ませ、家に戻る。
早く風邪を治したい。

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01/10/23(火)

今日は朝9時にリアルト橋の近くのカンポに集合。
語学学校の先生ジュリエッタ
(前にイゾラ巡りの時にベネツイアの歴史、考古学を話してくれた人)
の課外授業である。
今朝は、冷たいモヤがかかっている。
総勢10名。まるで、ツアー観光客のように
ゾロゾロとリアルト橋の辺りをうろつく。

ジュリエッタはこちらでも、なかなか有名な
若き考古学の研究者らしい。
彼女の案内でリアルトの周辺を散策する。

ここからは一応、彼女の説明を抜粋。 リアルト橋の周辺はこの地にベネツイアの本拠地を 移してきてから行政や商業の最初の中心地であったという。
リアルトの語源もアルト(高い)な場所であり、安全な場所を意味している。
現在、橋の袂にある、郵便局はもともとドイツ人商館であり、 ここには多くの外国人の商業的中心や情報の中心基地があったとのこと。
そのドイツ人商館と運河を挟んで反対側には最初の牢獄があったという。
その先に、現在でも魚の市場と野菜の市場があるが、これは昔からここにある。
そして、通りの名前を見ながらジュリエッタが解説してくれる。
Banco di....ここは銀行家が集まっていた場所です。
ベネツイアが世界で初めて預けたお金をどこでも引き出せるという銀行のシステムを作ったという。
様々な地名が昔そこがその用途の道であったことを物語っている。
樽通り、肉通り、金細工通り等々。
現在はほぼ、観光用のおみやげ物屋と化しているリアルトの周辺。
しかし、通りにはベネツイアの心臓部としての記憶が刻まれている。

こちらに来てから、須藤さんが彼女の母に持ってきなさいと言われて持ってきた、
塩野七生のベネツイアの歴史の本を読んでいる。
それは都市を歴史の重層としての街並みとして理解させてくれる。

夏草や強者どもが夢のあと。
日本の場合、木造主体の建造物であったためそれは朽ち果て、
土地に対し歴史はその領域を支配した気配の残り香となって現れる。

ローマ時代の建造物の上にさらに要塞を築き、
その石を積み重ねることが歴史であるとするこちらでは、
生きた証人として建築が今もその重みを見せる。
サンマルコ寺院がここにあり、ナポレオンが破壊し新たに築いた自らの記念碑的建築がいまだ存在する。

歴史がとぎれず、そのまま、記憶として街のあちこちに刻み込まれる。
しかし、悲しいかな、ベネツイアは一度滅びた街なのである。
それ故、この街は墓地であると同時に行き交う幽霊のような観光客を受け入れてくれるのだ。
終わってしまった歴史。

------------------------サルーテ教会での演奏-----------------------

夕方、先日いったサルーテ教会にまた出かける。
先日ここで、今日無料のコンサートがあるという張り紙を見たからだ。
夕方5時からそれは始まった。
毎日のミサが4時からあり、それに参加していた演奏者達が
おもむろに聖堂の片隅にあつまり、楽譜やら楽器やらを取り出す。
演奏者の方が聴衆より多いかも、、。
どうも、近所のママさんコーラスのようである。
バイオリンのおじさんはどうも相当お年のようだし、
フルートの女性は子連れである。
男性が少ない。
コーラスは大丈夫なのだうか?
しかし、聴いてびっくり。
指揮者のおじさんは貫禄があり、威厳がある、そして鋭い視線。
演奏が始まる、ああバイオリンが心許ない。
しかし、なんだかとてもいい合唱だ。
曲目もバッハやブクステフーデ、ハイドンといった教会音楽で構成している。

なんっていったらいいか、彼らは合唱したくて今歌っている。
このサルーテ教会のこの場所で演奏し歌っていることを楽しんでいる。
そんな感じなのだ。
なんだか、私が子供の頃父が開いていた日曜の聖書研究会を思い出した。
人々が個々の悩みを抱えつつしかし、共通の目的で集まり、祈りを捧げ、歌を歌う。
日本ではなじみのない習慣だし、私も子供の時以来あまりこのような光景を見かけない。
しかし、ここにはかの精神が生きている。
そう感じだのだ。
バッハは物凄い数のミサの為の曲を書いたという。
毎日のミサの為の曲。
それは、どういう感じなのだろうか。
この普通の人たちのなんとはない、しかし、とても暖かい感じのこのコーラスを聴いていると、
なんとなくバッハの視線が見えてくる気がする。
日常的な事、日常を豊かに生きたいと考えるココロ。
時代や表現は違うが、本質は同じなのではないか。
偉大なバッハの一歩目が見えてくる。
1時間ほどで無事演奏終了。拍手拍手。

ペストの終焉を記念して建てられたというこのバロックの教会。
ここで、バッハやハイドンの曲をママさんコーラスで聴く。
こんな機会は滅多にない。いや、ほんとは毎日ごろごろしているのかもしれない。
しかし、私にとっては、未知の体験だ。

音楽という、見えない芸術。
それがしかし、空間を満たし、こころに色を与えてくれる。
この満たされた空間。
サルーテ教会は夕日に包まれている。

この幽霊の旅行者にも、一日の時を与えてくれる。

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01/10/24(水)

だんだん寒くなる。
ゆっくりと、確実に。
学校も静かだ。
先週いた生徒がみなローマやフィレンツエに行ってしまい、
先生と私たち3人だけだ。
なんだか、街も静かになってきた。

観光客の数がガクンと減っている。
やはりアフガンの戦争が関係しているのだろうか。
まあ、街が歩きやすくていいのだが。

午後からは、先日見そびれたビエンナーレの別会場ポルトガルとオランダの展示を見る。
なんともいえない。
あまり、他の展示と代わり映えしない。
ただ、共に古いパラッツオ(屋敷)を会場として使用しているのだが、
好対照だったのは、ポルトガルはその屋敷を真っ暗にして暗箱として使用していたのに対し、
オランダの方はその屋敷に展示を住み込ませるカタチであり、
どこまでが展示か解らないといった感じのおもしろさはあった。

それから一路メストレへ。
風邪でダウンしていた分、いろいろと済まさなければならないことがある。
しかし、水曜日の午後はお店が休み。
ベネツイアでは最近は水曜の午後も開店している店が多いので忘れていたが、
メストレでは殆どのお店が閉まっていた。
目的達成できずにまたベネツイアにバスで舞い戻る。

それからレデントーレ教会へ。
これもパラディオ作の傑作なのだが、現在ファサードは修復中でまったく見られない。
とりあえず、お金を払って内部を見学。
サンジョルジョの方が内部空間はよいのではと感じてしまう。
非常にまとまりのある構成なのだが、逆にまとまり過ぎていて、なんだか面白みがない。
それに後陣の上部アーチと円柱で仕切られたさらに奥、聖歌隊席に
あたる部分だろうかそれがなんだか中途半端な空間になっている。
柱の柱頭飾りはこちらの教会の方が気合いが入っているが、
柱礎の部分は明らかにサンジョルジョの方が立派だ。
だから、レデントーレには上部柱頭飾りのラインが作る
パース的な美しさはあるのだが、足下の方の集中力がなんだか弱い感じがする。
ほんとにそうか、この後すぐにサンジョルジョ島に渡り、この教会の空間を確かめる。
ああ、やはりこちらの方がなんだか威厳がある。
空間の襞というのか、その厚さが感じられる。
今日は誰かがパイプオルガンの練習をしている。
夕方、そろそろ暗くなりかけた堂内に響き渡る音たち。

なんだか嬉しくなってこの教会をあとにする。

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01/10/25(木)

今日は夜にオペラがある。
演目は「Tancredi」。
人生初オペラである。

先日、予約しようとしてチケットがあまりにも高かったので
当日安い席が買えるらしいという人づての情報で、そのままマリブラン劇場へ向かう。
しかし、当日席の売場に並んでいたら、なにやら日本人のおじさんが近づいてきて、
オペラの観劇のツアーで回っている旅行代理店のものなんだけど、
チケット余っているから買わないかとのこと。
一割引きで2階下手ボックス席の券をもらう。
ラッキー、ラッキー。

ああ、これがオペラの劇場か!!
テアトロ・マリブランのボックスシートからオペラが見られるなんて!!
と感激しつつも劇場をチェック。

----------------------Teatro Mariblan--------------------

燃えてしまったフェニーチェ劇場の替わりに、少々小振りだがリアルト近くに
あるこのマリブラン劇場を少々改装して、フェニーチェ劇場グループの一つとして使用している。
こちらイタリアの劇場は、ハードとしての劇場のみだけでなく
俳優、スタッフ等全てを抱えている。 逆に言えば、劇場とは持ち小屋のある劇団といってもいいかもしれない。
フェニーチェ劇場でも、他の劇場が制作したオペラ作品を上演するという
貸し小屋的な面もあるだろうが、基本的には、フェニーチェお抱えの俳優、歌手、
楽団、スタッフで一公演を作り上げる。確かにその中で指揮者や美術家(装置家)や演出家、
あるいは主役の歌い手さんなどは外部の有名どころを呼ぶことがあるようだ。
今回の美術家もフェニーチェ専属の人ではない。
(現在勉強中なので詳細はまだ解りませんが、、)

フェニーチェ劇場の2001年〜2001年シーズンの第2作目がこのTancrediであった。
とりあえず、まずは劇場から。
以外と小さな劇場だ。
ステージの間口も6〜7間といったところ、タッパが9m程。
ただ、この劇場はいわゆる馬蹄形をしており
ボックス席が3階まであり(こちらでいう2階)その上階も前方は
ボックス席をつぶして、サイドライトのエリアとしているが、
客席後方はいわゆる天井桟敷になっている。
だから日本のいわゆるプロセニアムタイプの劇場と比べると
相当に俯瞰の視線が強く機能する。

「劇場の構図」という本で馬蹄形タイプの劇場の空間的意味について言及されているが
本来ボックス席というのは貴族、貴賓の為の席であり、
平土間(市民の為の席)と舞台とこのボックス席という3つの空間的位相において
ある種の視線の交換があった。
平土間の市民は舞台を見るとともに、ボックス席も見上げ、
今日はどこどこの誰それさんが来ている!という見物的側面も観劇の一つの
目的として機能していたという。
階級社会が作りだした、空間における権力の構図。

だからボックス席から舞台をみると、確かに、舞台だけでなく平土間部分も良く見える。
ボックス席は下手、上手の側面にへばりつくように配置されているので決して見やすい席ではない。
しかしここからの視線は確かにこの空間的「仕掛け」を見せてくれる。
舞台と客席という1対1の視線の応答だけでなく、馬蹄形の空間がもたらす、
立体的な視線の往還、それがなにやらこれから始まる演目に祝祭性をもたらす。

途中休憩時間に他のポジションからの視覚も確認するために、
一番高級なバルコニー席からと平戸間から舞台を眺めてみる。

平戸間から見ると、舞台がとても高く見える。
オーケストラピットがありさらに舞台があるので実際舞台は1,2m程上がっているのだが、
それよりも、両サイドに立ち上がるボックス席の重なりが、
舞台を見る視線に舞台上のスケールとは異なる劇場のスケールを介在させるからだろうか。
劇場の客席エリアが吹き抜けの空間として機能し、それ故、
下からの視線は井戸の底から見上げたような上昇性を強く感じる。

一方、バルコニー席からは見下ろす視線になる。
ボックス席のような鋭角な俯瞰の視線ではなく、
緩やかなパースペクティブを伴った俯瞰の視線といったらよいか。

奥行きと上昇性。
これがこの劇場の空間的特性ではないだろうか。
それはまた、ヨーロッパの教会が示す空間の特性でもある。
パースペクティブを強く感じさせる列柱の反復が示す奥行き、
そしてドームという天空のイメージがもたらす上昇性。
これは時間的変化や空間的広がりを、花道や橋掛かりを使い横に広がる空間により
表現する日本の歌舞伎や能とは対照的な空間認識であるといえる。
またこの「奥」という概念についても違いがある。
、 日本的な奥はパースペクティブな視線の先にあるのではなく、
平面や立面のレイヤを重ねることにより作りだされる。
空間の襞のある奥行きとでもいうか、そんな感じである。
この辺りに和の空間と洋の空間の違いを読み解く鍵がありそうだ。

--------------------Tancrediの美術--------------------------------

そろそろ演目へ。初演が19世紀、ロッシーニ作曲のオペラである。
作品は2幕仕立て。途中15分の休憩をはさんで3時間20分ほど。
とりあえず、舞台美術から。
舞台美術はアレッサンドロ・チャンマルーディー、(ゲイ?らしい)。
それはともかく、美術はなかなかよい。
転換幕の替わりに木の格子の檻のような分割パネルに紗を張った木枠パネルを使用。
転換で降り、場転とともに紗ごしに内景を見せながらそれが飛んでいく。
シーンによっては間口を狭めたりして見せるために両サイドの何枚か、
このパネルを下ろしたままで使用。

第一景は左右対称形をなす王宮の中庭的なイメージ。
しかし背景には沈みゆく夕日を伴った海の書き割りが見える。

要素としては、
両サイドに玉座を伴った階段があり、この階段(玉座が取り外し可)
が転換で様々に利用される。
中央にはヤオヤ状に傾斜した色大理石風の模様をあしらった菱形の浮き床がある。
この床のオブジェは2枚に分割でき、その上に布を掛けたりして他のシーンでも利用。

背景には二本の石柱が立ちこれも表面は床の菱形オブジェと同様な色大理石の
幾何学的な模様で装飾されている。
そしてバックの書き割りが夕景の海。

これらの要素と黒の襞付きの幕を使い、シーンは様々に展開する。
それらはおおよそ3つに大別できる。

一つは背景の書き割りと、階段と二本の石柱と
床面菱形のオブジェで見せる王宮的、建築的シーンと
二つ目は、書き割りと床面に敷いた布だけで見せる海岸の浜のシーン。
そして三つ目は背景の書き割りを襞の付いた黒幕で消して、階段と組み合わせた
黒を基調とした抽象的、幻想的なイメージのシーンの3つである。

うまいなと思ったのは、まず舞台前にある木の格子のようなパネル。
斜めから照明を当てることにより紗幕を金網のように光らせて、
なんだかモダンで抽象的に見せていたというところ。
内部の景や話がかなり具象なのでそれと対比的で良かったと思われる。

そして、基調となる素材と色調にフィレンツエのドーモのファサードを飾っているような
色大理石の幾何学模様を用いることにより、アーチであるとか、梁や柱であるといった、
構築的なイメージよりもなにか柔らかく、しかし抽象的でありつつ質感もあるという、
美術的な構成に成功していたというところだろうか。

その色大理石の質感と模様を基調にしてそれと対比させるような背景の海に沈みゆく夕日の
書き割りと布の質感、そして主人公のタンクレディが着ていた
真っ赤なマントと真っ赤な衣装(オペラの美術の人は基本的に衣装も手掛ける)。
これらが、この作品に多層な「質」をもたらしていたのではないか。

空間構成的というよりは、装飾や模様や質感を重視し、
それらがもたらす心理的効果を重視した舞台美術。
そういう印象を受けた。

*物語の詳細に関しては、後日もうちょっと勉強してから書きたいと思います。

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01/10/26(金)

最後の授業の日。
別れを惜しみつつ、次へ進む。
しかし、まだナポリからのファックスが来ていない。
昨日、授業の合間にリザに添削してもらい、ナポリにファクスを出した。
受け入れてもらえるか?
ナポリで住むところを探すのは大変ではないか?
といった内容。
果たして返事はくるのか。
語学学校のアンナが返事が来たら、すぐ連絡するといってくれている。
ああ、それだけがたより。
明日は久しぶりの遠出である。
フィレンツエからシエナを巡ってベネツイアに戻るという計画。
少々の不安を抱えつつ出かけなければならない。

夜は大家さんのアツコさんがカレーを食べさせてくれるという。
こちらに6年滞在している画家のマユミさんと私達4人での晩餐。
日本を遠く離れ、長期に滞在経験のある3人の女性の会話を聞く。
ここはどこだろう
辛口のとてもおいしいカレーがさらにその謎を深める。

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