杉山至のイタリア日記

2001/09/15(土)

2週間が過ぎた。あっという間だ。
まだ住居が確定していない。
でも、少しずつだが、友達が増えた。
そして周りもだんだんと見えてくる。

おいしいモノを食べて、
すばらしいものを見て。
運河にはゴンドラが行き交い、
遠くで教会の鐘が鳴る生活。
演劇と生活、生活と芸術。
これが究極のテーマ。

しかし、須藤さんの到着により俄然生活が騒がしくなった。
スーパーでの買い物も一人の時よりなんだが華やかだ。
2週間ばかり先に到着しただけなのに、
偉そうに半日ベネツイアを案内する。
ベネツイアで迷子にならない方法を伝授する。

今日はCa`Doro(カ・ドーロ)の見学だ。

------------------Ca`Doro------------------

Ca`Doro(カ・ドーロ)15世紀に建てられた超金持ちの個人邸宅。
現在内部は美術館になっている。
ここは、以前(5年前)一度来たことがある。
展示のデザインが凝っていることがその時は気になった。
カルロ・スカルパが内装を行った美術館(これはまだ見に行ってないのだが、)
を写真で見たときに感じた繊細さのようなものがあったのである。
展示ケース、扉の金属、ガラスの納め方、絵を留めている金具、展示された絵を飾るフレームワーク等。
基本的にブラックスティールと真鍮を使い、控え目だが洗練された表現。
展示内容はともかく、そういった印象を受けた。

今回はなるべく展示されているものをじっくり見ようと思ったが、やはり内容よりも、その展示デザインの方に意識がいく。そしてなによりこのすばらしい建築に。

このカ・ドーロはやはり、ベネツイアで5本の指に入る美しい建物ではないだろうか。
ベネツイアン・ゴシックの代表的建築。
イスラミックアーチとゴシックの要素を融合させたファサード。
日本をたつ前に東京で聞いた、クエートの若き舞台美術家アブデュラ氏のイスラミックデザインとアラベスクについての講義を思い出す。

運河に面した、ファサードは3層の構成からなる。
そして、ファーサードを全体の面としてとらえると、これは非対称形であり、日本のベネツイア建築研究の第一人者陣内氏の解説には、内部の平面プランを生かした、立面構成になっているという。
たしかに、非対称形のファサードはこの時代にはめずらしい、しかし、全体から捉えたバランスの見事さがこの建築に不滅の生命を吹き込んでいる。

特に目をひくのはファサード全体の中での、透かし彫りによる軽やかな空隙をみせる、左側の三層の開口部である。
一階が半円形アーチであり、中央のアーチの間口のみ若干広くなっている、
そのため、単純に連続するアーチと異なる不思議なリズムがもちこまれている。
そして、その上にとても美しい2層目が乗る。
柱上部に円形の内部を十字に切り取った透かしをあしらったユニットが連続していく。
おそらくこの建物から派生したであろうこのアーチのモチーフが現在のベネツイアには至る所に見られる。
そして、そのさらに上3層目はこの2層目のモチーフを陰陽反転させたようなデザインでかつシャープなラインで構成されている。

本来このカ・ドーロ(黄金の屋敷)はその名のとおり、外壁に金箔が貼られていたらしいのだが、現在の白に淡い色の模様が入った大理石の外壁の方が美しいのではないだろうか。

展示の最後に一階の広間を見る。ここには展示はなく、そのギャラリーはそのまま運河に面していて、船着き場になっている。
床は一面テラコッタタイルが敷き詰められている。床面も壁面も一寸の空きもなく、デザインで埋め尽くされている。 この床面をみて、以前ポンペイで見たローマ時代のアトリウムを持つ家の中庭の床を思い出した。
今踏みしめている床がローマに通じている。
この国はローマ時代から一直線に繋がっている、、。
デザインの源流をとても大切にする意識を感じる。

一端家に戻り、夕方散歩がてら今度は外観を対岸からスケッチすることにする。
リアルト橋あたりは凄い人出だ。
この季節、土日ベネツイアは人であふれる。

魚市場の岸辺の橋の上からしばしスケッチ。
このファザードは時間がかかる。
装飾がとても細かく、繊細に仕上げられている。
難攻不落のファサードだ。
ここで、感じたのはやはりゴシックとイスラムの融合というところだろうか。
また、細かい縄模様が以前スケッチしたバルトロメオ・ボンのデザインを思い起こさせる。
(このカ・ドーロにもバルトロメオ・ボンは関係しているらしい。詳細は調べてみないと今は解らないが。)
しかし、スケッチしながらも、気になるのは、なぜイスラムとゴシックが融合できるのかである。

それで、先ほどのアブデュラ氏の講義に戻る。

イスラムのデザインには偶像はない。
とりあえず、イスラムのデザインはこれに尽きるらしい。
なぜなら、神(アラー)は完璧であるがこの不完全である人間には神が創りだしたような完全な姿はつくりようがない、だから、
人間は人間の似姿や神の姿を描くということは決してしないということらしい。

だから、基本的に純粋図形(丸や三角や四角)と神(アラー)を示すイスラム文字と植物模様のみで全ての建築や、壁面の装飾的デザインは構成されているという。
そして、アラベスクとはその一連のデザイン模様の繰り返しのことを言う。
原型となる模様(図形)のフラクタル的展開といったらいいのだろうか、アラベスクとはそういうデザインなのである。

一方、ゴシックのデザインとはなにか。
上昇性と、植物的モチーフ、柱や教会の交差リブボールトやフライングバットレスなどはまるで、植物の茎のような、筋をもっている。
ロマネスクの時代の量塊的デザインに比べ、はるかに木や植物等を見本とし、それがもつ構造的特性や繊細さを全面に押し出した装飾的デザインであるといえる。
この点は、植物のモチーフを多用するイスラミックデザインと共通する部分はある。
ともに、植物がもつその構造的特質や形態的特性を純粋にデザインのモチーフとしているからである。

しかし、決定的に違うのはその偶像性である。
イスラムに偶像はない。
一方ゴシックにおいては、神は実体として中心にある。
そしてその神はパリ・ノートルダムの大聖堂を出すまでもなく、図象的に必ず主題として現れる。
この点、相容れようもないゴッシクとイスラミックデザイン。

それがこの建物はこの両者の質の違いをあくまでデザイン的に捉えうまく処理しているといえるのではないか。
その理由のひとつとして考えらるのが、これは個人の邸宅であり、宗教的建築ではないということがある。
そのため、ゴシックの持つ偶像性を排除して構造的モチーフのみをあくまでデザイン的に抽出し、それを透かし彫りの十字として抽象的に、イスラムミックデザインの非偶像的デザインと融合さているのである。

純粋にデザインとして、両者の違いと共通性をを捉える。
そしてそこから抽出した要素を線や図形に一端分解して客観化してから融合させる。非常に科学的なデザイン操作が行われている。
ベネツイアンゴシックのおもしろさはここにある。
まるで、20世紀後半のポストモダンの建築が情報操作的にデザインの混成をおこなったようにベネツイアンゴシックのデザインにもこの抽象的操作があるのではないだろうか。
その抽出の仕方に作家の個性と才能が垣間見える。
そして、建築は様式の呪縛から免れ、ある種の軽さを獲得する。

15世紀の商業都市国家ベネツイアにおいて、宗教や時代を超越し、ある種現代性を獲得しうるような純粋な造形性を可能としえた
ルネッサンスという時代。
この時代が見せるヒューマニティの豊かさとその奥深さに驚嘆せざるおえないのである。

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01/09/16(日)

だんだん、寒くなってきた。
明日は一端このクラウディアの家を出て、1週間ほど、駅の近くに宿を取ることにした。
1週間でなんと90万リラ(¥54.000-)!!
とても、高い。
でも背に腹はかえられない。
ホテルのツインを取るよりはそれでも安い。

ああ、まだ、あの「指揮者の家」も確定ではない。
いよいよ、路頭に迷いそうである。
住むところもきまらず、メールも定期的にできない。
なんだか、いよいよ、寒さが身にしみる。
お昼前にベネツイアの街に繰り出し、
今日は中華に挑戦。
リアルト橋の近くにある中華料理屋である。
たのんだのは、春巻きとコーン入りのエッグスープ、
鶏肉の唐辛子炒め、ジャガイモの細切りを炒めたもの。
なんだか、イタリアンな味がする。
野菜が含んでいる苦みであるとか、油がどうも
オリーブオイルであるとか、、。
中華を食っているのに、イタリアンな味がする。
名付けてイタリアン中華。
2名で約4万リラ(2400円)なり。
これなら家で造ったほうがましと須藤さんが怒っている。
イタリアの野菜にはイタリア料理。
これが、今日のお昼の結論。

明日の朝でこのクラウディアの家ともおさらばだ。
この素敵なおうちのことをちょっと書いておこう。

------------------ベネツイアのおうち------------------

ご存じのにように、ベネツイアはラグーナの上に築かれた、都市である。
そして近年上昇傾向にあるアクアルタのため、1階(こちらでいうグランド階)には殆ど人は住んでいない。
一階はお店、倉庫あるいは廃墟という状態である。
このクラウディアの家も扉は1階にあるのだが、内部階段を上って2階に部屋の扉がある。この階段は3〜4世帯が共同で使用するようになっている。
2階に2世帯、3階に2世帯という具合に。
2階の玄関の扉を開けると、まず、左手にキッチン(クッチーナ)があり、右手はトイレ兼バスルームとなっている。
そして、玄関扉から入って目の前に2つの部屋の扉が並んでいる。向かって右側(西側)が書斎、左側(東側)が寝室である。
日本でいえば、2DK・居室振り分けバストイレ付きというタイプである。
しかし、南側に別棟が並んでいるため、窓は居室、書斎とも一方方向にしかない。

床面は石貼り、壁面はスタッコ仕上げ、天井もスタッコ仕上げ、そして現在工事中の書斎の方は、天井の木の梁を見せる仕上げにしようとしている。
この天井の木の梁組を見せる仕上げは最近流行っているらしい。

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といきなりスパーク&停電!!
外では雷がなり、雨が激しくふっている。
えっ?!
須藤さんが、100v対応のデジカメ用充電器をコンセントにつっこんだのだ。
ギャーッ!!
台所の方から声がする。
初歩的なミスを、、。
須藤さんの声がする。

すかざす、ブレーカーを上げる。
明かりがつかない。
えっ!?
落雷の影響か、それともブレーカーの内部のヒューズがとんだか?
まだ夕方5時だというのにあたりは暗い。
ろうそくは?
うーん。
あるかな。
部屋を探してみる。
あった!!
ろうそくをかざして、
ブレーカーをのぞき込む。
何回もブレーカーを上げ下げしても電気がつかない。
ここで判断停止。

次の事を考えるはじめる。
ガスは付くか。
ガスはでるが、着火しない。
ということは、湯沸かし器はだめ、
ということはお風呂にはいれない。
水は?
水はでる。
ということは料理はなんとかなる。
夜暗いということだけか、、。
でもクラウディアになんて説明する?
このままバックレルか?
どうせ明日の朝出て行くわけだし、、。
いろいろな憶測が飛ぶ。
東京電力だったら、日曜日でも電話したら来てくれるだろうに、いやこちらの電気会社に電話しても説明できない、、。
そうだ、語学学校の和田さんはこちらでの生活が長い、それに彼氏はコンピュータ好きのメカマニアだったようだし、、。
とりあえず、電話してみる。
留守電である。
明日語学学校に時間通りいけない旨のみ伝える。
肝心な今のこの問題は留守電にいれそこなう!
なにをやっているのだか、、。
ちょっと、一呼吸。
科学的にいや、経験的に起こったことをもう一度考えてみる。
確かにショートした。
で、ブレーカーが落ちていた。
ということは、ブレーカーのヒューズは切れていないはずである。
おかしい。
どこかに親ブレーカーがあるのだろうか。
共用廊下に出てみる。なにもみあたらない。
しかし、おかしい。
あのブレーカーの形態からして、親ブレーカーではないようだし。
わたしが、おかしい、おかしいとひとりごちていると、
須藤さんが一階にはないのかな?と一言。
う〜ん。
一階か、確かにベネツイアの家の一階は物置であったり、共用スペース的な場所になっている。
これはさっき書いたとおり。
で、部屋を出て、一階に下りてみる。
これかな?
水道メータを発見。
綺麗に居住者分ならんでいる。
ていうことは、電気もどこかに、、。
小さな戸棚を開けてみる。
あった!!これだ。
クラウディアの名前を探す。これだ!
よし、このボタンを、、。
で、2階にもどる。
やった!!須藤さんの笑顔が明かりで輝いている。

一瞬、文字どおり、全てが真っ暗になった。
ああ、ロビンソン・クルーソーよ。
あせってもだめだ。
ひとつひとつ、問題をゆっくりと解いて行くしかないのである。
我々は異国にいるのだ。

しかし、電気がついてほんとによかった。
これほど、ついてほっとしたことはいままでない。
あの岩城さん(青年団の照明家)が停電をおこした初演の「さよならだけが人生か」の
あの現場のときよりも、びっくりした気がする。

問題の充電器を見せてもらう。
「まだ、使えるかな?」
須藤さんがのんきなことをいっている。
ドライバーを使いちょっと中を開けてみた。
まるで、ニューヨークである。
コンデンサーのビルの群が真っ黒にすすを被っていた。

外ではやっと嵐がおさまり始めている。
空はまだ黒いが、雨は上がりそうである。

「充電器爆破事件」
やれやれ、一件落着。

ベネツイアのおうち情報、詳細はまた後日にゆずることにする。

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01/09/17(月)


今日はいよいよ引っ越し。
昨日一応、移る予定の家を外から下見しておいた。
どのルートを通って移動するか。
それが課題である。
重い鞄を持って橋をなんどもわたりたくない。
結局、バポレットを使い、一度しか橋を使わないルートで移動を開始。
30分ほどで予定の移動場所へなんとか到着。
まるで、ケーニヒッスベルグの橋である。
どのルートを通るのが一番疲れないか。
その点ベネツイアは人にやさしい街ではない。

新しい部屋は1階であるが、中庭に面していて陽があたる。
おそらく、倉庫かなにかで使用していたものだが、駅の近くということもあり、改装して住めるようにしたものだろう。
内装はしかしとても綺麗。
大家さんは二階に住んでいる。なかなか親切そうな人である。
これでまたなんとか一週間の生活が始まる。
一寸先は闇。
その先はどうなるのか、毎日を生きていくしかない。
しかしそれはどこも同じ。
飛行機が着陸するときのように、
雲のなかから少しづつ目標を定めていく。
軟着陸になるのか、失敗するのか、、。
しかし、まだ雲の中ではわからない。

語学学校の授業が今日は午前中であったが、
引っ越しのため遅れて参加。
今日は須藤さんの顔みせということで終わり。
また、老先生セルジュがなにやらいっている。
オー、ミス、ヨコハマ!!
彼は誰でも女性を見るとミスジャポーネとか、ミスアメリカとかネーミングする。
私よりはるかにネーミングのセンスがない、かな?

いい先生なのだが、とても女好きなのである。
まあ、イタリア人男性、基本的に同じであるが、、。

------------------Palazzo Ducal------------------


午後は一端家に帰り落ち着いてからドウカーレ宮殿を見に行くことにする。
ベネツイア共和国の総督府が置かれていた場所、
サンマルコ寺院の隣の建物である。
この建物もとても美しい。
これもカ・ドーロと同じベネツイアンゴシックのスタイルでまとめられている。
1層目と2層目のファサードに回廊が周り、その上のマッシブで重い壁面がまるで宙に浮いたように見えるのである。
建築史家のコーリン・ロウがその著書でコルビジェとパラディオの比較を行っているが、
この宮殿もまるでコルビジェが提唱した近代建築の五原則のいくつかを満たしているように思われる。
それは例えば、自由なファサード(内部の用途から導き出されたファサードのモチーフ)、ピロティ(柱で一層目を持ち上げて、一階部分は歩行者に解放された空間とする)といったことである。
軽快で自由な雰囲気がするのは、その時代のベネツイア共和国の気風を表象しているからなのかもしれない。
内部に展示されている様々な絵画を見て歩く。
しかし、気になるのはやはり建築だ。
3階の海沿いにある大評議の間は圧巻である。
幅20m強x奥行き40m強の空間で途中に柱はない。天井は装飾で埋め尽くされ、よく見ると天井の梁の木材が見える。
この宮殿もそうだが、こちらの殆どの古い建築は壁面がレンガや石で、梁は木材を均等に渡してある。
そして、その上に平板をならべ、さらに石を敷いたり、スタッコに小石を混ぜた床面仕上げになっている。
だから、ヨーローッパは石の文化で石の家だといわれるが、内部の床面を支える梁には木材が使われているのである、だから、以外と揺れるし歩くと下に響くのである。
しかし、この大広間のこれだけのスパンを柱無しで架構している空間はそうそう滅多に見られない。
この上層はおそらく屋上になっていて、きっと木造トラスになっているに違いないが、、、
断面を見て見たいものだ。
2時間ほど、内部を見学して外へ出る。

また小雨がちらついている。
この季節、日よりぐせで午後になると、にわかに空がかき曇り雷鳴を伴った雨がふる。
そしてだんだんと秋が深まっていくようである。

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語学学校の和田さんに教えてもらったアカデミア橋の先の方にあるスーパーでお買い物。
今晩はスパゲッティでなくご飯だ!!と、須藤さんが息巻いている。
私はこの2週間というものスパゲティを食わなかった日は数えるほどしかない。
主食としてのパスタ。
私は以外と大丈夫なことに気づいた。
須藤さんはまだ3日目にしてもうパスタは、、と弱音を吐いている。
この主食としてのパスタについて昨日の夜おもしろいことに気づいた。
イタリア人は主食としてパスタを食べる。
これは疑いようのない事実である。
しかし、日本のお米のように、純粋にゆでたパスタだけであとはそれに付随するおかずとして食べるということはしないのである。
主食が毎日、様々なバリエーションに変化する。
今日はポモドーロ、明日はイカスミのパスタという風に。
日本風にいえば、それは今日はタケノコご飯、明日はチャーハンというふうに主食に混ぜものをして変化させるということである。
だからなんだといういうことではないが、おかずと主食の関係が全然違うことに改めて驚くのである。
このあたり、素材をなるたけ生のままで味わおうとする日本人と、それを調理して混ぜて楽しむイタリア人との違いを感じるのである。
デザインにもそれが当てはまらないか?
これは今後の課題である。

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01/09/18(火)

今日も朝早い、8時には起きだし、
9時半から始まる授業に備える。
昨日この部屋に引っ越してきたばかりなので、
学校までの道のりが不安だ。
カナルグランデの左側の地区は歩くのがかなり難しい。
私が2週間で発見した法則が通用しない場所がある。
というのもこの地区は大きく人魂のように膨らんでいて、
その人魂を上からかこうようにして、カナルグランデが走っている。
だから、この人魂型の内部に入ってしまうと、私の理論のひとつ、
キャナルグランデの方向を常に意識するというのが難しくなってしまうのである。
ああ、奥が深い、ベネツイア散歩。

今日の成果は、オペラ(ちょっと抜粋ぽいが)のチケットを買ったことだろうか。
頑張ってイタリア語をしゃべりました、、ちょっと、、。
ベネツイアから1時間ほどのところ、ビツェンツアという街がある。
そこにかの有名な建築家、アンドレア・パラッディオの設計の古い劇場テアトロ・オリンピコ
がる。そこでは毎年9月・10月にはオペラや劇などが上演される。
その情報を入手し、来る土曜日にドン・ジョバンニを見に行くべきチケット入手に
奔走したのである。
まず、語学学校の物知り教授セルジョにどこで買えるか尋ねてみる。
なんでも、このチケットは銀行で買えるらしい。
そのチケットを扱っている地元銀行のベネツイア支店の場所を教えてもらう。
午前の授業のあと、さっそくシエスタ後の銀行へ出かけてみる。
しかし、一店目。
入っていきなり、ノーエクスチェンジ、ヒア!!と怒鳴られる。
え、僕はお金を替えにきたのではないよ、、?。
チケットを買いにきたのだと主張する。
ああ、そう、とコンピュータ画面に向かうも、この人は
英語でフィニシュドと一言。
別の支店の場所を教えてそこに行けという。
このお店とそのお店どう違うの?
そんなことを尋ねる話術もなく、
グラッツエと外にでる。
え、カンポ サンタ マリア フォルモーザだって?
聞いたことがない。
なんでもリアルト橋の近くだと言っていた。
とりあえず、リアルト橋まで早足で行く。
なんでも、その支店は4時までやっているらしい。
いまは3時20分、ゲゲッツ!!急がなくては、、。
地図を見つつなんとかその銀行を探し当てる。
順番を待つこと20分。
やっと買えた。今度はイタリア語で、、。
平戸間席が売り切れでちょっと高い席しかないということであったが、2枚で
88.000L(5.400円くらい)まあ、安いのではないか、。
やった、無事チケットゲット!!
これに気を良くして、ベネツイアのテアトロマリブランで現在行われている、
例の指揮者の方の師匠が指揮を振っているオペラのチケットを買いに走る。
これは、また別のチケットオフィスがある。
木曜日のこのオペラのチケット2枚下さい。
「この席が空いていますよ。」とバルコニー席を示すおばさん。
ああ、いいですね。そこでお願いします。
ここまではよかった。
金額を見てびっくり。
一人140.000L二人で280.000Lです。
えつ?280.000Lってことは16、800円これはちょっと高くないかい?
だってさっきドン・ジョバンニが2人で5.400円でしょ?
それに財布にそんな現金はない。(クレジットカードはだめだと言われた)
すいません、明日出直してきます。
親切に英語で明日でもきっと席はまだ空いてますよといってくれた。
よろこんでいいいやら、情けないやら。
たかだかチケット2枚買うのにベネツイアを西から東へ歩き通しの3時間。
部屋にたどり着いたのは、夕方5時を回っていた。
 

家に帰って部屋のことが気になるのと、このオペラのチケットなんとか入手できないものか、
例の指揮者の方に電話してみる。
「ああ、私も連絡しようとしていたところなんですよ。」
ああ、とてもフランク。育ちが違うのか、、。
大家さんと会うアレンジもお願いして、ついでにチケットのことも聞いてみた。
「チケット入手かのうかどうか聞いてみますよ。」
また、連絡してくれるとのこと。
ああ、乞うご期待!!
今晩も昨夜に続き須藤さんの日本料理。
今夜は豚肉に挑戦といっておりました。

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01/09/19(水)

なかなか、うまく事が運ばない。
一歩、一歩、ゆっくりと行くしかない。
朝、語学学校を出て、ミラノ行きの列車に乗り込んだところまではよかった。
ミラノに着いてから、また、ロビンソン・クルーソーが始まった。
地図を片手にとりあえず、駅から街の中心街、ミラノスカラ座、ドーモ広場まだ歩いていく。
ここから、プッパ先生の電話での情報のみを頼りに今日目指すべき劇場を探す。
これが、全然見つからない。
レストランの人に聞いてみたり、ホテルの人に聞いてみたり、歩いているお回りさんに聞いてみたり、バスのインフォメーションセンターで聞いてみたり、どれも、要領を得ない。
なぜか。
問題点は、場所の通りの名前がわからないと探しようがないということである。
また、スカラ座の近くの小さな小さな劇場であるというのが、話をややこしくしていた。
みんな、えつ?スカラ座に行きたいの?と聞くのである。
いや、ちがう、スカラ座の近くの小さな劇場で、名前はテアトロ、フィロ、ドラマテジ、、。
名前を聞いてもだれも、解らない。
最終的にこの劇場の名前の通りをバスのインフォメーションセンターの人に教えてもらい、
その通りを探すこと20分、ここじゃないの?とその劇場を見つけた。
表札もでていなければ、ネオンサインもない。
結局、ミラノに夕方6時に着き、探しあてたのが8時半。
芝居が始まる30分前であった。
なんとプッパ教授に会い、チケットを頂いていざ、劇場へ。
芝居の内容も聞いておらず、なにが始まるのやらと思っていたら、日本で言えばリーディングという形式であるが、そのような演目が3つほど途中休憩を挟んで行われた。
9時から開始とパンフレットには書いてあるのに、9時15分を過ぎてもいっこうに始まる気配がない。
パンフレットや劇場入り口にわずかに貼られていたポスターを見るに、これは、ミラノの小さな劇場3カ所で同時開催的に行われている、現代演劇の演劇祭であることがわかった。
そして、主催の女性(まるでイタリアの遠藤さんのような人で髪の毛は赤く染めていた)
が挨拶を始め、最初の演目の作者を紹介した。
作者の挨拶があり、おもむろにリーディングが始まる。

---------------Teatoro Fillo Doramatiji---------------

ここで劇場についてちょっと解説。
劇場はプッパ先生の言葉によればそのファサードは18世紀に造られたものらしい。
劇場自体はキャパ200席足らずの小さな劇場である。
建物の奥の方に劇場の入り口があり、劇場へは1階のレベルから地下へ降りていくことになる。
地下4Fレベルが平戸間の客席と固定されたプロセミアム形式の舞台(舞台高さ1,0m)
その上に客席のバルコニー席がならび、さらにその上に3階席と調整室がならぶ、そしてそのもう一つ上の階すなわち1階部分に小さな受付がある。
内部はそんなに古いつくりではなく、白と黒で塗り分けられた、モダンな感じである。
プロセニアムの上部が白く塗られ、ギャラリーの手摺りが回っているため、なにか船の甲板のように見える。その下に黒く塗られたプロセニアムと舞台がある。
あと、おもしろい特徴としては、その地下4F部分の客席平戸間の奥のエリアがカーテンで仕切れるようになっており、そのさらに後方にドリンクバーと吹き抜けのちょっとしたアトリウムが 広がっているということだろうか。
客席とアトリウムエリアが扉で閉鎖されるのではなく、カーテンのみで緩やかに仕切られているということである。
唯一扉があるのは劇場の入り口のみで、その中はある種一つのつながった演劇的空間であるといえる。
そのような劇場の平戸間(今回は自由席でした)部分後方から観劇する。
演目自体、リーディングであるというのも入ってみて初めてわかったことだし、 パンフレットもその場で各自取るというもので、イタリア語がまだ全然できない私にはほとんど、内容がわからない。後ほど、パンフレットを辞書を引きながら調べてみなければならないが、、。
ただ、イタリアでイタリア人の芝居というのは初めてみたのでそれは、やはり興味深いものがあった。

------------------上演作品について------------------

始めの演目はファウストについての作品である。
舞台には中央にレーサー用のサイクリング自転車が一台、後ろの車輪にスタンドが付いていて漕げるようになっている。
下手舞台なかほどにイスが3脚、その前に2脚、一番奥に見えにくいように1脚。
上手にも舞台前方をむくようにイスが3脚。
これだけの舞台である。
登場人物は6人と音楽(CDプレーヤ)を操作する人が1人である。
主人公ファウストはサイクリングレーサの衣装を着ている。
下手にはジャケットを着た女性と盲目の人がひとり、上手には3人の男が座る。
その3人は衣装は普段着であるが、自転車競技用のヘルメットや帽子を被っている。
物語自体はファウストが自転車をこぎながら、独白するとい展開ですすむ。
それに対し、上手3人の男がヤジやら声援やらの言葉を浴び掛ける。
そして、下手の女性と盲目の男性は別の役割としてファウストに絡む。
(内容に関しては後日、また解説させて下さい。)

言葉は聞いた感じであるが、口語ではなく、文語体である。
詩を読むように、話が展開していく。
 

この作品が終わったのが、夜10時15分ほど、そのあと我がプッパ先生が書いた戯曲が上演された。
一つはリーディングでなく、芝居として、そしてもう一つはプッパ先生自らがリーディングしていた。

作品名はガニメデとアブラハムである。
これに関しても内容が今の段階でわからないので、詳細は後日にゆずりたい。

大変なことになってしまったのはその後である。
劇場でちょっとした公演後のパーティみたいなのが開かれて、プッパ先生が残って行きなさいというので、食事とワインを頂く。
しかし、結局ホテルを予約せずここまで来てしまった。
2人であったのでプッパ先生にも話そびれて、
なんとかなるさと夜12時を回ったミラノの街に飛び出した。
何件回っただろうか、、。
どこも満室でだめ。
私が3つ星以下にこだわったせいもあったが、さすがにあと5時間くらいで朝になり、すぐベネツイアにもどらなくてはいけない身に4つ星の
3〜4万円は払えない。
結局、駅までまたとぼとぼと歩いて帰り、始発を確認して夜のミラノ放浪散歩を決行。
貫徹の朝6時に列車に乗り込み、ベネツイアに着いて、家に帰り昼まで爆睡。
とんでもない1日になってしまいました。
(須藤さんはもう二度とこんな目に遭いたくないとこぼしております。)
こちらの芝居は夜とても遅くにしか始まらない。
今後は芝居をみるならその前にかならずホテルは予約しておく事。
これが今回初めてイタリアで芝居を観て学んだことである。

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01/09/20(木)

ミラノ放浪の夜から目覚めること昼の1時。
眠い目を擦りながら、語学学校へ。
ああ、なにも仕事してないのに、とても忙しい。
なんだか、どこにいても結局忙しいのか、、日本人。

学校のあと、早々に引き上げて、今日は須藤さんがスパゲッティ宣言をしている。
例の不思議青年、諏訪君が家に訪ねて来た。
なんだか、日本語が恋しいらしい。
3人でワインを飲みつつ、スパゲッティを食いつつ、
団欒。
諏訪君の炸裂トークがとまらない。
置いてきた彼女(つい2ヶ月まえに結婚した)がきになってしょうがないらしい。
あと、やはり家が見つからないということである。
そうそう、今日は20日で例の指揮者のお宅の結論がもらえる日でありました。
結論からいうと、70パーセントかな。
イタリアでは確実ということは殆どないようです。
なんでもその70パーセントで考えておけばあたまにこないと
以前通訳の麻子さんにならったのを思い出す。
結局、指揮者のマエストロが劇場をくびになったのだけれど、
2年はベネツイアに住むということになって、指揮者の方も残るということにしたらしい。
ただ、もう9月24には日本に帰ると決めていたので、指揮者の方が帰っている期間の9月末から11月頭まではOK だとのこと。
とほほ。
でも、まあ、なんとかなるさ。
私も結局11月にはナポリに行こうかと考えていたので、 以外とそれでいいのかもしれない。
なるようになる。イタリアではけっこうこれが大事なようだ。
まあ、とりあえず、また1ヶ月半は住むところが決まったのでしのいでいける。
いつまでつづくのか、この放浪生活。

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01/09/21(金)

なんだか、毎日が早く過ぎていく、、。
今日の天気はなんだかとても穏やかだ。
日本のあの秋の空とはかなりちがう。
空の青がとてもやわらかい色をしている。
そんな一日が始まる。
語学学校の近くの広場で朝ちょっとスケッチ。
その広場(カンポ)から見える塔がいいのである。
なにがよいかというと、傾いているんですね、これが。
ピサの斜塔ではないけれど、こちらは明らかに近年の地盤沈下の影響のようで、塔製作中から傾き始めた斜塔とはそこが違う。
しかし、風景の中でこの塔だけがニョッキっと突き出ていて、さらに傾いている。なんとも言えないこのバランス。これをぜひスケッチ。

授業の後は学校で教えてもらった大学の学食にいってみる。
味はまあまあ、でもやはり学食、と須藤さんが一言。
でもかなり安いのでなんどかお世話になるかもしれない。
家に帰って、早速明日のビツエンツアのオペラ(ドン・ジョバンニ)の為にホテルを予約。今回こそ、ホテルに泊まってやる。
二人で160.000L(9600円)とのことである。よし、頑張って泊まろう。

夕方、また諏訪君がやってくる。今度はプリントアウトしたい書類があるとのことである。
なんでも、居候している、家の同居人のイタリア人の彼女が建築の学生さんで アルベロベッロ(とんがり屋根の建物がある特殊な地域)の再開発を卒業制作の課題に選んでいて、それをCADを使い手伝っているらしい。
しばし、また会話。
そのまま、夕方の街に繰り出して、バッカロ(いわゆるバールをこちらではこういうらしい) でワインを立ち飲み、日本でも昔あったような立ち飲みの居酒屋のようなものである。
ハウスワインを飲みつつ、コロッケのようなものを食べる。
締めて、1人200円くらい。
こうやって、イタリア人は食前酒と称して、このような店にたちよりおしゃべりしつつ飲んでそれから 家に帰って飯をまたワインを飲みつつ食うらしい。
食文化が発達するわけだ。

街を徘徊しつつ、諏訪君のお友達、ジュンコさんの家にいく。
彼女はお父さんが日本人でお母さんがイタリア人のハーフである。
彼氏は若い(28?)建築家で彼女も若い。
彼氏が計画している、展示会をなんでも日本で行いたいらしく、諏訪君が相談にのっている。
そして、会場関係・展示会関係、杉山さんも強いでしょ、ということで、私もなんだか呼ばれている。
しばし、彼女の素敵なアパートでその内容を聞く。
実現できるといいね、、。
とりあえず、月曜日にまた会う約束をする。
僕はイタリアに行き、イタリアには日本で展示会を行いたい、イタリア人の建築家がいる。
どうにかできないものか、、。

家に帰る橋の上からみた新月がとても綺麗だ。とても薄い三日月である。
深いオレンジ色といったらよいか、ちょっと酔っぱらったような月である。
日本ではいまだお目にかかったことがないお月さんの一面である。

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