一週間が早くなってきた。
時間もなにやら7掛けくらいで進んでいる気がする。
昨日のフェスタの疲れで午前中はダウン。
ゆっくり起き出して、金曜日の授業にリザが
彼女が住んでいるトレビゾの街を紹介してくれたので、
午後はトレビゾに行ってみることにする。
今日は蒸し暑い。
なんだか、やはりベネツイアは狭い。
トレビゾに停車する列車に乗り込んだら
リザとマッシモも同じ車両に乗り込んできた。
オーイッ!!と手を振る。
信じられないとリザ。
車中30分、リザが作ったトレビゾ観光マップを
覗きながら、行くべき所をチェック。
ついでに、トレビゾの名産品とおいしいワインもチェック。
トレビゾの旧市街、城壁の内部の目抜き通りを
一緒に歩いてそこでお別れ。
今日の午後はゆっくりトレビゾ観光である。
ここでまた、このトレビゾの街の概要につてい書きましょう。
------------------------------Trevisoの街----------------------------------
ここはベネツイアから電車で30分のところにある。
同じベネト州の街だ。ご存じベネトンの本拠地でもある。
だから、街自体はかなりお金持ちのようで、
日本でいえばいわゆる企業城下町といった感じである。
ただ、このベネツイアから30分という距離感がどうも日本の距離感と異なるので
この地理的距離が捉えにくい。
例えば、ベネツイアを上野浅草と考えると、トレビゾは
特急が途中1カ所くらいしか停車せずに到着するから三鷹か八王子くらいの距離に
あたる、あるいは町田か相模大野か厚木といってもいい。
距離的にはこれで正しいはずなのだが、街の広がり方は全然異なる。
まずベネツイアを出て15分もせずにすぐベネト州の田園風景が広がる。
江戸、東京のように、街の中心が宿場町として発達しそれが街道沿いにやがて住宅地として
スプロールしていったという発展形態を考えると、こちらの街は
明らかに、各街が小国としてあるいは都市として独自に発展してきたという
歴史過程がある。
そのため、各都市は城壁とその内部の旧市街という同心円状に広がっているので、
その街街を繋ぐ経路上はいまだ、のどかな田園風景が広がるのである。
東京が拠点と線から面的に広がっていると考えると、こちらは点とネットワークという感じである。
だから、あえて強引に日本の地理、歴史的状況と比較するとすれば、江戸、小田原、静岡という
諸藩の中核地がベネツイア、ミラノ、フィレンツエに相当し、しかしイタリアの場合は
その同じ州(日本でいえば藩)の中にさらに各都市に小国的なあるいは自治都市的
発達過程があったということだろうか。
だから、日本のようにのんべんだらりと街がスプロールしてどこまでいっても同じ風景が
広がるというようなことがない。イタリアの街はその中心部に強い求心力を持っていて
その周囲にあたらしいベットタウンが広がり、それを核としてネットワーク的に展開している。
だから、いまだに各々の街は強い個性を持ち、独自の文化や風習を受け継ぎ、それを大事に
している感がある。
日本も明治以前、中央集権化する前は確かにこのような街々における文化の独自性は
あったはずである。
私は、古くからの城下町や港町などに芝居で公演に行くときは必ずその町を歩くようにしている。
車や電車で移動するのではなく、歩いて距離を楽しむのだ。
古くからある街にはその町の道筋や骨格に街が育んできた歴史と文化が見え隠れするからだ。
それを歩きながら肌で感じるのがとても好きなのだ。
なにも昔に戻れというわけではない、ただ、なぜイタリアのように
各都市の持つ文化を大切にしその土地や都市が育て築き上げたものを
放棄してしまったのか。
公害と騒音の中で、いい服をきて狭くて高い所に住んで、一生懸命働いて、お金持ちになる。
そのために失ってきたものはあまりにも大きいのではないか。
と、日本の都市批判になってしまったのでトレビゾの街に戻る。
トレビゾの街もイタリアの他の都市の例にもれず城壁で囲まれた旧市街が街の中核をなしている。
リザが説明してくれたように、このようなイタリアの小さな街には必ず、次の要素がある。
それは、城壁(ムラ)と街への入り口の門(ポルタ)と街の中心の広場(ピアッツア)とその広場に
面して立つ街の政治的、経済的機能を司ってきたお屋敷(パラッツオ)と教会(キエザ)そして
アーケード(ポルティコ)を形成している生活を支える商店(ネゴツイオ)である。
これにそってトレビゾの街を解説するととてもわかりやすい。
イタリアの多くの駅がそうだが、トレビゾの国鉄の駅も街のはずれにある。
駅は城壁の外、南側に位置する。駅を降りて城壁を抜けて街の背骨を成している目抜き通りを
北へ進むとその両側にショッピングモールが展開する。
歩きながら感じるのは、お店の内装の綺麗さ展示のモダンさである。
そう考えるとベネツイアのお店は浅草仲店のおみやげもの屋に見えてくる。
それと、通る車の新しさと車種の多さであろうか、アウディ、ベンツ、トヨタ、フォード等々。
街に住んでいる人々の金銭的な豊かさが見えてくる。
そのまま、目抜き通りを進むと旧市街の中心シニョーリ広場にでる。ここにもパラディオの街
ビツエンツアの中心にあったバジリカのような巨大なパラッツオがある。
ここは、土曜日の夕方ともなるとトレビゾに住む人々がみんな繰り出してくるらしい。
トレビゾの住人リザの話どおり、土曜日に来て正解であった。
そぞろ歩きする人々でいっぱいである。
しばし観察。
若い人、おじさん、おばさん、おじいさんおばあさん、子供を連れたお母さん。
全ての街の住人が繰り出している感がある。
これも日本では考えられないことだ。
それはベネツイアの夕刻にも感じたことなのだが、イタリアでは夕方に人々が街や道に
繰り出してくる。
東京であれば、渋谷のセンター街のような人出になる。ただ、全然違うのはその
人混みを構成している人々である。
渋谷であれば、それはほとんどの場合、若者である。浅草であれば、中年のおばさんという風に
街が受け入れる人種が決められている感がある。
それがイタリアの場合、街で立ち話しているのは、なにもおばさんだけではない。
あらゆる年齢の人たちが街に繰り出す。そしてそぞろ歩きと立ち話を楽しむ。
日本の都市からみると不思議な光景である。
しかし、なにか街の持つ幅の広さのようなものを感じる。
人が住み暮らしそこで楽しみ、人と会って話して飲み食いし買い物する。
本来の生活の基本が街路にあるのだ。
このイタリアの街や広場の機能についてはもっといろいろな街を体験しゆっくり考えたいと思う。
トレビーゾの中心に戻る。
そのシニョーリ広場をさらに進むとドウオーモ広場にでる。
こちらは、教会を中心とした広場である。
それをさらに進んで行くと、北側の城壁に至る。
駅から歩いて30分もかからないだろうか、
この北側の城壁沿いが散歩コースになっていて、とても気分がいい。
城壁のすぐ外を川が流れていて、さらにその外側に主要幹線道路がある。
この城壁の北側を流れる川はその東西に長く延びる城壁のちょうど真ん中あたり
で二股に分かれ一方は街の中心を流れて南側に抜ける。
ビツエンツアの街もそうであったが、川も街が形成されるための重要な要素の
一つなのだ。
そしてその川が街の中を流れることによりところどころ小さな橋があり緑があり、
それが街にリズムと潤いを与えている。
小さな街であるが、活気がり、人がそこで生きるための全ての要素をもった宝石のような街である。
美術館でモネの展示を見て、
夕刻、帰りの時間を気にしながら、リザが教えてくれた一杯飲み屋でワインを飲む。
プロセッコという、ベネト特産のワインである。
スパークリングで辛口だがとてもおいしい。
ワイン一杯とハムが乗った小さなパンを食べて二人で7500L(450円)。
人があふれ出したトレビーゾの街を後にして一路ベネツイアへ。
今晩は、例の諏訪君の友達、ビエンナーレで働いているマルコにお願いして、
家の近くの劇場ピッコロテアトロ・アルセナーレでビエンナーレの関連企画、
現代音楽を聴く予定である。
----------------------United Berlin@teatro piccoro arsenale------------------
ベネツイアの駅に着いたのが7時半くらい、それから2人と合流してまた一杯飲み屋で
軽く飲んで、食べて、コンサートの開演は9時。
演奏者はユナイテッドベルリンというグループで日本人も一人いた。
実際に現代音楽の演奏を生で聴いたのは2回目くらいだろうか。
結構楽しめたかもしれない。
ここで初めて演奏されるという3曲を含む計6曲の演奏。
客の入りはまあまあといったところか。
現代音楽を批評するのはとてもむずかしいのでここでは控える。
ただ、やはり聴いていて感じるのは、20世紀という時代の位置である。
音楽の終焉、絵画の終焉、建築の終焉。
さまざまなものが、前世紀を引きずりつつ、しかし断然しモダンということを掲げた。
モダンであること前衛であること。
我々はどこから始めればいいのだろうか。
最後はタケミツトオルの曲であった。とても素敵な曲だった。
これは21世紀まで持っていきたいと思った。
今日は完全休養。
3時まで眠り惚ける。
夕方起き出して、街に彷徨い出る。
ストラタノーバ(北大通り)の先、ベネツイアではめずらしい
新興住宅地に入り込む。
80年代風の計画的なマンションが並ぶ。
居住としては便利そうだ。
しかし、路地に人気はない。
あのベネツイアの路地のもつ豊かさがここにはない。
なにか、日本の団地にも似た、空間における装置的要素の少なさ。
殺伐とした風景。
建築家が思い描いて、住宅ブローカーが宣伝文句に歌い上げる
楽しい家族と素敵な生活の夢。
そぎ落とされた計画経済が実現したのは、殺風景な未来都市だ。
運河一つ隔てて、あの古い汚い、しかし、哀愁のあるベネツイアが見え隠れする。
船が行き過ぎる。
この距離はなんなのか。
夕方の運河沿いをゆっくりと歩く。
今日も湿度が高い。
秋の夕方なのに、なぜかむしている。
運河のちょっと鼻につくにおいがする。
窓から老婆が覗いている。
こっちにはなにもないよ。
老婆が手を振っている。
その手の振られる方向へ我々は歩いていく。
あの紙芝居のような新興住宅地とは逆の方を指している。
やがて、人混みが始まり、ざわめきとあやしいベネツイアの街に戻る。
夜は諏訪君と3人で中華を食べる。
リアルト橋のすぐ近く、込み入った路地の突き当たりにある。
須藤さんが中国語で注文する。
イタリアで中華を食べる3人の日本人。
ここはどこなのか。
蟹がとてもおいしかった。
店を後にすると路面が濡れている。
通り雨がふったようだ。
中華レストランの明かりが遠のく。
今宵もベネツイアの街を彷徨い歩く。
米軍がアフガンへの空爆を開始した。
朝のテレビニュースで知る。
戦争が始まるのだろうか。
いや、もう始まっている、、。
イタリアでは日本のニュースはほとんどまったく流れない。
ベルルスコーニ首相の声明やロンドン、パリ、ベルリン、ロシアの反応は
報道されるが、アジアはまったく触れられない。
日本は遠い国なのだ。
今日も連日の疲れを引きずりつつ、語学学校へ。
昼から大学の授業を聴講してまた疲労の極限にいたる。
午後、一度帰宅して夕方パッセジャータ(散歩)へ。
日本やアジアの食材が売っている駅の近くのお店まで出かけ、
ラーメンとカレーと醤油を買い込む。
夜は須藤さんのタイカレーで乾杯。
カレーと白ワインでTVニュースを観ながらの夕食。
ニュースはずっと空爆の特番をやっている。
朝は冷え込むのに、
今日の昼は暑い。
10月というのに
Tシャツで十分くらいの陽気だ。
それに湿度も高い。
路面が濡れているのは、湿度のせいか
夜の雨のせいか、それともアクアルタのせいか、、。
いつもどおり海岸沿いを歩いて学校へ。
午後は大学の授業を聴講。
なんとなく、毎日のリズムが見えてくる。
しかし、景色はあいかわらず美しい。
午後は半月ぶりの語学学校主催の料理教室の日である。
例の赤い髪の女性パトリシアがまたまた先生である。
今日はリドの夏の家ではなく、
お二人のサンマルコ近くの素敵なお宅へ伺う。
なんでも、17世紀に建てられた家がこの家のベースになっているらしい。
家は中庭を抜けそのパラッツオの最上階にある。
やはりこの二人、超金持ちなのか、、。
古い屋根の梁組をそのまま見せる、これでもかというくらい
素敵なお家。
部屋を飾っているものも並大抵のものではない。
ドージェ(ベネツイアの歴代の元首)が使った帽子(本物か?)。
ゴンドラで使われたアンティークのイス。
海底から引き上げられた珊瑚付きの壺。
そしてミラー張りの壁面。
旦那は元賭博士。
奥さんは元超美形。
ベネツイアを愛する、ベネツイア人。
まあ、こういう家になるか、、。
その最上階から屋根の上のテラスに出る。
そこから、逆光を浴びたサンマルコ寺院の背中が見える。
180°のベネツイアの風景。
幾多の鐘楼が見える、そして青い空。
ベネツイア人は本当にベネツイアが好きなのだ。
この風景を見てそう感じる。
フンギ(キノコ)入りのパスタ(今日はブリトーニ)
の作り方&食事後にここからサンマルコの鐘楼のスケッチを試みる。
今日は団子より花。
重なる屋根のライン、その中で唯一丸いタマネギのようなカタチをした
サンマルコ寺院のキューポラ達。
そして、金色に輝く有翼の使者がその背後の鐘楼の遙か上にたたずむ。
2001年の風景。そしてそれはおそらく800年前の風景と変わらない。
空間に生きた時間は描き込めるのだろうか。
おいしい物を食べて、おいしいワインで酔っぱらった体で考える。
今日は久しぶりに天気がいい。
朝、薄いモヤがかかっている。
天気が読めない。
最近の天気は朝、モヤがかかっていて、
午後から薄曇りだが日が射して熱くなるというパターンが続いている。
だから、朝は長袖の厚いシャツに上着。
昼過ぎの日差しの中では、Tシャツ一枚でも大丈夫という感じだ。
朝晩の寒暖の差が激しい。
だから、体調管理がむずかしい。
午前の語学学校の後は
イタリアへ来て最初に知りあった語学学校の友人、
キヨさんのお家を訪ねる。
リアルトの近くに最近やっと1年間通して借りられる
物件を見つけ、引っ越して机を買ったという。
その机を私が組み立てるという予定。
学校の先生、セルジョとアンナと和田さんと
リアルトで待ち合わせキヨさんの家へ。
ベネツイアの風景画家、カナレットが住んでいた家のすぐ近くだと
また物知りセルジョが教えてくれる。
家はこちらでいう2階。
キヨさんが汚い、汚いといっていたが、わたしからみれば、なーんだ
綺麗なものである。
いわゆるダブルルーム(カメラドッピャ)が一つにシングルルームが一つ、
それに台所と中庭に面したテラスがある。
トイレとシャワーが少々古い。
お伺いしたとき、水が階下の天井にしみ出していた。
こちらでは水漏れは結構あるらしい。
今私たちが住んでいる家でも
なぜかお風呂の下が下の住人の食堂らしく、
以前水漏れがあったとき大変だったと大家さんから注意された。
セルジョが見守るなか、机を組み立て無事完成。
家具の配置等をいっしょに考える。
-------------------------ベネツイアの「いえ」・東京の「いえ」-----------------
ここでおもしろかったのは、
日本人ならやはり北枕になるようにはベッドを置かないと普通考えるわけだが、
イタリア人はどうも北枕が好きなようである。
ベッドに寝転がったときに目線の先に窓と光が見えていいじゃないか、というわけである。
また、こちらの窓はガラスが両開きで内側に開くため、
ベッドを窓側に置いたら、頭があたってしまうということもある。
フトンとベッドの違い、視線の高さの違いによる生活習慣の違い。
私はやはり南側に頭がきたほうが気持ちよいと考える。
低い視線から部屋の外の明かりを仰ぎ見るという感じだろうか、、。
ここにも座の視線と床の視線による文化の違いが存在する。
なんとか私の意見で押し切り、とりあえず風の通り道を確保しつつ
ベッドの頭を東にするというレイアウトで落ち着く。
はてさてどうだろうか、、。
夜は一端家に戻ってから、今週でローマに去ってしまうアイコの家でフェスタである。
これもリアルトの近くにある。
2週間だけ日本語学科の生徒さんの協力を得て語学学校が
斡旋した部屋である。
ルームメイトは日本人のシェフみならいの男の子とイタリア人の学生3名(内1名女性)
という構成である。
このアパルトメントの間取りも結構ひろい。
いわゆる共同生活なのだがこちらの家は中央に日本でいう居間が大きくあり、
それに面して各居住者の個室の扉が付くというパターンである。
共有スペースはトイレ、バス(これは1部屋のパターンが多い)とキッチンと
この居間である。
だからお客さんを呼びやすいのである。
この共有スペースでフェスタをやっていれば、各部屋に住んでいる人も参加して
そこに遊びに来ている友達も参加して、わいわいがやがや、、、となるわけだ。
日本でいえば大学の寮みたいな感じである。
もしこのような住居タイプのアパートが日本にあったら
おそらく私は喜んで使っていただろう。
大学入学からの10年間、いろいろな人と狭い日本の住居で共同生活をしてきた
私にとって、この居住形式は理想のタイプのひとつであると思わる。
完全に個別にするのではなく、しかしプライバシーを確保しつつ共同で生活すること。
共同生活を通して、他者とのコミュニケーションを学ぶ。
家の中に社交の場がありさらに街の中に「広場」というコミュニケーションの場が存在する。
これは、異文化や他者との接触が避けられなかったヨーロッパで芽生えた居住の形式であろう。
家庭内の個室が密室化している今の日本では完全に排除されている発想ではないだろうか。
しかし、ワインの飲み過ぎである。ワインを飲まない日が無いのだ。
2ヶ月目にしてどうも肝臓がダウンしかかっているようだ。
明日も別のお宅でフェスタがあるのだが、お休みさせてもらうことにした。
疲れがピークに達している。
寝ても寝ても疲れがとれない。
1ヶ月分の緊張が体に回ったのか
それともワインの飲み過ぎか、、。
今日は学校の後、安静にすことに決める。
日記を書いたり、本を読んだり。
夕方、先日発見した古い印刷機を使った名刺屋さんに
頼んだ名刺を取りに出かける。
フォンダメンタ・ノーベにある小さなお店だ。
店構えが良く、須藤さんと諏訪君と3人で散歩していたときに
立ち寄ったのだ。
しかし、どうも有名なお店らしく、日本からの名刺の注文をいくつも
受けていた。仕事も繁盛しているらしく、それを
おじさん一人でこなしている。
こっちに来い!みろみろと
印刷する様子を見せてくれる。
アートマチック、ハンドメイド!!
(自動的手作業だ!)
わけのわからないことをいっている。
でも見て納得。
確かに機械はモータによってオートマティックに動いているのだが
それにおじさんが新しいさらの名刺の紙を的確に置いていくのである。
その紙が印字されてそれをまたおじさんが取り出す。
たしかに半分人力で半分機械なのだ。
イタリアの不思議をここにも発見する。
グーテンベルグのようなもんだとおじさんがいっている。
名刺に使用したい絵柄を選べと数百枚ある名刺を見せてくれる。
どれも素敵な絵柄を使用している。
絵柄と数種類の字体を組み合わせて、
活字をならべ、それにベネツイア特有のインクの色を乗せて
刷り上げる。
なかなか素敵な名刺ができあがる。
私はscenografo(舞台美術家)と入れてもらった。
今日も夕方は暖かく、陽がかすかにのぞいている。
明日の天気はどうだろうか?
今日は時間があるので先日トレビゾでみたモネ展についてちょっと書こう。
-----------------Monet( I luoghi della pittura)------------------
訳せば、画家の場所。luoghiはゲニウス・ロキというラテン語のロキと同意。
ローケーションとか場とかという意味。
トレビゾのCasa dei Carraresiというところで開催されいていた。
会場は美術館といっていい。
おそらく古い建物を改装して美術館にしているのかもしれないが、
内部はモダンなインテリアになっている。
私がベネツイアやここで見た展示で共通しているのは、内装がどうも
カルロ・スカルパ風が多いということだろうか。
シンプルで直線的だがディテールに凝っていて、鉄やブロンズを要所要所に使用するという
共通の方式がとられている。
展示の方だがこれがまた少し普通の美術展とは違っていた。
通常、画家の略歴が最初に展示されあとは、作品のみとなるのだが、この展示では
一つのコンセプト(場所)というものを中心に展示をおこなっており、
まず展示の区分けが年代別ではなく、旅行であるとか山であるとか、庭であるとか、田舎の風景
であるとか場所を主題に区分けされているのである。
そしてその区分け事にそれに関係するモネの写真やら手紙やらあるいはその場所のその当時の写真
を一緒に展示しているのである。
まるで、博物館のような絵画の展示。
これは、初体験であった。
その絵をただ見るだけでなく、その絵が描かれた背景や
モネのその当時の状態やその場所の写真的な真実さと
比較しながら展示を見るというのは作品に対する理解度を広げてくれるが、
純粋に絵画として楽しむのとはちょっと違うという気もした。
時には写真による絵の複製も同レベルで他の作品と展示されているわけである。
なにをどう見ていいのか迷ってしまうところもあるのだ。
ただ、その各テーマごとでは年代順に展示されているので、その課題に対する
モネの作風の変化はとても解りやすく見えてくる。
30代後半からいわゆる印象派と呼ばれる独特の作風を確立していき、
30代〜50代くらいの作品が一番構図的な完成度を持っている。
しかし、60代〜の方が、作品としての円熟度、言葉にできないイメージの到達度というか
そういうものがある気がする。
睡蓮の大きな連作のシリーズは今回来ていなかったが、
しかし、改めてモネの作品の美しさを見た気がした。
喧噪の金曜日。
いぜん疲れが取れない。
今日の予定は
語学学校、午後4時から語学学校で学校に飾ってあるオブジェを作った作家さんが
ちょっとした講演をしてくれる。
それから7時に謎のお坊さん、安藤さんのお宅によって近くのレストランでパーティが
ある。
といったところ。
しかし、あいかわらずそれはイタリア。予定は未定。
午後の講演会が中止になった。
私と須藤さんしか集まらないということらしい。
結構このパターンで中止になっているものが多い。
結局、先日中止になったマスクを作っているお店に行きマスクを見るという
イベントに変更。
ベネツイア駅の近くにあるマスク屋さんに出かけることに。
これも語学学校の先生セルジョの昔からの知り合い。
おじさんは、セルジョと同じくらいの歳で、なんだか、ピノキオを作ったジョセッペじいさんの
ような雰囲気である。
長い白髪の髪にメガネを掛け、汚らしい作業着を羽織ったまま、ぶつぶつなにか言っている。
とても気の優しいおじさんだ。
ベネツイアのマスクの作り方を教えてくれる。
これは皮でできているんだ。
皮をまず、木で作った木型にあて、叩いてカタチを整えていく。
ところどころ切ったりして寄せて整形していくんだ。
それで、完成した型に色を塗るというわけだ。
皮で出来ているとは知らなかった。紙をそのカタチに整形しながら
張り合わせてつくっているのかと思っていた。
確かに紙の仮面もあるらしい。しかし皮の仮面の方が表情や質感に
不思議な柔らかみがある。
彼は家とこのお店の作業場で製作し他の業者に卸しもやっているらしい。
だから、オリジナルの型をいくつももっている。
ここで時間をつぶして一路安藤さんのお宅へむかう。
不思議なお坊さん。とだけ記しておこうか。
ちょっと解説すれば、
安藤さんは横浜に400年ほど続いている禅宗のお寺のお坊さんである。
檀家さんが3000人近くいる。機械マニアでデジタル一眼レフカメラで取りまくった写真を
IBMの48ギガの凄いノートブックで見せてくれる。
それでみた写真によれば、安藤さんのお宅&お寺はとてつもなく大きい。
もう20年近くベネツイアに通い詰めていて、こちらにも多数お知り合いを持っている。
それもどうやらとてもVIPのお知り合いらしい。
本人いわく。初めて日本でコンピュータを使って檀家さんの管理をした人で
国内A級ライセンスも持っている、、。
こう書いてもなんだかピントこないかもしれない。
ともかく、とてつもなく個性的な人だ。
そして奥さんも魅力的な人である。
そのお二人の主催のパーティー(晩餐会)だからこれはもうケタはずれの海産づくし。
夜11時近くまで、狂宴は続きました。