今日は土曜日、昨日のパーティ疲れからか昼過ぎまで寝て過ごす。
午後から近くのジャルディーニに須藤さんとビエンナーレを見に行く。
私は2度目。
しかし、前回はジャルディーニの会場しかしらず、別会場のアルセナーレ(家の
近く)は見ずじまいだったので今日はそこまで頑張る。
-----------------------ビエンナーレふたたび---------------------
現代美術はしかし疲れる。
現代音楽も難しいが、現代美術もとてもむずかしい。
まして、ビエンナーレである。現代美術の世界見本市といった感である。
いいなと思う作品から、なにこれ?っと2秒で通り過ぎる作品まで。
しかし、殆どの作品に対し私は5秒も耐えられない。
映像の作品が多いせいもある。
プロというかハリウッド顔負けの完成度の高いフィルムワークのものが
ある一方、なにこれ大学の課題?というようなものまでもう有象無象。
なぜ、こうも映像作品が多いのだろうか。
空間を主たる芸術の課題としている私としては、どうもよくわからない。
いくら、色が変わったり、床面に映像を映したり、影を使ったりしても
プロジェクターから対象に投影されるという空間的形式はどれも
変わらない。
そこには、20世紀初頭のような芸術の革新性はないのではないか。
確かにすばらしい作品もあるにはあるのだが、、。
ただ、通り過ぎるだけでも4時間くらいかかる作品の数々、
見終わったあとなぜかとても寂しい気持ちになってしまった。
会場を出て、ベネツイアの海岸線に夕陽が満ちている。
ああ、きれいだ、、。
この美しさを何百年となく人は感じてきたはずである。
橋をいくつも渡りながらまた考える。
この美しさに世紀の断絶はあるのだろうか?
今日も昼まで寝て過ごす。
疲れがどうもたまっているようだ。
よく眠れる。
午後からはトルチェッロ島に出かける。
天気がいい。
フォンダメンタ・ノーベまで歩いていきそこから
大型のバポレットに乗り一路トルチェッロへ。
途中乗り換えのためブラーノ島に寄る。
ブラーノ島は先日フェスタをやったマチコの家がある島だ。
昼間訪れるととても華やかな島だ、
家々が派手な原色で塗られている。
ピンクや赤や黄色や青や紫、、。
なんでも、むかしから漁師の島で、漁師が何日も家を留守にしたあと
帰ってきたときに遠くからでも家がわかるようにとのことであるらしい。
目抜き通りは純粋な観光地の様相を呈している。
なんだか江ノ島を思い出してしまった。
こちらは別に高低差がない平らな島であるが。
それからトルチェッロへ。
本島からブラーノ島まで約45分、それから10分くらいでトルチェッロ島だ。
こちらの島はブラーノとは対象的に20件ほどの家しかない。
葦の原や畑やらが広がっている。
とてものどかな島である。
しかし、歴史的にはこの島は重要な島らしく、
当初ベネツイア人がこの地域に入植してきたとき
この辺りを中心に入植したらしい。
だから、現在はなにもないこの島にベネツイアで1、2を競う
古さの教会がある。
今日はこの教会を見にきたのである。
日曜だからか、我々と同じ観光客が多い。
なにもない島なのに、なぜかこの教会の周りだけ観光客が溢れている。
バポレットの乗り場から両側に葦の原が広がる道を500mほど歩いて
教会の広場に到着。
とてもこぢんまりとした、いい教会だ。
右手の方にポルティコを備えた、小さなサンタフォスカ教会があり
中心のサンタ・マリア・アッスンタ聖堂とは回廊で繋がれている。
その奥の方に鐘楼が見える。
両方の教会の内部に入ってから、鐘楼に登った。
トルチェッロから360°ベネツイアのラグーナが広がる。
とても綺麗な眺めだ。
微かに風が吹いている。
遠くベネツイアのサンマルコの鐘楼が波の上、陽炎に揺らめいている。
今回ベネツイアにきて初めて高い塔に登った。
私は城や教会が好きなので、かならずそれに付随する塔や天守閣には登るようにして
いるのだが、今回はめずらしくやっと登ったというところだ。
しかし、ベネツイアは平らだ。ラグーナだから当たり前なのだが、
あらためてこの塔に登りそれを実感する。
水平に広がる思考。
海洋都市ベネツイアの姿が見えてくる。
塔から降りて、教会をスケッチ。
こぢんまりとしたサンタ・フォスカ教会をスケッチする。
------------------Chiesa di Santa Fosca-------------------------
古さと内部の装飾の豊かさからいうと
断然サンタ・マリア・アッスンタ聖堂(7世紀建造、9世紀11世紀に改築)
の方なのだが、この教会は前回スケッチしたムラーノの
ビサンチン教会と同様ファサードにほとんど装飾がないといっていい。
また、その前庭に円形の遺跡(洗礼堂跡)があり、建築的にはどうしても散漫にみえる。
一方、このサンタ・フォスカ教会は本来殉教者を祀るために11世紀に建てられた聖堂とのこと。
鎮魂ということからか、単純でとても美しいカタチをしている。
上部に円錐の屋根が乗り、それを方形に取り囲む
イスタンブールにあるアヤソフィア等のビサンチン様式の
集中式バジリカの流れを汲む形態であろうか。
円形と方形、それがイレコ状に重なりあい、光が建物の輪郭にきれいに回り込む。
そして、外部にはロマネスク様式の単純なポルティコがまわり、建物を軽やかに演出する。
内部に入る。
暗闇の中、中央に木造の寄せ木の円錐屋根が見える。
内部に入り感じるのはやはり円形と方形が見せる空間の単純さであろうか。
ラテン十字や、単廊式の教会とは違う、強い集中性を感じる。
いわゆるロトンダ形式の空間を思い出す。
パラディオのビラ・ロトンダやそれを形態操作した磯崎 新の利賀のスタジオホールと
同様の空間的な広がりを感じる。
中央の円錐屋根の木造の骨組みは、利賀のスタジオホールとそっくり同じである、
同じというか、ここにその原型があるわけだが、、。
ロマネスクやビサンチンの聖堂をみていいなと思うのは、
その少ない装飾性と純粋形態による空間的演出ということだろうか。
外部に派手な装飾はなく、アーチも単純な半円のカタチをしていて、
積まれたレンガがそのまま力の流れを表現する。
そしてこの単純な形態が光りを浴びることにより、美しく際だつ。
バロックのゴテゴテした感じもなく、ルネッサンスの強い形式性もない。
ゴッシクのあのアクロバティックな感じもない。
ただ、内なる神がいて、それをあたたかく、やさしく被う聖堂(ドーム)としての建築がある。
ここにも建築がある。
今回描いていて感じたのは、この形態の純朴さを
ただなぞりたいということであった。
一ヶ月半が過ぎた。
ここで、完全ダウン。
朝から悪寒がする。
熱がある。
それでも今日はガンバって学校へ。
午後の大学の授業はやすみベッドにダウン。
熱を計る38°である。
ああ、インフルエンザだ。
須藤さんと同じ風邪だ。
体中が痛い。熱が出て、喉が腫れて、、。
もうただ、ただベッドに倒れ込む。
今日はインフルエンザでダウンです。
完全休養日。
学校も休み、ベッドに突っ伏す。
このインフルエンザは強敵だ。
熱がなかなか下がらない。
午後は須藤さんが語学学校の和田さんに
教えてもらって買ってきたイタリアの薬を試す。
なんとかそれで熱が引くも、体調は最悪。
明日はどっちだ?(力石徹 風に)
無理をして朝は学校へ。
やはり熱がぶり返した。
なんだか手までしびれる。
またまた38°。
ああ、サンタルチア!
いやマンマミーアー!!だ。
今日は諏訪君から彼のお母さん(実は看護婦さんとのこと)
が病院で処方してもらった薬をもらう。
これが、いわゆるいっぱんの風邪ぐすりでこれが胃薬。
で、これが抗生物質です。
ああ、日本の医療に頼ろう。
震える体を押さえつつ、薬を飲んでベッドにごろん。
夕方から体調が回復してくる。
やはり海外で病気になるといろいろ大変だ。
病気の時はお粥に大根下ろしに梅干しと、、、。
ああ、夢のまた夢。
しかし、運よく救援物資がリカバイリーCDと共に須藤家から到着。
なんと梅干しが!!
ああ、これほど待たれていた梅干しもそうそうないだろう。
とてもおいしく頂きました。
風邪をおしての登校。
しかし、今日はがんばる。そう決めた。
午後には最近ファサードの修理が終わりかけている?サンジョルジョ
マジョーレ島のキエザ(教会)に行くことにする。
これは、ルネサンスの建築家パラディオの作品だ。
先日、トルチェッロ島で途中まで渡りかけ、そこから見つめた
その先の小道に妙な気配を感じ、そのまま引き返した橋が
実は「悪魔の橋」と呼ばれていることを後で知り、
風邪はどうもそのせいじゃないかと、なんだか
気まで弱っていたので、今日はもうやけで「神がかり」でいこうと
この教会に出かけて見ることにしたのだ。
神がかりといえば今日の語学学校の授業でおもしろいことを教わった。
イタリアでは一年365日、全ての日に「守護聖人」が付いている。
それって、赤口とか大安みたいなもの?と須藤さん。
??!!
しかし、どうやらその日は固定らしい。
仏滅や大安や先負のように一年ごとに変化するのではないということ。
だから、例えば、私の誕生日5月3日は、、。
先生のリザがカレンダーで探してくれる。
5月3日は、、。
サン・フィリッポだ。うん、いいわよ!。
なにがいいのかよくわからないが、どうも彼女は自分の誕生日の守護聖人が
あまり好きでないらしい。だからある程度有名な聖人であれば基本的には「よい」のである。
だから一番有名なのはサン・ルカとかサン・マルコとなるわけだ。
サン・フィリッポ?聞いたようなきかないような、、である。
アキコの誕生日は?
10月2日だから、、。
オオ、これは凄い、santi Angeli Custodi ,,,.
直訳すれば聖守護天使たちの日ということになる。
???リザが説明してくれる。
生きている人間一人一人には天上からあなたを見守ってくれている天使が
必ず一人いる。
10月2日はその守護天使全員の日で特別な日よ!
整理すれば、
一日一日には必ずだれか聖人の名前が割り当てられている。
その日に生まれた人はその日の聖人がその人の守護聖人となる。
で、10月2日は聖人であり天使である人?もいてその守護天使全員が
見守ってくれる日ということになる、、。
ってことはだから、10月2日生まれの人は天上ですごい数の天使に見守られていることになる。
須藤さんは当たり前といったとても満足そうな顔をしている。
ふ〜ん。
しかし私も密かに喜んだ。
というのも、聖人フィリッポとはその人本人ではないがまさに、ルネッサンス建築の聖人ともいっていい
フィリッポ・ブルネレスキのフィリッポではないか。
ああ、私は偉い人に見守られているものだ。
一人で勝手に納得したのであった。
イタリアでは子供に聖人の名前を付けるということがまだある、
カトリックのこの国では、むかしは殆どそうだったらしい。
そして、自分の名前と同じ聖人の日は第2の誕生日ということになるらしい。
だから、聖人と同じ名前を持った人には誕生日が2回ある。
これもおもしろい。
でも、以前から西欧の名前にも日本や中国や韓国の名前のようにその文字字体の意味を
考えて名付けるというような習慣があるのか気になっていたので、
これについては一つ謎が解けた感じである。
そんなフィリッポに見守られつつ、穏やかな青空のした波上を対岸の
サンジョルジョへ向かった。
なるほど、それじゃこの教会はサンジョルジョ教会だから、
聖人ジョルジョ(サンジョルジョ)の見守る教会なのか。
ひとり勝手にうなずきつつ、教会の前に立つ。
-----------------------------Ciesa di sangiorgio-------------------
16世紀後半アンドレア・パラッディオの設計による教会。
様式的には後期ルネッサンの時代に属する。
2001年の現在、この教会のファサードは修復中である。
しかし、今目の前でその修復用の足場がゆっくりとだか確実に解体されいているのも事実なのだ。
2週間くらい前だろうか、ファサード全面を被っていた現場用仮設シートが
いきなり取り払われた。足場の中にパラディオのファサードが微かに浮かび上がる。
ラッキー!!
それを対岸のサンマルコから見つけた瞬間にスケッチをした。
そして一昨日あたりか、風邪で私が一日ダウンしている間にやっと上の方から足場がはずされ始め、
ペディメント三角破風の上にのる彫像が見え始めた。
そして今日やっと上部3分の2くらいの部分まで足場が解体され始めた。
もう少しだ。この足場が全て撤去されてからスケッチしよう。
そうこころに決めていざ教会の内部へ。
しばし、その前に。こちらの足場大工さんの働きぶりを拝見。
撤去の進行状況を見つめていたが、イタリア人は別にチンタラとは
仕事をしない。こちらにいてなんとなく解ってきたが、ベネツイアやこのあたり
ベネトの人たちは良く働く。
ただ、ちゃんと休憩をとり、ちゃんと休む日は休むというリズムを守っているのだ。
だから、東京の私たちの現場のように、出来るまで続けるとか、そういう無茶はしない
だけで、仕事も丁寧だし、器用だし、良く働く。
ただ、やはりその労働の目的が違うのだろうか、
現場を見ていて感じたのは
日本だったらもう数十人多く投入して一気に終わらせ
早く仕事を片づけるということを最優先するだろうということだ。
これも土地や人件費の高い東京や日本の事情がそうさせている側面は多々ある。
しかし、一日一日をどう過ごすかをとても大切にしているこの国では
それは考えられないことだ。
逆にそれだからこそこの偉大な作品やベネツイアを
生み出してきたのだともいえる。
そしてその習慣がいまも継続している。
日本はどこで断絶してしまったのか、、。
およそ400年前にパラディオが建てた建築と向き合い、そのファサードを
一つ一つその細部を確認しながら修復するという誇りのある仕事。
現場で解体している大工さんのほか、まだ最後の修正をほどこしている
修復専門の作業員も熱心に働いている。
現代のイタリアは建築の修復部門に関して相当進んだ国であると聞く。
この21世紀の修復はこの建築をどこまで届けるのだろうか。
1000年先か2000年先か、、。
働く人の後ろ姿にかの時代の職人の姿がだぶって見える。
どこかで、パラディオも見つめているはずだ。
沈黙をともなって教会の内部へ。
教会の内部に入るときは、側に必ず沈黙がいる。
こいつをどう思考するか、、。
どうやらそれが課題のようである。
ああ、天井が高い。
柱が立派で大きい。
ああ、パラッディオだ。完成されたルネッサンス様式がここにある。
気を静めつつ、工事中のファサード中央大扉の自分が決めたスタート位置に立つ。
まず入り口の視点の高さから全体を見渡す。
整った柱頭飾りのラインと等間隔に置かれた柱礎、基壇の一塊のボリュームが
見事なリズムのパースペクティブを構成する。
そこからテクテクと歩き始める。
まっすぐ後陣に向かって。
左右に流れる視線。上を見上げる。
ああ、ここは建物のちょうどセンターだろうか、その真ん中に巨大な白いドームが乗っている。
中央が一段高くなりそこから入る光がその白を満たす。
そのドームから横に視線を落とすとその先には左右対称に側廊がひろがる。
さらにテクテク歩く。
祭壇の前に一段の段差。
床の模様がここから変わる。
祭壇の中央に大きな彫像の集合体。
それを迂回し横目で見つつ、さらにその奥へ。
そこから後陣である。
ここは数段の段差があり、司祭が数十名円弧状に並べるようになっている。
だから中央になにもない半円の空間が広がる。
ここから、今歩いてきた方向を振り返る。
が、ここからだと祭壇中央のオブジェがじゃまをして全体が見渡せない、
祭壇部の前まで戻りそこから全体を見渡す。
等間隔に並んだ柱が空間にリズムを与えている。
そして、床の平面と上空のアーチの半円ヴォールトが全体を統合する。
パラディオが建築を空間として捉えているのがよくわかる。
平面の象徴性や、縁取られたいわば舞台の額縁のようなものの連続によって
空間が成るのではなく、全体と部分の往復による構想がありそれが
空間を支配する。そこから建築が始まっている。
歩きまわり、キョロキョロと見回すことにより視差をともなった視覚体験として
建築を捉える、それでなけれえば、このパラディオの構想はわからない。
この建物の左手奥から入る、ここの鐘楼にエレベータで登り、
対岸のサンマルコ広場とベネツイアのラグーナを
見渡したあと、とてもおもしろい体験をした。
祭壇奥に戻ってきてまた辺りをキョロキョロ見回していたら、
先ほどの立ち入り禁止のエリアに一人の女性(50代くらいか)がいる。
すると、譜面を片手にいきなり歌いだしたのだ。
びっくりしたのはいうまでもない。
しかし、だれも止めはしない。
浪々と一曲、「サンタ・マリア」を歌い始めた。
係りの人も別にとんでこないし、神父さんも現れない。
ある人は立ち止まって聞き、ある人はイスに座り祈りながら聞いている。
私は声を聞きながら歩き回った。
確かにいきなり普通の女性が歌い出したのにも驚いたが、
なにより一番びっくりしたのは、その声の響きであった。
なんといったらよいか、その人はとても大きな声をだしているわけではない。
だが、その声がこのドーム全体に響き渡っている。
その歌声は祭壇の一番奥からのはずである。
だが、動き回りそこから一番遠い入り口のところまで来た私にまで
かわらない大きさできれに響き渡っている。
それにかなり長い残響であることが解る。
ここで、立ち止まり歌が終わるまで待つ。
なにかに黙祷をささげているような気になる。
テロ事件の関係か、、?。
彼女はどんな思いで歌い出したのか、、。
歌い終わり、その残響がこの空間を満たす。
その時、また、パラディオのとてつも無さに
震えてしまった。
その残響が、音が空間のその全ての領域を、輪郭をみせたのだ。
ここに空間がある!!
なんという空間だろうか。なんという構想だろうか。
音がカタチとなり、そのアーチをドームを滑り、流れ、この聖堂を
満たす。
目を瞑ると、その残響が今だ鮮明にその輪郭を、見えないカタチを、空間を
見せる。
初めての経験であった。
青年団の美術をしていて、これは実は美術の仕事ではないと言われてしまえば
そうなのかもしれないが、初めて公演する劇場を主宰の平田と
下見に行きいつも気になってしまうのは、その空間の音の性能である。
平田の芝居が微かなため息から歌まで役者の持てる生音を有効に生かす
演出であるため、音の響きが悪いホールでは、
音というか空間の問題として、そこに美術として見える空間と
そこに役者が登場してその役者の音が満たす空間のなにか質の違いの
ようなものが気になってしまうのである。
だから、私は美術家なのに初めての劇場ではまずその舞台の上で手を打ってしまう。
この空間はどういう響きをもっているのか、、。
それを確認してから、美術の構想を練るのである。
空間はその空間特有の響きを持っている。
現代の音響工学が、素材や質量や形態によりいかようにもその音響特性を
コントロールできるということは解っている。
しかし、このパラディオの教会のように、その空間の隅々にまで音が満ち
消えていくその音がその空間の輪郭をみせるという経験は初めてのことで
あった。
これはなんなんだろうか。
まだ、よくわからない。
初めて観たものはそれがなにであるか認識できないものである。
だが、その美しさ、すばらしさは直観できる。
人間は不思議にできている。
はてなを抱えたまま一度家に戻る。
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家に戻ってから、夕方またパッセジャータへ。
少しは動いた方がいい、咳はとまらなくとも。
Corte di paradiso 「天国の小道」という道を見つけた、
行ってみる。
しかし、その小道は小さな運河に突き当たり終わっていた。
悪魔の橋に片足を突っ込んで、さらに天国の小道に迷い込む。
ベネツイアは悪魔やら天国やらといろいろと忙しい。
まるでダンテの神曲だ。
その近くの文具屋でスケッチブックを買う。
黒い、表紙のしっかりとしたもの。
イタリア製だ。
少し風が肌寒くなってきた。
どうも今年は異常気象らしく10月中旬にしては
暖かい陽気が続いているとのこと。
明日は明日の風が吹く。
母の好きな言葉を口ずさんでみる。
帰り道、耳鳴りか、微かにまだあの音が耳に残っている。
家に帰って新調したスケッチブックを開く。
タイトルを付ける。
「空間のスケッチ」
空とした、漠とした、この空間をつかまえる。
風邪などに負けてはいられない。
長期戦の様相を呈してきた。
なんだか、昨日よりも少し具合が悪い。
昨日の夜から風邪が本格的に喉の方に
周り込み、咳で眠れなかったのだ。
授業後、すぐ家に帰りベッドに倒れ込む。
今度は別のイタリアの風邪薬を試してみる。
最初は調子良かった。
しかし、途中から失速した。
5〜6時間後にまた熱が上がり始める。
38、5°
かんばって、散歩に行くも調子が悪く、
気分まで落ち込む。
どうもこの風邪薬、カフェインが強そうである。
切れて落ち込むのが激しい。
結局もう一度日本の薬に戻し、再挑戦。
喉の腫れが一段とましている。
そろそろ看病疲れの須藤さんもがんばって
喉用のネギ巻きを作ってくれる。
ああ、部屋がネギの香りで満たされる。
臭い、臭いと須藤さんが一人大喜びである。
早く治れ。
なんだか、体が弱かった子供の頃を思い出す。
やはり、ふるさとは遠きにありて思うものなのだろうか。