杉山至のイタリア日記

2001/09/22(土)

今日は忙しい。
朝10時に、例の指揮者の今井さんのお宅を訪ねる。
大家さんの敦子さんと4人で近所のカフェでお話をする。
一ヶ月の家賃、電話代、電気代、ガス代、水道代、等々の事を伺う。
9月24日から約一月半の家が決まった。
これでとりあえず、一安心。
ここには電話もあり、定期的にe-mail もできる。
日曜の夕方に荷物を持ち込ませてもらうことにする。

それから、駅に向かい、一路ビツェンツアへ。
パラッディオの街、ビツェンツア!
ベネツイアからは列車で約1時間。
今日は天気が少し悪い。
雨が降らないとよいが、、。
ビツェンツアも前に一度だけ来たことがある。
その時の記憶をなぞるように街を歩く。
ほとんど、なにも変わっていない。
ベネトンの大きな店が前には無かったかもしれない。
なんだか、ギャップやユニクロみたいな感じになっている。
白っぽく、シンプルでシャープな感じの什器、 明るい照明、大きなグラフィックパネル。
内装、ディスプレイともに、ユニクロにそっくりである。まずは、パラディオの像に会いに行く。
ここで、記念撮影。
御ひさしぶりです。パラディオさん。
また、来ましたよ。
パラディオの傑作、バジリカを見上げる。
ああ、何度みてもすばらしい。
のちほど、スケッチするぞと心に誓い
予約したホテルにむかう。
ホテル・コンチネンタル。
ちょっと街から離れている。
お客もすくなく、なんだか拍子抜け。
まあ、いい。
ミラノの二の舞はもうご免だ。
ホテルで小休止するまもなく、街に戻る。
しばし、街を歩き回る。
-------------------------------ビツェンツアの街並-----------------------------
イタリアの小さな街はほんとにおもしろい。
各々の街がとても個性的だ。
日本の地方都市のように、小東京化していないところがいい。
ただ、ちょっと郊外に行くと、やはり大型ショッピングセンターのような
日本のあの地方都市にある、街道沿いの町並みが展開する。
ただ、旧市街であるとか、古い町並みをとても大切にしていることだけは確かだ。
同じベネト地方といえども、その街の歴史的な成立過程が 全く異なるため、(各々が独立した国を形成していたため)
ベネツイアから列車で一時間の土地でも、 ここにはここの特殊性がある。
歩いていて、まず須藤さんが発見した。
ここの窓は奥が深いねー。
よく観ると窓(雨戸)の開き方がベネツイアとは異なる。
ベネツイアでは雨戸はただ、外壁にそうように両開きの板戸が外側に2つに折れて開くのだが、 ここの窓は折り畳まれて壁の厚さの部分に収まる。
そして、窓の部分の壁の厚さもこちらの方が深い。
雨が多いんじゃない?
そういえば、アーケードが多い。
街の中心を貫くパラッディオ通りには、アーケードが連続する。
もちろん、日本の駅前のアーケードのような、貧相なものではなく、 巨大な石の柱が立ち、それがかなりの高さをもち、その上のアーチと交差リブボールトを 支えるとても立派なものだ。
ベネツイアからたった一時間だが、そんなに風土が異なるのだろうか。
その真意はわからないが,
アーケードと深い窓をもつこの街並は、ベネツイアより明らかに陰影が濃い。
また、様式的にもベネツイアとは全く異なる。
ベネツイアが前にも触れたように、ベネツイアンゴッシクというビサンチンや
イスラムの影響を受けた、ある種軽やかな様式であるのに対し、こちらはパラディオの街である。
ルネサンスからバロックのスタイルのファザードが軒を連ねる。
その点でも、町並みは重厚に見える。
ある程度歩くと街の規模と地理的関係が少しずつ明らかになる。
まるで、カフカの城の主人公のように、その街をゆっくりと測量し始めるわけである。
歩きながら、地図を見る。
旧市街の東側に2本の川が流れている、それが、街の東端の輪郭を決定している。
その二本の川が街の北側で東から西に回りこむ、それが北側の輪郭を示す。
旧市街の中心を貫く大通り(パラディオ通り)が街の背骨を形成し高度的にも一番
高い所になる。
街へのアプローチは南西のはずれにある駅から少し登り、 右手に旧市街への門を望んで、そこを通り抜け、大通りの尾根道を抜け、 ゆっくり下りながら東の端にある川に至るのである。
道はこの大通りを中心に円弧状と放射状の二つに展開している。
旧市街が古くからの城壁都市であったということがこの輪郭と道筋で読みとれる。
これが、ビツエンツアの旧市街である。

------------------------------------

散歩ののち、また街の中心パラディオのバジリカに戻ってくる。
ここで、しばしスケッチ。
この建築はとても興味深い。
以前見たときと、また違う印象を受ける。
パラディオの違った一面を今回の滞在で発見した。
これに関してはまた後ほど。
今回のビツエンツア滞在の最大の目的は、パラディオ作のテアトロ・オリンピコで
演劇を観るということである。
ここでは、これについて触れたい。
--------------------------DON GIOVANNI@Teatro Olimpico-------------------------
前回のミラノでの演目に引き続き今回も感じたのは、こちらの開演時間の遅さである。
この演目「DON GIOVANNI」も夜9時開演であった。
途中休憩15分を挟んで、劇場を出たのは夜11時半。
全部で2時間半ほどの演目である。
言葉がまだわからないというのも手伝ってか、どうしても途中で眠くなってしまう。
それに晩ご飯を食べるタイミングがとても難しい。
こちらはレストランとかトラットリアは夜7時以降でないとオープンしない。
しかし、レストランなんかいってしまったら、一番目の皿、二番目の皿、それからそれから、、で2時間くらい平気でかかってしまう。全然芝居に間にあわない。
みんなどうしているのだろうか。
結局、軽くカフェで飲んで、パンを食べて、非常食用にお店でオードブルを少々買って夜に備える。
今回は時間通り始まる。
始まるまでどのような形態の演劇であるか、言葉がまだよく解らないのでわからない。
だから必然的に視覚に頼る。
開場中に辺りを見回すと、アリーナ席の前に演奏者用のイスと譜面台が3つ。
客席の後方に照明の調光卓とそれから離れてシンセサイザーが一台。
なるほど、歌と演奏がちょっとあるような芝居かな?と想像する。
結論からいうと、これは、コメディア・デラルテのようなスタイルを用いた、 生演奏が入る芝居であった。
だから舞台も、昔コメディア・デラルテが上演されたような木製のちょっとしたステージ
(間口4間x奥行き2間x高さ1、2m)が既存の舞台の上にさらに造られている。
この木の箱が唯一のセットなのだが、おもしろかったのは、おもちゃ箱のようにこの木の箱の 部分部分が飛び出したり、開いたり、下がったりして舞台のカタチを造りだすのである。
この劇場自体が古代ギリシャ、ローマの野外の円形劇場をモチーフにルネッサンス時代に創られたもので、 だから客席の天井には青空が描かれている。
だから中世に街頭で行われた仮設のコメディアデラルテの舞台のイメージは確かにこの 劇場にあっている。
パラディオ設計のスケーネ(舞台の背景)を中世の街角に見立てているわけだ。
導入に語り部が出てきて、役柄を解説しこれからこの一座がここで、ドンジョバンニの物語を 演じることを観客に説明する。
導入部に劇中劇的な要素があり、それにより、観客を2重に演劇的世界へ誘っているのである。
だから、登場人物は非常に典型的で、いってしまえば、下手な田舎芝居をみているような気になるのであるが、その効果を逆に利用しているようにもみえる。
物語はむかしのスペインでの話。
ドンジョバンニが様々な女性と恋におち、しかし、どれもうまくいかない。
父親の亡霊に悩まされて、最終的に死ぬというもの。
シーンとしては街頭、漁師の家、教会、墓場、広場等であり、それは唯一のセットであるこの 木の箱の部分が可変することによって表現される。
生演奏もギターとアコーディオンとバイオリンのみで、なにかノスタルジックな感覚を起こさせる。
作品としてはうまくまとまっていたのではないか。
ただ、演出的な斬新さや奇抜さは感じられず、なにか、テレビの時代劇の芝居をみているよな 錯覚を起こさせる芝居ではあったが。
--------------------------Teatro olimpico------------------------------------
ただ、やはりこのテアトロオリンピコで芝居を観たということで、非常に興奮したことだけは確かである。
19才の頃に初めて、夢の遊民社の芝居を観たときのあのなんだか凄いのだけれどわけがわからないあの感覚を覚えた。
これは、なんなのか、この空間はなんなのか?
怖いのは私はもう15年以上も演劇にたずさわりその空間について考えてきたのに、まだまだ「?」が浮かび上がることである。
それが19才のときよりも、今の私にはより巨大な空漠としてのしかかる。
テアトロ・オリンピコ。パラディオが構想しその死後、弟子のスカモッティが完成させた劇場。
近代の劇場の歴史がここから始まったといっても過言ではない劇場である。
この劇場を構想したパラディオに思いを馳せる。
しかし、客席にすわって、ほぼ満員のお客が入った劇場を見渡して感じたのは、なぜか利賀の野外劇場であった。
磯崎 新はこの劇場を実測したのではないか?あるいは、設計図を参照したか?そう感じたのである。
客席の座った幅、高さ、隣の人との距離感、贅沢ではない木のベンチ、円弧を描く客席の距離感、客席からみた舞台の見た目の高さ、劇場の間口等々。
どこかで感じたことがある、ああ利賀の野外劇場だ!!
とても似ているのである、似ているというかほぼ同じである。
そして良く観察すると舞台と客席を隔絶する一枚の巨大な石の壁面、これも同じ。利賀の野外劇場にはRCの壁面が立つ。
唯一違うのは、アリーナ部分がこちらはオーケストラボックスにもなるように舞台より1mほど下がっていることと、劇場が屋内であること、客席が完全な円弧ではなく、楕円を描いているということと背景に こちらはパラディオの構想のスケーネが存在するということか、、。
パラディオもすごいが、これを利賀のあの自然の中に接続した磯崎 新の構想力にも脱帽する。
ギリシャ、ローマ、中世に生み出された「劇場」と呼ばれる様々な空間的装置をルネサンスの時代に、この一つの劇場=テアトロ・オリンピコとして結晶化させたパラディオ。
そして、これを20世紀後半の日本に接続させた磯崎 新。
劇場とはなんなのか?
21世紀、我々は改めてここから始めなければならない。
後ほど、今回の研修の最終選考のインタビューの時に、磯崎 新の利賀山房とパラディオのテアトロ・オリンピコのことについて熱く語ったことを思い出した。
あのときはうまく説明できなかったが、。
はたまた、この沈黙を思考する。
私はこの時代にどう接続できるのだろうか、、?
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01/09/23(日)

魔の日曜日、、。
先週は停電さわぎ、そして今週は、、!?
午前中まではよかった。
無事芝居も観て、イタリアの国鉄が昨日の夜から今日の昼2時までストライキだという情報もしいれておいた。
だから、午前中はビツェンツアでのんびりして、午後ベネツイアに帰ろうと
計画を立てていた。
しかし、あいにくの雨である。
本当は郊外にあるパラディオのすばらしい建築ビラ・ロトンダを観にいこうかと
考えていたのだが、近くのパラディオの建築博物館を観るだけにする。
この建物もパラディオ作で、中の展示もなかなか凝っていてまあまあ見応えあり。
ここにあったパラディオのバジリカの平面図を観てある確信に到達する。
これはまた、後ほど詳細を書きます。
と、ここまではまあ有る程度予定どおり。
それから先はイタリアを甘く見過ぎておりました。

全てのことにほぼ私が考える時間の1.4倍かかるということが
後々になってわかったことであった。
まず、ストも早く終わってるかもと
駅のホームまでいってカタカタ変わる列車のスケジュール板を観て
まつこと1時間、なにも状況はかわらない。
基本的に2前までの電車が全てキャンセルになっている。
どうも、2時から動くといってもその列車が例えばミラノから来る
列車だったら、ミラノ2時発でここに着くのは4時ということ、、?。
どうも、動かなそうなので、急遽バスにふりかえる。
ビツェンツアから、駅では隣駅にあたるパドバまで列車で30分。
よし、バスで行ってみよう、40分くらいで着くんじゃないの?
バスの発着所を探し、切符を買いバスに乗り込む。
しかし、パドパの駅についてからがうまくいかない。
駅前のバスターミナルからどうもベネツイア行きのバスが出ていない。
それに、昨日安全のため先に買っておいた列車の切符のチケットももったいない。
ここから、さきバスでいくか列車でいくか、、。
迷ったのが良くなかった。
結局ここパドバでまた1時間半近く列車をまってみたり、バス停を探してみたりとウロウロ、、。
もう、いいかげん須藤さんがあきれている。
バス停も見つからないし、駅の方は先ほどやっと列車は動きだしたようなのだが、もうダイヤが滅茶苦茶。
発着するホームと表示が一致していない。
そして随時アナウンスが流れている。ああ、意味がわかれば、、。
結局、早かったのは動き回ってウロウロすることより
そのアナウンスをなんとか聞き取ることだったのだが、、。
バカでも30回とか50回もアナウンスを聞いているとなんとなく意味が分かってくる。
まず、電車の番号、そしてその本来の到着時間、そしてどこの駅から来てどこの駅にいく列車なのか
そして最後にそれが何分遅れで何番線にはいるのか、、。
どうもこの順番である。
最初はベネツイアサンタルチア!しかわからなかったのがそのベネツイアサンタルチアが出発した
駅か到着する駅かわかるようになり、もう少しでこのホームに来るということがわかったのだ。
なんとかなるものである。
結局1時間半ほど待ってパドパからベネツイア行きの電車に無事乗車。
結局本来なら1時間で着くところ、4時間近くかけて、何とか戻って来ました。
とほほ。

まあ、それに輪をかけてまずかったのが、私が日本と同じようにいくつも予定を入れてしまって
いたということで、、、。ああ、イタリア、、。
本来の予定はビツェンツアから帰ってくる、まあストが2時までだから4時には着くだろう。
で4〜5時に明日引っ越すサンマルコの先の今井さんの所を訪ねる。で30分ほどお話。
そのあと、6時から今度は駅の近くの細野さんのお宅で日本食会を開く。
こういう段取りだった。
しかし、全部おしおし。
もう、須藤さんぶーぶー。
ごめん、俺の読みが甘かった。日本だったら、、。

結局引っ越し先の今井邸に着いたのは荷物が多いからバポレット(水上バス)でいったのと
初めての路線なので間違って乗ってしまったため、家から1時間程かかり、6時に到着。
その後、今井宅を30分ほどで後にして、今度は今井さんに教えてもらた高速バポレットで駅のわが家までかえり、須藤さんがおにぎりと惣菜をつくる。
で家を出たのが8時10分まえ。

すべて私の読みの1.4倍の時間がかかっている。
ああ、イタリアよ、、。

イタリア人の言うことは70パーセントで聞けばいい。
これは先日学んだこと
しかし、自分が考えた事も結局70パーセントしか達成できないということ。
これが、イタリア。
これが、今日学んだこと。

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01/09/24(月)

今日はのんびりしたい。
それが、須藤さんの今日の誓い。
一週間お世話になった、料金高いけど素敵なお家を、朝早く出発。
今日もなんだか天気が悪い。
そのまま語学学校で午前中のレッスンを受ける。
あたらしい日本からの生徒さん(これもまた女性)が今日は来ている。
油絵を描いている武蔵美術大学出の人である。

授業終了後、そそくさと新居である指揮者の家(今井宅)へ向かう。
日本人の大家さんから鍵を受け取り、部屋に入る。
とりあえず、ここで1ヶ月と10日くらい。
ああ、それでも落ち着ける。
部屋を掃除して、洗濯をする。
なんと、この洗濯機、一回2時間かかる!!
日記をつけたり、宿題したり。
なんだか少しくつろいだ。

しかし、私は夜にまた予定を入れている。
例のハーフの女の子とその彼の家に今日は諏訪君と彼の友達のマルコと私と
須藤さんがお呼ばれしているのである。
須藤さんは疲れたので行かないという。
しょうがないから、一人で出かける。
今度引っ越したのはアルセナーレという地区で造船所があり、サンマルコ広場から海岸線を
東に20分ほど歩いたところである、近くにジャルディーニという地区でビエンナーレ会場が
ある。
これがまた大変だった。
前回の引っ越しのときも、引っ越してからすぐはその地区の周辺の歩き方がわからなかった。
それが今回のこの地区もとてもむずかしい。
サンマルコから海岸沿いの大きな通りを来れば一直線なのだが、駅の方へ行くには
それでは遠回りなので、なんとか近道を探そうと見知らぬ地区に入り込む。
ああ、全然わからない。
やはりベネツイア散歩は奥が深い。
各地区、それぞれちょっとずつ個性があるようだ。
これは今後の研究課題。
で結局彷徨って待ち合わせ場所に着いたのは30分くらいたってから。
しかしそこで諏訪君を待つこと更に1時間。
ああ、どうしてこうイタリアは時間どおりいかないのだろうか?

しかし、料理がとてもおいしかった。
マルコが途中のバールで瓶に詰めてもらったハウスワイン(赤)もおいしかったけど、イカスミのパスタが最高でした。
花より団子、時間や仕事よりおしゃべりと料理。
これがイタリア。

今夜はイタリアに来て初めてバスタブにお湯をはってお風呂に入りました。
ああ、極楽、極楽。おやすみなさい。

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01/09/25(火)

ベネツイアの空は、あのヨーロッパの絵画の空をしている。
淡い、青い色の空。光線が差し緩やかに赤く染まる雲。
装飾のような、雲の端。

あれは、華麗に見せる為にそう描いているのかと思っていた。
そうじゃない。実際にそう見えるのだ。
授業の後今日はアカデミア美術館に寄る。
この美術館はベネツイアでもかなり、収集が充実しているほうではないだろうか。
見応えのする作品が並んでいる。

------------------ACADEMIA美術館------------------

しかし、ここでもまたしてもティツィアーノで時間が止まる。
須藤さんが日本語のイヤホンガイドを付けてゆっくり回っている間、私は館内を三週。
何度も、ティツィアーノで足がとまってしまう。
なぜだろうか?
今回の発見は二つ。
ティツィアーノの最晩年の作品「ピエタ」で感じた事が一つ、そしてもう一つは「聖母マリアの神殿奉献」の作品にピースバッジを付けたトーレーナーを着た若者を発見。
なんじゃそりゃ。
この人宇宙人?
その時はそう思った。
もしかして、20世紀もどっかで観ていたのではないか、、。
そんな気がしてしまったのである。
なんせ、作品がとてもモダンなのである。
同時代の人が描くその根底にある同時代性や時代の持つ束縛性みたいなものをなにか
超越している感じがするのである。
ミケランジェロにもそれを感じる。
しかし、このティツィアーノにも。
このピエタはとんでもない作品だ。
タッチが尋常じゃない。
カタチと素材と色が分離している。
なんといったらいいか、、。
もう、色は色なのである。
こんもり盛られた、絵の具は絵の具以外のなにものでもない。
しかし、それは同時に確かにイエスの顔なのである。
なんていったらいいか。
ともかく、ほとんど、モダンアートなのである。
なぜ、ここまで描けたのか、、。
宇宙人としか思えない。

最後に、そのもう一つのピースバッジを付けた若者が居る作品で透視図法の焦点の所にこちらを見つめる一人のオヤジを発見した。
私はそれはティツィアーノに違いないと勝手に確信している。
 
 

今日はちょと時間があるので、先日観たパラッディオのバジリカについて書きます。
 

-------------------------------Basilica di  palladio-------------------------------

これは、ビツェンツアの旧市街の中心に位置している。
建物の4辺を回廊が取り囲み、上部に銅板の板を張ったアーチ状の屋根がのる建物である。
4年前来たときには、柱が太く、アーケードの幅が広く、建物の陰影が深いなという印象を受けたのだが、まず今回観て感じたのは、この建築の軽やかさであった。
 

2Fに登り回廊の内部からスケッチをする。
そこで、感じたのは、光をうまくコントロールした軽やかな空間の演出である。

基本的な形態は太い2本の柱がアーチによって繋がれていてその繰り返しによっているのだが、そのワンスパンの間にその柱より細く短い柱が、このアーチに対し90°の角度で2本並んで立っている。

それにより大きな柱そして空隙、それから縦に並んだ小さな柱そこにも空隙。それがひとかたまりとなり
強弱をもったリズムでアーチを支える。そしてアーチの上部分にも完全な円の開口が存在しこれらの隙間から差し込む光がシャープで緩やかなエンタシスを描く柱の縦のラインと
アーチの大きな円弧のラインを浮かび上がらせる。

この列柱とアーチの連続とアーチを支える柱の部分に存在する空隙が、このアーケードに光をもたらしマッシブな内部の躯体に反して
この建物に軽やかな印象を与えるのである。
ここに空間が存在する!!

さらに驚いたのは、この建物の平面をパラディオの建築博物館で見たときである。
その図面はおそらく最近描かれたものであったのだが、逆にその最近の図面表記のため、この建物の平面がとてもモダンに感じたのである。

ポストモダン以降、引き続き展開しているライトコンストラクションの潮流、それを感じたのである。
どうしてか、、。
それは、この光をうまくコントロールしたアーチと列柱の回廊を薄い皮膜であると考えると
これがいわゆるカーテンウオールとして見えてくる、、。
ただ、素材がガラスとスチールではないだけで、明らかに、パラディオは構造的躯体と
建物の輪郭を分離して考えている。
そう発想するとこの建物はまるで、1990年代に日本の建築家 伊藤豊雄が設計した長岡にあるリリックホールと同じコンセプトを持っているのである。
(今回、このバジリカを訪ねたときちょうどこのホールで伊藤豊雄展を開催していた。)
リリックホールにはメインの二つのホールがある。
そのホールの外壁がそのまま建物の輪郭となるのではなく、そのホールは一つのマッス(量塊)として捉えられ、それをさらに覆い囲う、うねる大屋根とガラスの壁面が建築的輪郭を形成している。
機能的な領域とそれに奉仕するための建築的領域。
そこには明らかに、近代建築が提唱してきた構造と機能とカタチの新たな分離と
建築的接合が試みられている。
パラディオのバジリカもまったく同じように解釈できるのではないか。

柱が躯体として床面を支え、アーチと壁面を構成し、それが建物の輪郭を決定する。
そしてファサードを建築的顔として装飾する。
荒っぽい言い方をしてしまえば、パラディオ以前、ローマ以降のヨーロッパの建築は
このようなスタイルが根底にあるのではないか。
しかし、このバジリカでは、ファサードが特にない。
四方全てがファサードといってもいいが、それは光をコントロールするという機能がその柱とアーチの構成
の第一の主題としてある。
そして、バジリカ本体のグランドレベルに存在する壁面で覆われたマッシブなエリアとは
明らかに構造的に分離して、この透明な外壁を発想しているのである。
これが、建築だ。
これが、空間だ。
これは、またしても、私のものすごい誤読なのかもしれない。
しかし、私にはこの時代に構造と機能とカタチを一端解体しこれほどまで革新的に捉え、自らが追い求める空間を創造し得たパラディオの構想力に畏れずにはいられない。

イタリアで古いものを見て考えることの多くは、今の時代との超越的な距離感だ。
そこに常に今を発見するのである。
ティツイアーノも然り、パラディオも然り。
そのことが、とても驚きである。

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01/09/26(水)

午前中は天気が優れず、肌寒い。
授業後、天気もよくなり、ベネツイア郊外にある
スーパーメルカート(スーパーマーケット)に出かける。
目的は便座を買うため。
なぜか、今の家の便座が大きすぎるのだ。
特にこちらで便座が大きいと感じたことはないのだが、この家の便座は
便座をおろしても、なんだか、下ろし忘れて座っているような感覚になる。
これは、気持ち悪い。

向かったのはベネツイアのバス停(ピアッツアエローマ)から約20分ほど、とても巨大なショッピングセンターである。
日曜雑貨、食料品等、基本的になんでも揃う。
このようなショッピングセンターがベネツイア近郊に数カ所ある。
で、今日はその中でも新しいオーシャンというショッピングセンターに向かう。
あたりはトウモロコシ畑でその中にポツンとそれはある。
2階建て(地下は駐車場)でいわゆるショッピングカートを2階にももっていける
スロープ式のエスカレータが付いている。
売場もこのカートが通れるようにゆったり設計されている。

2階に上がり、さっそく便座をチェック。
それが、以外に便座が日常的においてあるのでびっくり。
プラスチックのから木製のまで、値段も手頃、日本円で2000円から4000円位。
今回は家の便座の取り付け方式とこの売っている便座が合うかどうか、調べてから出直す事にした。

ここで今回買ったのは、羽毛フトン(なんと4800円!!)、鍋セット、卓上スタンドライト
敷物、等々、締めて18000円。
帰りも専用無料バスに乗り、ベネツイアに戻り、バポレットで家の近くまで帰る。
羽毛布団(中国製)はなかなか快適で、これでなんとかベネツイアの秋も過ごせそうである。

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01/09/27(木)

今日は久しぶりに朝から天気がいい。
新しい家から学校までの道のりは
アルセナーレ(造船所・博物館)からサンマルコ広場までの海岸線を
歩き、サンマルコから燃えてしまった再建中のフェニーチェ劇場の前を通り、学校の目の前カンポ・サンタンジェロに出るルートである。
だいたい、20分くらい。
毎日、皇居の前を通って通学するようなものである。

天気がいいと、ほんとに気持ちがいい。
サンマルコの向かいのサンジョルジョ・マジョーレ島やら、リド島やらが綺麗に見える。

今日は授業の後、バルカ(小舟)に乗って島巡りである。
ベネツイアの車の玄関口ピアッツアエ・ローマ近くのカナルから船に乗り込む。
素敵な木造船だ。7〜8人乗ると満員になってしまうような船だが、船長(ちょっとジョン・レノン似)
はこの船でクロアチアまで行ったことがあるという。

船はベネツイアの細いカナルを通り抜け、橋をくぐって、一路リド島の先端を目指す。
途中同乗してくれたジュリエッタ(ベネツイアの考古学の研究をしている語学学校の先生)が
途中、途中に見える小さな島々の歴史を説明してくれる。
おもしろいのはベネツイアの歴史的な意識では、ローマ時代と
ナポレオンが征服した時代、トルコと戦争をしていた時代この三つが
基本的なパラダイムになっているようだ。
例えば、サンジョルジョマジョーレ島にはナポレオンが攻めてきたときに
一時ローマ法王が避難していたとか、トルコとの戦争の時に築かれた
8角形の砲台跡であるとか、、、。

そんな島々の間を通り抜けながら、潮風にあたりつつ、遠くベネツイアを望む。
ラグーナから見るベネツイアはとても小さい。
そしてとても美しい。
しかし、近年工業開発が進んだマルゲーラ地区がその左手の方に見えるのだが、まるで、それは東京湾からみた川崎の工業地帯のようである。
片や左手に、サンマルコの鐘楼やサンジョルジョの鐘楼が見え、片や煙を吐く巨大な煙突がランドマークとして見える。
今から2000年後にはどちらが残っているのだろうか?
少なくとも、この1000年、サンマルコは存在してきたのである。
工業地帯は40年足らずくらいか、、。
我々の生活にひつようなものはどちらなのだろうか、、。
 
 

船は細長いリド島の端まで来て、そこからリド島沿いをベネツイアへ引き返した。
リドの海岸道路を進む自転車とほぼ同じ速度で走っている。
夕方近くになるとさすがに風が冷たい。

また小さな橋をいくつかくぐり、ベネツイアに戻ったのはそろそろ夕焼けの時刻であった。

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01/09/28(金)

須藤さんが風邪をひいてしまった。
今日の語学学校へは、一人で登校。
なんか小学生のようだな〜。
学校でも、先生がそれじゃ、AKIKOへ
みんなで手紙を書きましょうと、いままで習った
言葉でみんなで作文をする、、。
とてもアットホームな学校だ。
午後はだからそのまま帰って昼飯を近くのBARで買ってきた
サンドイッチですませる。
午後の日差しを浴びながらしばしのんびり。
夜は私ひとり、語学学校の先生が教えてくれた
無料のコンサートに出かける。
学校の日本人の生徒達と待ち合わせて音楽を聴く。
ホールは大学の講堂(オーディトリアム)なのだが、こちらの講堂は200年〜300年くらいたっているのがざらである。
これも内部はとても素敵なルネッサンス様式でまとめられていて、天井も物凄く高い(ざっと目検で15mくらいか、、)。
もちろん壁面は石とスタッコ仕上げ、床面は石貼り。
演目はジプシージャズ。
ギターのアコースティックサウンドが生音でとても良く響く。
ときたま、曲紹介でしゃべる声はさすがにちょっと響きすぎるが、、。
こんなホールで聖歌隊なんか聞いたら、もう凄いんだろうな〜。
そう思わせるホールである。

演奏はなにやら、ラテンのもの悲しさを称えていた。
陽気て明るいはずのラテンの血のあのちょっともの悲しい音。
なんて説明したらいいんだろう、とても明るくまぶしい太陽ゆえの悲しさみたいなものだろうか、、。
ジャズといっても、だからイメージで浮かぶ情景はどうしてもラテンの色である。
ルネッサンス様式の建物とラテンのもの悲しさ、、。
不思議な体験である。

夜は語学学校の仲間と近くのカフェ(カフェといってもアルコールをだす)で1時間ほどおしゃべり。
夜のリアルト橋を越え、サンマルコ広場を通り過ぎ、満月まであと数日の月を見て
海岸沿いを家路へと急ぐ。
今夜の陽気はとてもおだやかだ。
明日も晴れるのだろうか。

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