今日の朝は久しぶりにのんびり。
昼近くに起き出して、近くのアルセナーレにある海洋博物館に行く。
ベネツイア海洋帝国を支えてきた歴史的な造船所、ここがその場所である。
展示は精巧な船の模型で埋め尽くされている。
おそらくこの模型をもとに実際に船を造ったのであろう。
それほど精巧な模型である。
展示は出土した紀元前のエジプトの船の模型から、海洋帝国の黄金時代
帆船の時代をへて第二次世界大戦前後の戦艦まで網羅している。
ベネツイアがいかに海とともに歩んできたのかが一目でわかる展示である。
午後はムラーノ島に出かける。
ガラス工芸で有名な島である。
しかし、私の目的はこの島にあるロマネスク様式の教会をスケッチすることだ。
ムラーノ島はベネツイア本島からだいたいバポレットで20分ほどの所にある。
本島の東の方からであれば、その姿を明確に確認する事が出来る。
--------------------------ムラーノ島ガラス工芸博物館-----------------------------
まず、島に着いて、ガラス工芸博物館に向かう。
もともと、だれかのお屋敷であったところをそのまま博物館にしている。
展示自体はそんなにたいしたことないのだが、ムラーノ島のガラス、いわゆる
ベネツイアイングラスの大ざっぱ歴史と特徴が解るので出かけてみることにした。
各時代ごとに展示されているのであるが、見ていて何となく気になったのは、
15世紀、16世紀のガラスが出来がいいということだろうか。
17世紀になると、もうなにこれ?というくらい装飾過多になる。
グロッタ(グロテスク)という言葉がぴったり当てはまるのである。
一番オーソドクッスかつシンプルで洗練されたカタチと色をしているのが
16世紀くらいのものであろうか。
あとは紀元1、2世紀くらいの発掘されたガラス製品の完成度の高さに驚かされる。
なめらかなカタチ、均等な薄さ、匿名性のなかに潜む完成度の高さ。
それに比べて20世紀は、やはりなんという世紀なのだろうか?
19世紀から今世紀の現代作家のガラスも展示しているのだが、これはもううまく語れない。
どちらかというとあのグロテスクな時代17世紀にちかいのかもしれない。
偉大な世紀はどこにあるのか?
唯一、この時代で目が止まったのが一つあった。
なんなく和風なカタチのまるい赤い壺である。
赤の上に金粉がまばらにかかっている。
作家を見ると、カルロ・スカルパ(建築家)とある。
スカルパはこんなこともしていたのか!
ガラスはそれだけで美しいと感じさせる素材である。
それが作家の個性とどう出会うのか?
現在のムラーノのおみやげ物屋に並んでいるものを見て感じるのは、
やはり20世紀の悲しさである。
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ちょっと小休止。
近くのレストランテで遅い昼食を取る。
魚とポテトを軽くオーブンで焼いたものを白ワインと一緒に頂く。
こちらのハウスワインはとてもおいしい。
基本的にどのハウスワインを飲んでもとてもおいしい。
学生などは家で飲むときによくバールのハウスワインをペットボトルに詰めて買うらしい。
それが、一番うまくて安いらしい。
---------------------------------Ss.Maria e Donato--------------------------
ほろ酔い気分でロマネスク(ビサンチン様式)の教会(サンティッシマ・マリア・エ・ドナート)
をスケッチ。
この教会はファサードよりも後陣のほうが、見応えがする。
ロマネスクの純粋さ、禁欲さを感じながらスケッチ。
焼きレンガで造られた均等な半円のアーチの連続。それが後陣のところでゆるやかに
円弧状に広がる。
レンガの壁面から少し離れてそのアーチがリズミカルに展開する。
パラディオのような建築的洗練さはない。
しかし、使用している形態と素材の単純さが
ゴッシクやルネサンスとはまたちがった暖かみと純朴さをこの建物にもたらす。
壁面はほぼレンガのみで構成されている。
唯一後陣のアーチを支える柱に白大理石が使用されている。
ファサードもとくに目を見張らせる要素があるわけではない。
これが、ゴシック、ルネサンスの時代であればおそらく
後陣よりもファサードを壮麗に飾ったはずである。
なにかこの控えめで静かなファサードが、ロマネスクという時代を象徴しているようである。
後陣からのスケッチの後やっと内部に入る。
刺すような日差しから暗い内部に足を踏み入れる。
目が暗闇になれるまでに少しかかる。
ああ、、。ため息が漏れる。
何度目のため息であろうか。
ヨーローパのすばらしい教会に入ると、どうしてもため息が出てしまう。
そして、次の瞬間やはり両手をあわせている。
辺りを見回す。
とても古いがバランスの取れた綺麗な教会である。
そうだったのか、、!
内部に入って、初めて後陣を華麗に装飾した訳が分かった。
教会の十字平面の奥、内部後陣の上部に金のモザイクタイルによる
すばらしいマリア像がドームにそって描かれている。
これだ!
教会で一番重要な部分、それは、神とイエスが顕れ、神父が説教をする場所、
すなわち後陣である。
ファサードという教会の表の顔ではなく、背後のココロの部分を大事に飾る。
ここにもロマネスクという時代が「建築」せしめたこの「教会」の
真の意義が見えてくる。
左手奥に飾られている聖母子の絵を見る。
12世紀くらいの作だろうか、とてもやさしい顔をしている。
しばし、沈黙。
我々はどこにいるのだろうか?
中身も無く、みすぼらしいかっこうをして、うろうろと歩き回り、
目だけはぎろぎろとして、今日の糧のみは確保している。
この時代は、どういう時代のだろうか?
もう一度、ゆっくりと全体を見回す。
石柱は単純だがバランスのよい木造の傾斜屋根を支えている。
屋根は梁との接合部で軽く円弧を描いている。なにか船の底のようにも見える。
ノアの箱船の幻影。
床面は一面モザイクタイルで敷き詰められている。
それがなにか水面のように見えなくもない。
漂う建築。
我々はどこにむかおうとしているのか?
交差リブボールトや束ねられた柱やステンドグラスもない。
華麗な様式で装飾された幾多の祭壇もない。
それがかえってこの教会になにか純粋な集中力のようなものを与えている。
時代が時代であれば、おそらくパラディオのような名建築家が名を競って
ファサードを飾ったに違いない。
ひっそりと忘れ去られたようなファサード。
静かにしかしどっしりとたつ鐘楼。
これはもう過去の遺物なのだろうか、、。
しかし、この教会が千年近くこの地にあることは確かに事実なのである。
その果てしのなさと空漠を抱え、千年の時を思い、船に乗る。
そして、これまた千年の時を重ねたサンマルコが待つベネツイアに戻る。
なにやら、今日は朝から雨模様。
今日は、サンジョルジョマジョーレ島にある、
Fandazione Giorgio Cini にて、今は亡きイタリアの名女優
(殆どのイタリア人は知っているらしい)
Divona Eleonora(Elenora Duse)の展覧会のオープニングレセプションがある。
これも語学学校の先生に来た招待状で生徒何人かと入場。
いきなり、大きな講堂で主催者の挨拶が始まる。
これが、長い。
途中で、生徒の何人かは帰ってしまった。
今日の夜、マチコ(ブラーノ島にイタリア人の彼氏と住んでいる)の
家でフェスタ(パーティ)をするための準備で帰ってしまった。
私達も今日の夜はそれに参加する。
なにやら偉い3人の人が各々1時間くらいしゃべってだろうか。
どうして、こうイタリア人は話好きなのか。
でも聞く方も偉いものだ。こちらのこういった講演や演奏会用のイスは
いわゆるディレクターチェアのような格好をしていて、骨組は鉄パイプ、背中と座板は布地で
できていて折り畳んで収納できるようなものなので、長時間だとおしりが痛くなる。
しかし、だれもそんなことをきにもせず、聞いている。
どういう、体の構造をしているのだろうか。
しかし、がんばって聞いたかいがあった。
そのあとは中庭で立食パーティ。
小さな、クッキー状のパン生地の上にエビやらオリーブやらが乗ったお菓子とワイン。
イタリアはほんと食べ物と飲み物は世界一おいしい。
それからやっと展示を見る。
しかし、展示を見る前に今日は無料入場の為結構人があふれていた。
(一応関係者ばかりらしいが、私たちのような人も混ざっている、
知り合いの知り合いはOKというところがなんだかイタリアらしい。、、。)
---------------------------サンジョルジョの修道士の部屋&廊下-------------------------
列で待つ間、またセルジョ(老先生)がなにやら作戦を立てて我々をこのサンジョルジョの教会の
修道士たちが寝泊まりしている建物に連れていってくれる。
普通の旅行者はここは見られないんだ、とセルジョ。
これも、セルジョの顔パスである。修道会に知り合いがいるらしい。
なんでも、日本から有名な舞台美術家が来ていて、是非中を見たいから、見させてくれといったらしい。
結構この手でセルジョはいろいろとベネツイアの裏を見せてくれる。
不思議な顔の広さをもったベネツイア人なのである。
その廊下はとても素敵であった。
まっすぐ100メートルくらいあったであろうか。幅4〜5メートルくらいで一直線に続いている。
天井は白の交差ボールトが綺麗に続いている、なんでもここは袖のような廊下なんだと
イタリア語で彼が説明してくれる。
この白い廊下の両側に小さな扉が並んでいる。番号が付いている。
1がJのようなカタチをしている。セルジョが説明してくれる。
古いベネツイアの1はJのようなカタチをしていたらしい。
だから11番目の扉はJJと表記されている。
この廊下で色は唯一この扉の古びた木の色のみ。
この窓のない小さな扉を開けると、その中に修道士の部屋がある。
寄宿舎といったらよいのか、多くのものを排除してただ、扉と白の廊下のみの空間である。
ここで、空間のワークショップをしたらさぞおもしろいだろうと勝手に想像する。
100mの廊下と扉だけの空間。観念と実体の物凄い接続のさせかた。
これも、キリスト教的なカタチの一つであると考える。
--------------------------------Divina Elenora展----------------------------------
小休止。
やっと展示を見る。
この展示は先生の解説によれば、イタリアの有名な舞台美術家(もう80才近いらしい)
ルイジ・ピッツイが手がけたものである。(あと、プッパ先生が教えてくれた、女性舞台美術家
Dida Bijiの名前も挙がっていた。)
おそらく、生前のエレノラと交友が会ったのであろう。
展示は洗練されていた。
ただ、難点は日本だったらおそらく許可が下りないほど
導線が細くかつ、回遊していないので、人が詰まると少々危険だ。
この辺りがイタリアの凄いところかもしれない、ベネツイアの街もそうだが、
デザインが安全(いわゆる世間一般でいう)より優先している感がある。
しかし、見せ方はとてもエレガントかつシンプルで好感が持てた。
まず、導入部でエレノラが若かりしころのベネツイアの大きな写真(1800年代)があり、
その前に舞台衣装を着たエレノラの等身大の白い像が立っている。
もう一つは大きなカナル(運河)、おそらくアカデミア橋から見たものを
背景に実際のゴンドラに乗ったエレノラ(これも衣装を着た白い像)が置かれている。
実物(立体物)と背景としての絵(写真)。舞台のセットのような展示の仕方である。
それが、導入部。
次に舞台の袖幕のように続く、連続した金色のカーテンを背景に衣装を身につけたエレノラの
白い像が並ぶ。
展示は、写真と実物を交互に織り交ぜ立体的に展開する。
次のコーナーは室内的なイメージになる。
私的なエレノラ。エレノラの部屋にあった実物の置物や胸像や絵を黒を背景に
スポットを当て立体的に展示する。
愛人であった詩人の大きな写真、その前でその彼の詩集を開くエレノラ。
必要なところのみ抽出して見せる、ハイライトの手法。
その次のコーナーは楽屋のエレノラである。
エレノラの表と裏が混ざり会う部分。
鏡を前にして立つ舞台衣装を着たエレノラ。
それが、また雁行配置のようにパースを利かせながら数枚のパネルとして連続している。
観衆はその後ろ姿と鏡に映った本人の像を見ることになる。
そして、鏡前のテーブルには様々な彼女が使用していた道具や本の数々が乗る。
最後のコーナーは舞台のイメージスケッチ(おそらくルイジ・ピッツイのもの)や
衣装スケッチがならび、空間的な行き止まりの部分に暗闇に浮かぶサイレントフィルムの映像が
流れる。
詩的で、エレガントなイメージの展示である。
舞台の持つ立体的でかつ絵的であるその両面的なモチーフを最大限に生かしつつそこで生き活躍した
エレノラの姿を、まるで連続することによりパースペクティブに見える書き割りのように
連続したシーンのイメージとして展示する。
さらに、舞台の表と裏、私生活と女優としての2面性を分離、あるいは融合してそれに重ねて見せる。
彼女をよく知り、彼女への愛情がなければできない展示である。
よく考えられた、愛情のある展示。
そんな印象を受けた。
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気づくとあたりは小雨もあがりもう昼過ぎである。
島からサンマルコ広場の近くサンザッカリアのバポレットの停留所まで戻り、
私達もブラーノ島に住むマチコ邸に持っていく料理の一品を買いに
日曜日のベネツイアをスーパーを探して歩き回る。
4時頃に一度帰宅。
しかし、私は以前予定を組んでいた、例のハーフの女の子の
お父さん&その会社の社長と会って仕事の話をする。
イタリアの若いアーティストも参加。
さてさて、どうなる?このプロジェクト。
突貫屋も絡むのか、、。
詳細はまた追って。
で、なんだかんだでイタリアに来ても日本と同じく予定予定で、
あわただしく動きつつ、
予定の1時間遅れでブラーノ島に到着。
マチコ邸で18人位集まってのパーティ。
盛り上がる、盛り上がる。
10時過ぎに隣のおじさんが外から雨戸を叩き静かにしろおまえらと怒鳴り込む。
そんなこんなで、家に戻ったのは1時半を回っておりました。
日曜なのに、全然休みじゃない。
明日も朝8時半起きだし。
イタリアにいても結局動き回っている。
これは私の性格なのか。
とりあえず、お休みなさい。
1と0が交互に並んでる。
イタリア入りしてから1ヶ月。
早いのか、遅いのか。
眠い目をこすりつつ、朝の授業へ。
----------------------------------puppa 先生の初授業----------------------------
今日は昼からやっと大学でのプッパ教授の講義が始まる日である。
語学学校を早退して、いざ講堂へ。
どれくらい話はわかるだろうか?
連続2時間の講義が続く。
今日はFutulisumo(未来主義)についての講義であった。
内容は、おそらく10パーセントくらいしか解らない。
しかし、授業はおもしろかった。
なにがおもしろかったかというと、、。
ともかく、プッパ教授のマシンガントークに脱帽。
学生に眠る暇を与えない。
どこからあんなエネルギーが出てくるのか。
ICU のキリスト教概論、古屋先生を上回るパワフルさ。
それに、非常いアトラクティブな展開で授業をする。
最初に今学期の授業の概要、そして今日の授業の説明
このFutulisumoとはなにか?から授業に入る。
おもしろいのはヅーとしゃべりっぱなしではなく
学生に前に出てきてもらい、実際にこの未来主義の時代の作家の戯曲や小説を
声を出して感情込めて読ませるということをやる。
そして先生がその戯曲を解説する前にその戯曲の感想(イメージ)を生徒に自由に言わせるのである。
そして、イメージを膨らませてから一気に解説。マシンガントーク炸裂。
学生は一挙にメモを取る。
これを3作品について行う。
それにより、未来主義の傾向とイメージ、全体像を学生に実際の戯曲を交えながら解説するわけである。
良く構成された授業である。
実際聴講している学生も多く、活気のある授業であると思われた。
明日も頑張って聴講。
それしかない。
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今日はちょっとモヤがかかっている。それでも午後から晴れてきた。
今日の午後は3時にサンマルコ広場で待ち合わせて、
ベネツイアングラスのショップの見学が企画されていた。
昨日のパーティで皆疲れてしまい、参加したのは結局、セルジョ(老先生)と
学校のマネージャー、アンナと和田さんと
休学して3ヶ月ほどイタリアに来ている阪大の女の子という奇妙な組み合わせになった。
ちょっと時間より早く到着してしまった私はしばしスケッチ。
モヤの向こうに少しかすんでサンジョルジョ・マッジョーレ島が見える。
あれ?なんだか、修復中の白いカバーがはずされている!?
え、パラディオの教会が見える!?
よし、スケッチだ!!というこになった。
ゴンドラ乗り場の近くでこの島をスケッチしていたら、若いアメリカ人(かな?)がスケッチを覗いてきた。
何枚かスケッチしているのか?と聞くからぱらぱらと見せる、ビューティフルといってほめてくれた。
ほめられるとやっぱりうれしいもんだ。
気を良くして、待ち合わせ場所に向かう。
ガラス工場はサンマルコのすぐ裏手にあった。
ここもセルジョの顔パス。
どうも中に入るとたくさんの日本人観光客がいる。
ツアーのコースに入っているようだ。
売り子のイアリア人男性がハーイコッチデスヨー!!とツアコンのように皆を誘導していた。
我々はそれを横目で見つつ中へ、入り口では吹きガラスの実演をしてくれている。
うまいのだが、機械的でなんだかよく解らない。
世田谷に住んでいるムラーノ島で1年間修行していた日本人のガラス職人を思い出す。
彼のほうがうまいかな?
売場の方へ。
先日訪問したムラーノ島を思い出す。
なんでこうなってしまうのだろう。
これは24金の金箔を貼ってあるグラスです。とセルジョの友達の店員が説明してくれる。
へー。
怖いから値段はだれも聞かない。
ちょっと素敵なアンティーク風に作ってあるコップを手にする。
これはいくらですか。一個15万リラ(9千円)。
とほほ。
へー、ほー。で結局なにも買わずに外にでる。
阪大の女の子は今度もう一度来て買うとがんばっていた。
ベネツイアは色ガラスで有名だから気になっていた事を質問する。
なぜこれだけカラフルなガラスがあるのに、フランスやドイツの教会のように、
ステンドグラスをあまりみないのか?
セルジョはガラス工場のもとフットボール選手のお店の友達に私の質問をふっている。
イタリアでは教会の内部にあまり光を必要としなかったからだと彼が答える。
う〜ん。わかったような解らないような、、。
そういう事にしておこう。
確かに、ベネツイアの陽光は明るい、
フランスやドイツに比べれば南である。光をそんなに欲しなかったのかもしれない。
フランスのゴシックのスタイルに多く見られるステンドグラスという形式は
確かにこのベネツイアの教会ではあまり見かけない。
窓があっても丸い牛乳瓶の底みたいなガラスと金物の組み合わせのガラスが主流である。
このデザイン的な差異。その要員についてはやはり、ちゃんと調べてみないといけない。
これは今後の宿題。
今日もサンマルコ広場は人で溢れている。
うざったいやら安心するやら、不思議な広場である。
奇妙な感じだ。
夏よりも湿度が高い。
だから、天気は曇っていて温度は低くてもなんだか蒸し暑く感じる。
久しぶりに足に汗をかいている。
今日は須藤さんの誕生日だ。
もう、朝から学校で我々の若い先生リザが
ケーキを作ってみんなを歓待。
みんなでハッピーバースデーのイタリア語の歌を歌い、
昼からオレンジジュースをワインで割って乾杯。
イタリア人はイベント好きだ。
昨日と同じく、午前中の授業を途中抜け出して
大学の方に聴講に出かける。
昨日にもましてわからない。
言葉がわからない、また内容もおそらく結構高度。
だから異常に神経を使う。
夕方家に帰って来て、ちょっとお休み。
昼寝の後、街にでる。
ふたりでプレゼントを探しつつウロウロ。
夜はリザに教えてもらった、カンポ・サンタマルガリータにある
レストランで諏訪君と3人で軽く誕生日会を開いた。
実はここには並びに数件お店があり、どの店か確信がもてなかった。
3人でいったりきたりしつつ、一番よさそうな(高そうな)店に入ることにした。
料理はまあまあだったが、レストランでなにやらもめごとがあったらしく、
我々の料理が出てくる前に厨房の外国人らしきシェフ3人が
息荒く、メニューを蹴散らして店を出ていった。
大丈夫かな?
かなり待ってから料理を堪能し、料金の高さにすこしびっくりしつつ店を出た。
その後、諏訪君の古くからの友達の女の子とその彼氏と合流。
近くのバールでスプリッツを飲む。
これは以前、日本語学科のエリカと映画祭で飲んだことがある、
カンパリにオリーブの実が入っている例の
ベネツイア人お気に入りのお酒である。
彼らも学生で二人とも24、5才とのこと。
彼はなんでも舞台美術(主に映画のセット)
をベネツイアのアカデミアにある学校で勉強しているとの事。
ほんと、ベネツイアには美術、建築を勉強している学生が多い。
スプリッツを2杯ほど飲んでから分かれた。
ちょっとモヤがかかるサンマルコを抜けて真夜中に家にたどりつく。
なんだか調子が悪い。
私も風邪をひいたみたいだ。
天気も10月に入ってから曇りの日ばかりだ。
しかも、湿度が高い。
秋のヨーロッパ。
この感じは初めての体験かもしれない。
重い頭を抱えつつ、学校へ。
授業後、諏訪君と3人で学校の近くでピザを食べつつ今日の午後からの計画を練る。
バルテュスを見に行こう。
先日、偶然ブラーノ行きのバポレットでトルチェッロ島に帰る
クラウディアに会う。
その時彼女がバルテュス展のことを言っていたのを思い出したのだ。
---------------------------------Del Bovolo -----------------------------------
その前に、、。
ピザを立ち食いしていたカンポの近くに有名な螺旋階段「Del Bovolo」があったので
見にいくことに、、。
それは狭い入り口が一つしかないカンポの一角にある。
なんでも、豆知識、諏訪君の解説によると、ルネッサンスの時代に
先に他の場所で組み立ててから運んだらしい。
だから、いわゆる近代のプレハブ工法のように、パーツが均一でユニット化
されている。そして、とても計画的に構築されているということらしい。
なるほど、まとまった美しい柱とアーチが螺旋階段のステップに合わせて
上昇していく。
そのユニットが繰り返し現れる。それ故か、なんだかモダンな感じがする。
螺旋階段が外に付いているというのも、非常に演劇的というか絵的で魅力的である。
通常この手の階段は建物の一角に組み込まれてしまうのだが、ここではこの螺旋階段が
建物のファサードの一部として半分くらい飛び出すようにしてその美しさを際だたせている。
ファサードをアーチと柱の回廊で飾る、ファサード側に建物のバルコニー部分が存在する。
その左側に階段室があるわけだが、これが、ファサードのアーチに呼応するように同じデザインの
アーチと柱で飾られている。
そして機能的にも螺旋階段に光りを導きつつまた、装飾的にも
ファサードに軽やかさと対比的な階段という斜めの動的な線を持ち込んでいるのである。
見事なデザインだ。
しばしスケッチ。
しかし、結構時間がかかる。パーツが細かいのである。
それに全体のバランスの中でこの螺旋階段を捉えないとおもしろくない。
結局30分から40分くらいかかっただろうか。
静かな時は結構短い。
出ていくときにぞろぞろとドイツ人の観光客がこのカンポに押し寄せてきた。
------------------------------バルテュス展-------------------------------------
そしてバルテュス展へ。
これはアカデミア橋の近く、パラッツオ・グラッシーという
豪華な建物(おそらく18世紀か19世紀初頭の建物)を美術館に改造したところ
で行われている。
この建物、直訳すると「金持ち屋敷」あるいは「デブの屋敷」。
柱やアーチはネオルネサンスという感じで、綺麗でスマートだが、天井装飾とかが
これでもかと豪華で派手。
この屋敷の持ち主、相当金持ちだったに違いない。
バルテュスが最近亡くなったことは何となく知っていた。
展示で確認する。2001年スイスで亡くなる、、。
なんだ、今年だったのか。
ということはこれは初の大回顧展ということか、、。
気合いを入れて観る。
展示は、とても見応えのするものであった。
数年前、東京ステーションギャラリーでバルテュス展を見たことがあったが
あれの5倍くらいの量が来ている。
こちらに来て様々な美術館やら博物館に行っているが、こうやって一人の作家のみを
大量に展示するという、いわゆる企画展はこちらでは初めて観たと思う。
展示を観つつ、やはり言葉を失う。
最後の作品の制作年代を観る。
2000年〜2001年。
今年だ。
これが、最後の巨匠といわれたバルテュスの最初で最後の21世紀の作品である。
ゆっくりと見つめる。
ソファに寝そべる少女。
犬が窓の外を覗いている。
実にはっきりとした色の、なんだか力の抜けた感じの絵である。
この2001年の秋、NYのビルが爆破された。
オリザさんの書いた「東京ノート」が現実味を帯びてきた。
バルテュスだったらどう描くだろうか。
改めてこの私達の時代を考える。
完璧にダウン。
昨日は夜、諏訪君を呼んで三人で食事した。
そそくさと風呂にも入らず、寝入ったがどうも
朝から頭が痛い。
須藤さんがイタイイタイ病だと言っている。
ひどい、、。
学校でもちょっと調子悪い。
天気もなんだか優れない。
スーパーで買い物をして直帰して帰ってベッドに倒れ込む。
夕方寝て起きて少し元気になる。
たまってきた日記を付ける。
須藤さんとは違う風邪のようである。
学校で一番始めに風邪をひいていたマチコは鼻がやられていた。
須藤さんは喉。で私は頭痛となんだかお腹の調子が悪い。
インフルエンザが流行っているというが、これじゃなんだかよく解らない。
まだ、少し調子が悪い。
それでも朝の授業に向かう。
今日は夕方から夜にかけて
我が家でフェスタ(パーティー)である。
須藤さんががんばって昼過ぎから料理を作っている。
私は助手。
夕方5時くらいに語学学校の生徒達(みな日本人)が集まり、
6時過ぎには若先生のリザとノルウエーから帰ってきたばかりの
その彼氏マッシモが現れる。
アイコ、マチコ、マリコ、シゲヒロ、イタル、アキコ、リザ、マッシモ総勢8名の
小さなフェスタだ。
来週、数名の女の子が別の都市に行ってしまうのと、須藤さんの誕生パーティーと
いったところだろうか。
参加者はワインを持ち寄り、須藤さんが料理を作り、私はサラダ担当。
ご飯と豚肉&生姜&ポテトのグリル焼きが好評であった。
さすが須藤さん、だてに10年中国にいない。
長期海外在住の経験を生かした、なんというか日本料理というか、郷土料理?がうまい。
夜11時近くまでおしゃべりして、さようなら。
イタリアのフェスタはワインがいっぱい出るのでついつい飲み過ぎてしまう。
翌日の朝が心配だ。