la prima settimanna
最初の1週間が過ぎた。
まだ、クラウディアの家に居候している状態だ。
今日、クラウディアとサンマルコ近くの
物件を見に行く。
部屋自体はとてもきれいなのだが、
なんせ、一階(こちらでいうグランド階)なので、
日がはいらないのと防犯が怖い。
また、アクアルタや湿気が一階では相当ひどいので
具合が悪くなるというのを聞いていたので、
とりあえず、見せてもらうことだけにする。
値段的には1.200.000L/月(72.000円)ということで
まあ、借りられない値段ではないのだが、、。
ベネツイアには2ヶ月ほどしかいないかもしれないので
まあ、ここでもよいかもしれない、、。
--------------------ベネツイアの街のリズム------------------------
最初の1週間が過ぎて、なんとか体もこちらのリズムに
慣れてきた。
ベネツイアの街は初めて歩くと全然訳がわからない。
地図がなければ、身動きとれない。
目印となるのは、道のあちこちに付いている、
「piazzale roma」 と「リアルト橋」と「san Marco」という
3カ所の重要なポイントを示す標識で、これが基本的な目印になる。
確かに小道に入って(どこもかしこも小道だらけだが)
迷いそうになっても、この標識を頼りに歩くことができる。
しかし、ただ道を歩いているうちにだんだんと、
ベネツイアの街のリズムを発見するのである。
まだ一週間であるが、私が歩いて感じたのは、ベネツイアの街は
やはり、道(カッレ)と広場(Campo)と橋(Ponte)と
運河(カナレッジョ)の組み合わせによって出来ているということだろうか。
数百メートル置きに必ず広場があり、
これが歩行体験に一定のリズムを刻み込むのである。
この広場により、自分がいまどこにいるのかを意識化できるといえる。
一見網の目のように広がっている道であるが、
広場がその網の目の結節点として
このネットワークにリズムを与えているのである。
そして、次に重要なのが橋である。
橋を渡るときに開ける横方向つまり運河方向への視界の広がりと
橋を渡る行為(上下運動)がもたらす歩行のリズムへの
休止点が、自分の場所を把握する意識に強い印象を与えるのである。
あとは、弧を描いてベネツイアの中央を流れるキャナルグランデが常に自分にとって
どの位置にあるのか、また、はるかアドリア海が見えるベネツイアの海の玄関口
サンマルコ広場の方向(結局はこれがベネツイアでの陸と海の位置関係を決定づけている)
を意識して歩くと、基本的に方向は間違わないようにできている。
これは、京都や北京や札幌やNYのような碁盤の目の都市を歩くときとまったく違う
歩行と視覚の体験である。
碁盤の目の都市では
常にその全体のグリッドを頭に描いて、今自分がどこにいるのかを意識することになる。
だから、西にいくつで北にいくついったところに今自分はいる、という風に常に
いったん頭で概念的に捉えてから意識化することになる。
一方、ベネツイアの都市の場合は、場所を認識するさいにおいて
標識という名前がもたらす空間認識の仕方よりも、
視覚的体験としての空間意識の方が強く働くようである。
名前と場所を一致させて覚えるというよりも、歩行・視覚体験が経験として内在化した意識により
感覚的に覚えていくという感じである。
だから、例えば、ある人に、それはどこに有るのかと聞くと、
近くのランドマークは解るのだが、それから先の細かい行き方は基本的に
その人の体験の中で、意識化されているため、蓋然的にしか説明できないといった
ことがあるのである。
そしてまたこれは、東京のあのごちゃごちゃとした空間感覚とも少し違うのである。
道の広がり方は、ベネツイアも東京も神経細胞の束のように、網の目のような広がり方をしているのだが、
全体に街自体が小さいということもあって、ベネツイアでは、ランドマークとなる要素が
東京よりも限られているということがその違いの要員として上げられるのかもしれない。
ベネツイアにないのは、それは例えば、坂や小高い丘や小さな川(もちろん運河はいっぱいあるが)
といったものだろうか。
その点、明らかにベネツイアの方が都市の骨格を決定づけるファクターが
東京より少なく人工的な街なのである。
ラグーナの上に浮かぶ、無名の建築家達が作りだした一つの迷宮。
それは、自然が作りだした地形的要員を地とし、その上に図としての
個別の建築を置いていって適当な領域で区切り、それを都市と呼ぶ日本的な都市計画と違い、
ベネツイアはラグーナに浮かぶ孤島それ自体を一つの図として
一つの巨大な迷宮であるような人工的建築群としてとらえ、
そして、その内部にその結節点である広場や、分節点である橋を配置し、
一見複雑に入り組んではいるが、実は都市を構成するファクターは
かなり制御されているという、ある種全体として整ったリズムを
持った都市であるということがいえる。
曜日の感覚はあるのに、日にちの感覚が無くなってきている。
朝は10時くらいに起きて、パソコンに向かう。
11時くらいに麻子さんの家にいってメールをやらせてもらう。
ほんと、家に電話がないと不便である。
麻子さんお手製のインゲン入りペンネを頂く。
ああ、おいしい。
イタリアにいると、おいしいというのがなによりも一番になる。
仕事や美しさよりも、このおいしさである。
麻子さんに通訳から観たイタリアオペラ界事情を講義してもらう。
通訳の人はほんと人脈がひろい。
逆に業界の人だと派閥やらグループがあって同業者と出会うという機会が
少ないのに、通訳の人は逆に多くの演出家や舞台装置家と出会う機会があるのである。
2時間近く、お話してもらい、なんとなく状況はわかったかな?
とりあえず、まだオペラを観たことがないので是非観たいという気持ちは
高鳴ってきたことだけは確かである。
とりあえず、来週の火曜日になにやら、サロンのような場所で開かれる
オペラの公演があるそうなので、それに行こうという約束をする。
午後は3時にクラウディアと会って、クエストウーラ対策用の
彼女のKarta identika?(身分証明書)のコピーをもらう。
ほんと、彼女にはお世話になってしまっている。
どこかで埋め合わせをしなければ。
その後サンマルコ広場を通り、
先日スケッチした教会にまたいってみる。
なんだか、犯罪者のような気分である。
現場を二度押さえるという感じである。
でも、二度目にみるとまた違った印象を受けるから
それはそれで、おもしろいものである。
以外と小さいことに今度は気づいた。
確かに良くまとまっていることには変わりない。
それが、確認できたことは、やはりうれしいことだ。
standa(という名のスーパー)で買い物をして電話がなったので
電話に出たら、街を歩いている諏訪君とであう。
電話は、語学学校の和田さんからだった。
諏訪君が連絡したいので、電話してみて下さいとの連絡であった。
なんだか、ベネツイアは狭い。
諏訪君を家に呼んで、彼のおしゃべりを聞く。
なかなか、変わった若者である。
26才で2ヶ月前に結婚して1ヶ月前に仕事を辞めて、
ベネツイアにやってきたということである。
彼も建築を勉強している(ベネツイアにいる日本人は
建築か絵画か語学の人が多いようだ)
同潤会アパートの話から彼の卒業設計の話、
ガウディのカサミラの話まで、彼の話はつきない。
朝に麻子さんと最近の日本の若者の話をしていた事を思い出した。
日本はどうなろうとしているのだろうか?
いや、どうしたらいいのだろうか?
遠くにいて、やはり思う。
これから、世界はどうなっていくのだろうか?
今晩のスパゲッティはポモドーロ(トマト)スパである。
大成功!!
味がいい!!
自分の料理の才能にびっくりする。
そんなイタリアな夜である。
今朝は朝8時にベルで叩き起こされる。
私が居候しているクラウディアの家の隣の部屋が
実は現在改装中で、その工事のおっさんがベルを鳴らしたのである。
一階まで降りていってドアを開ける。
ボンジョルノ!!
ああ、まだ、これくらいしかイタリア語がしゃべれない。
彼がなにやらかんやらしゃべりかけてくるが、
ああ、ヨクワカラナイ、、。
なんでも鍵を持って付いてこいというので、
数百メートルほど、彼の後を追いかける。
すると、運河のところで、船を運転している
おにーちゃんがまっていた。
なんのことはない、
彼の仕事道具を一緒に運べということであった。
あらあら。
彼は、日本でいえばいわゆる内装屋さんで
ベネツイアだから、車では荷物をもってこれないので
運河で船に乗せて運んでもらったという次第である。
ベネツイアでは万事がそうである。
この島には車は入れない。
自転車も子供用以外はだめという島である。
だから、土木系の仕事をする人は運河を使い船で
その現場の近くまで荷物を運んできて、そこから今度は
手でその現場まで運ばなければならない。
なんでも、劇場の搬入口はだから運河に面しているらしい。(まだ
私は観ていないが)
イントレ、足場板、ペンキのプラスチック缶等々。
彼の持ってきたものを運んで予想するに、彼はペンキ屋かな
と思ったが、実は大工もやっている。
これも、不思議だが、こちらの内装の人は日本とちがい、
なんでもこなすらしい。
今日の彼の仕事は古い天井板をはいだ上にある等間隔の木製の梁に
軽鉄(スタッド)を取り付けるという仕事であった。
ドリルはマキタを使用していた。
こっちも今は軽鉄(スタッド)とプラスターボードが主流らしい。
イタリア人は働かないという、一般的印象があったのだが、
彼は朝8時から12時まで黙々と(ときたま歌っていたが)働いて
昼は10分で済ませて、すぐ戻ってきて、
私が早いねというと、そうだろう!!という感じでまた
すぐ、仕事を始めた。
そのあと私は語学学校にいってしまったので、彼が何時に
仕事を上がったかはわからないが、、。
ふらふらとちょっと、早めに出て、しかし、
パワーブックを持ちながら、ベネツイアの街を彷徨う。
今日もまた、一つスケッチ。
かわいらしい、教会の塔である。
時計が付いていて、その針がなんだか、ウニのように
四方八方に突き出ていて、文字板が半分で12時間終了するような
不思議なものである。
だから、素敵なんだけれど、時間はぜんぜんよくわからない。
ああ、今日は空が真っ青だ。
これから、語学学校にいって、またレッスン。
授業中にとなりの運河から歌と拍手が聞こえてくる。
ゴンドラが通り過ぎていく。
ああ、なにをやっているのだか、、。
なんといったらいいのか、
その事件のことは今日の夕方に携帯にかかってきた国際電話で知った。
アメリカがすごいことになっている。
え?
世界貿易センタービルに飛行機がつっこんだ?!
ペンタゴンもやられた?
なに、それ?
まるで、映画じゃん、、。
「そっち(イタリア)は大丈夫?」
と彼女が電話で尋ねる。
「え?今?
今ねリド島(ベネツイアから船で30分ほどの閑静な観光地)
に来ていてね。
なんでも、語学学校の課外授業でね、スパゲッティを
素敵なお庭で食べてるよ、、、。」
電話口でしばしの沈黙。
こっちは本当に天気がいい。
天高く、青くすんだ秋の空。
リド島からは波間に点景のように、
ベネツイアが見える。
そして、その背後には青くアルプスが微かにゆらめく、、。
なんでも、今日の午後の授業は
このリドに夏の家をもっている
老夫妻の素敵なお庭で、その婦人がレシピを作り
手ほどきするパスタ料理を語学学校のみんなで堪能するという企画であった。
塩付けの小魚をパスタに練り合わせたもので
ベネツイア独特のパスタメニューらしい。
名前はなんだっけ。
そうそう、BIGOLI IN SALSAである。
とても、おいしい。
こっちの料理はけっこうショッパイ系なものが多い。
これも例に漏れず、口あたりがかなりショッパイ。
でも、白ワインと一緒に頂くととてもおいしいのである。
ああ、イタリアだな〜。
空を流れるすじ雲が増えてきた。
とても、やわらかい青い空である。
アメリカはどうなっているのだろうか?
日本は大丈夫なんだろうか?
でも、この島はなんにも起こらない。
食事の最後に語学学校の老先生が
私にグラッパ(アルコール度数50度のお酒)を
入れた、カプチーノを勧める。
おそる、おそる、飲んでみる。
カッー。
にがいやら火がでそうやら。
初体験の味。
ほろよい、気分で船に揺られて戻ったベネツイアは
すでに、暗くなっていた。
*追記、
大変だったクエストウーラであるが、今日やっと書類が通過して
後は3〜4ヶ月後の書類完成を待つばかりとなった。やった!!
今日は朝7時に起きて、結局クエストウーラを出たのは昼1時半を回っていた。
待つこと通算18時間目にしての快挙である。
とりあえず、おめでとう自分。
朝早く起きて、スタンドで新聞を買う。
日本の新聞はないか尋ねたが、
ないらしい。
仕方なく、英語の新聞を買う。
2500L(150円くらい)である。
ゲー、ほんと破壊されてるー!!
どの新聞も一面トップでニューヨーク
ワールドトレードセンタービルの破壊された写真を載せている。
この新聞の見出しは
「U.S. under attack」
そういえば、パールハーバーとう映画が今年流行ってたけど、
これでアメリカ本土が攻撃されたのは2度目ということか。
今借り居している家はテレビのアンテナが出ている部屋が工事中で
テレビが映らない。
ああ、日本だったらこのニュースで持ちきりだろうな〜。
朝、語学学校についたら、例の老先生がなにやら、しゃべっている。
和田さん(語学学校のマネージャー)の解説によると、
彼は、これは起こるべくして起こった事件だといっているらしい。
彼の説によると、アメリカはひどい事をしてきたんだ、
君たちの国に原爆を落とし、ベトナムだって、湾岸戦争だってそうだ。
今度はアメリカが攻撃をうける番だ。
ということらしい。
うん、うん、色々な意見があるもんだ。
やはり、古いイタリア人にはイタリアとドイツと日本とは、、という
意識はまだ、あるのだろうか。
例の不思議な若者、諏訪君に昨晩あったときには
かれは、円が上がるだろうことを一番気にしていた。
なんせ、彼は1年間100万円でこのイタリアで生活しようと
考えているのだから、、。
ニューヨークの知り合い達は大丈夫だろうか?
北朝鮮がこれに乗じて日本にミサイルをうちこまないだろうか?
イタリアだって、中東近いし、ミサイルくるかも?
でも、ベネツイアは世界遺産だしな〜?
様々な意味不明の憶測が頭をよぎる。
とりあえず、大変な事が起きてしまった。
いや起こされたというべきか。
今年一番の大ニュースだろう。
いや、この後にまだ、、。
ベネツイアを通り過ぎる人の顔も
心なしかこわばって見える。
ちょっと肌寒くなってきた。
今日は天気がいいが、かなり肌寒い。
こちらは、朝晩の寒暖の差が激しい。
荷物が重くなるから、持ってきたものに秋冬ものは殆どない。
そろそろ、買わなくて、、。
午前の授業のあと、今日はアカデミア橋をスケッチしよう。
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不思議なものだ、
いやベネチアが狭すぎるのかもしれない。
犬も歩けば、なんとやら、。
ここでは、犬の糞と幸運が道に転がっている。
アカデミア橋をスケッチすべく、一度家に戻ってから、
やっぱり日本の新聞が読みたくてサンタルチア駅の方まで出かけて見るもみつからず。
とぼとぼと、カナルグランデの左側、中央の地区から
アカデミア橋に向かうべく歩いていると、
フィレッリ教会にぶち当たった。
今日の一日はそこから変わった。
フィレッリ教会にはティツィアーノの大作
「聖母被昇天」がある。
例の美術史を勉強しにきている女の子が、あれは
是非見るといいですよといっていたのを思い出す。
3000L(この教会はお金をとる)払っていざ内部へ。
建物の内装は所々レンガむき出しの状態で、
そんなにずば抜けてすばらしいものではない。
しかし、このティツィアーノには驚いた。
美しい!!
ここでも、開いた口が塞がらない。
以前、突貫屋のイサナ君と横田君との対談で
美しい仏像の前では時間が止まってしまうという話をしていたのだが、
ティツィアーノでも時間が止まってしまった。
ぽっかり。
どれくらい観ていただろうか。
携帯電話のベルで我に返る。
しまった、教会で携帯をならしてしまったという
はずかしさでこそこそと影に行って受信する。
クラウディアからである。
例のサンマルコ近くの素敵だが水没しそうな物件
(私は地下牢物件と勝手に名付けている)
が実は長期で無いと貸さないという電話であった。
どうしよう、、。
秋から冬にかけてのアクアルタ*が怖いので
出来れば1ヶ月か2ヶ月くらい借りて、もしその間に継続して物件を探していれば
良いところに住み替えたいというかなり甘い発想でいたのだが、、。
ああ、また暗転。
住むところが決まらないことがこんなに辛いとは。
クラウディアが一生懸命日本語で話してくれる。
また、他のをあったてみましょう、、。
情けないやら、だらしないやら日本男児。
ティツィアーノ初体験も混乱した頭をかかえつつ、
ふらふらとアカデミア橋へ。
先日(ってまだ昨日か)のリド島遠足昼食会の帰りに
ヴアポレット(水上バス)でこの橋の下を通った時に、
ああ、綺麗だと思い、
それで、今日はスケッチすべくここにたどり着いた。
-------------------------Ponte Academia-------------------------------
しばし、スケッチ。
この橋はカナルグランデにかかる3つの大橋の内の唯一の木造橋である。
(下部(橋のお腹の部分)に鉄骨のトラスがいれてあるが。)
木造のトラス構造をそのままむきだしに見せるとても綺麗な橋である。
四国の錦帯橋でしたっけ?あれとはまた全然おもむきがことなる。
あちらが純粋なアーチ型の橋で構造的に鉛直加重をアーチで均等に受けるという
ものであるのに対して、こちらの橋はトラス構造の橋桁の中央がちょっと持ち上がって、
ゆるやかに弧を描いているといった感じのものである。
下方に緩やかな弧を描いた高さ1〜2m程の木造トラス、そしてその上に
橋の袂から中央にかけてパースをきかせて薄くなっていく斜材で構成された
これまた木造のトラスがさらに重なる。
そしてその上に階段状の分厚い板が並び手摺りは直線で構成される。
緩やかな曲線と連なり漸近していくトラスの斜材。そしてその上の手摺りのシャープな
直線。この3種類の線が見事に調和して一つの美しい橋ができあがっている。
昔の日本橋もこんな感じだったのかな〜?
広重の絵を思い浮かべる。
人は荷物をしょって行き交い、橋の下では木造船が通り過ぎる。
そうだよね。
江戸時代がベネツイアにはまだ残っている、、。
木造の橋と多くの堀割、そして摩天楼のガラスのカーテンウオール。
そんな世界が共存した東京を思い浮かべてみる。
たりないものはなんなのか?
しばし、沈黙を思考する。
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どうにかなるさ。
アカデミア橋からカンポ・サンタンジェロを抜け、
一路家路へ。
そこで、犬も歩けば、に遭遇した。
通訳者の麻子さんがなにやら2人の日本人と連れだって歩いてくる。
やあ!!
お茶しない?
いいよ。
なんだか、万事がそんな感じ。
なんでも、あさって初日のテアトロ・マリブランで始まる、
オペラ「L`amour des trois Oranges」のゲネを今観てきたところらしい。
女性の方は朝日新聞の方で、この夏フェニーチェ劇場を東京に呼んだ企画を
されたかたで、男性の方は今回のオペラの指揮者に師事している、
若い指揮者の方であった。
ああ、東京だったら、ゼッテーこんな人たちと知り合わない!
いや知り合えない。
しばし、お茶。
そして私にはラッキーな事に、実は部屋が借りれるかも?ということになった。
ああ、ティツィアーノ!!
あれを観てから、今日は変わった!!
話せば長い。
なんでも、その指揮者の方はこの4月にベネツイアにきたばかりなのだが、
このベネツイアの歌劇場フェニーチェの常任指揮者に師事すべく、いざ
東京から馳せ参じたものの、この8月にそのマエストロ(指揮者)の方が
契約半ばで急遽フェニーチェを解任されたらしい。
で、彼はそのマエストロの後を追ってお呼びのあるドイツやらフランスやらへと追いかけなくては
いけなくなってしまったということである。
あらあら。
だから、本来は2年くらい住む予定であった、アパルトメントを9月中旬には
引き払い、いったん日本に帰国するとのことである。
あの、是非よかったらおうちを見させていただけませんか?
犬も歩けばから藁しべ長者状態へ。
使えるものは指揮者のお宅でも使え!
別にそんなことわざはこのイタリアにもない。
ああ、凄い素敵なおうち、、。
こんなところに住めたなら、、。
例の地下牢とは雲泥の差。
階段を3階まであがり、いわゆるペントハウス状態。
絶景、絶景。日当たり良好。お部屋は続き部屋(スイート)で2つ、
そして素敵なキッチンとバスタブ付きのお風呂。
窓から、サンマルコの塔が見えるかな?
これで100万リラ(約6万円)?!
サンマルコ広場からちょっとはずれのビエンナーレ会場の方へ
10分ほど歩いた静かなところである。
ああ、住みたい。
もう、自分のことしか考えてない。
麻子さんと私とその指揮者の方(今井さん)の
おうちで3人で麦茶を飲みながら、夜10時までスパゲッティを食べつつ
おしゃべりは続きました。
ああ、イタリアな夜。
とりあえず、大家さん(実は日本人らしい)に相談してみてくれるとのことであった。
返事は20日にもらえる事に。さあ、どうなる至?
しかし、不思議な縁というか、なんか一本の糸にあやつられているというか、、。
この指揮者の方も久恒さんのお知り合いで、というか大家さんが久恒さんのお知り合いで
指揮者の方がベネツイアに来てから久恒さんと知り合いになったということらしい。
なんか、影で演出している久恒さんの姿がみえるようだ、、。
とりあえず、色々なものに感謝。
久恒さんに、麻子さん、クラウディアに、青年団に、そしてティツィアーノに、、。
帰り道、夜のサンマルコ広場がいつにもまして輝いて見えました。
*アクアルタ
聞くところによると、10月初旬くらいから冬にかけてくる、高潮のようなもの。
そのシーズン地盤のひくいサンマルコ広場周辺はほぼ水没するらしい。
去年など、最高1.2mほど水没したという。
近年地球温暖化の影響とかで特にひどくなっているともいう。
今日は私の受け入れ先になってくれた教授Paolo Puppa先生に会う日である。
ここまで、長かった、、。
でもこれからもまだ長そう、、。
それで、朝から気もそぞろ。
9時半頃に先生の研究室と教室のある建物を訪ねる。
ベネツイア大学は街のあちこちに教室やら先生の研究室やら
学食やらが散らばっている。
殆どが古い貴族のお屋敷だったいわゆるCASAを
転用して使っているようである。
先生に挨拶して青年団の資料一式と
日本からもってきたおみやげ(日本茶と和菓子)
を手渡す。
ああ、なんだかもう半分以上目的達成という感じ。
しかし、気をぬく暇はない。
先生は実に良くしゃべる。
マシンガンしゃべりの教授である。
しかし、英語でお話してくれたのでなんとか内容は解った。
とりあえず、先生の授業が10月1日から始まるので
よかったら是非来てくれとの事。
ああ、ありがたや、ありがたや。
先生がしゃべり続ける。
私は実は劇作もやっていて、戯曲を出版しているんだ。
イタリア語、英語、フランス語に出版されている。
是非日本語でも出したいと思っている。
でも僕の授業は君の専攻とはちょっと違うだろう?
演劇史と戯曲に関する講義だからね。
美術の先生を知っているから、早速電話してみよう。
あとそうそう、ミラノへは君は行った事があるかい?
イタリアでいちにの大きな都市だ。
そこの18世紀に作られた劇場で9月下旬に実は僕の作品が上演されるんだ。
君にチケットをあげよう。
そうだ、君はミラノに友達はいないのか?
「ええ、いません。」
そうか、芝居は夜9時からだから、ミラノで泊まるところをどうにか
しないといけないな。
「いや、でもホテルでいいですよ。」
いやいや、それはもったいない。
そんなところで、お金を無駄にするもんじゃない。
なんとか、泊まれるところを確保してみよう、、、、、。
家にも是非くるといい、いっぱい本があるから、、。
マシンガンしゃべりとメガネの奥の鋭い視線。
これがPuppa 先生か。
しかしとても、良い先生であることはこの20分くらいで解った、、かな?。
日本でお世話になったキアラ・ボッタさんがいっていた通りの人である。
ああ、でも、とりあえず、やっと研修のめどがなんとかたちそうになってきた。
先生に挨拶をして、ふらふらと扉を開けて外へ出る。
今日は日差しが強い。お昼頃は暑くなりそうだ。
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午後の授業を終えて一路家路へ。
夕方7時近いのに辺りはまだ明るい。
気になるのはやはりアパートの事である。
しかし、昨日のあのティツィアーノはなんだったんだろうか?
ちょっと考えてみたい。
---------------------------ティツィアーノ「聖母被昇天」-----------------------------
私は絵画については殆ど門外漢である。
ティツィアーノについても全くしらない。
でも、気になるものは気になる。
彼がこのベネト地方出身の地元の作家であるというのも、ついこないだ教えてもらった
ばかりである。
でも、この絵は凄い。
だから考えてみたい。
きっとちゃんとした解説書を読めば、様々な意味がこの絵に込められているのがわかるのだろう。
私が思ったことは意味不明、見当違いも甚だしいかもしれない。
それでも考えてみたい。
この絵はその気にさせる力作なのである。
「聖母被昇天」というタイトルどおり、天にまします神の元に、召されるイエスを見上げる、若き聖母マリア
がその主題となっている。
構図としては大きくタテに3段に分かれている。
上方を向いた若きマリアが両手を広げている。しかし、見上げる先にはイエスがくるまれているであろう
布きれしかない。そしてそこから、微かにのぞく神の顔。
マリアの下、地上では、この騒動を人々が見上げている。
父、大工のヨゼフもいるのだろうか?
そしてこの3層の間に青い空と雲が浮かび、まるで絵巻のように一つの物語を語りかけてくる。
まず私が気になったのはこの構図であった。
なぜか。
それはこの絵の構図が
私が考える(思っている)ルネッサンス以来の西洋の絵画や建築の手法である、
遠近法の発想に基づいた絵と少し違うようなのである。
というのも、基本的に遠近法では、その中心に必ず焦点があり、
それが主題となって全体の構図がそこに収束するように構成されている。
それに対し日本の絵巻ものや浮世絵のような絵画、あるいは竜安寺の石庭のような空間には
収束する一点がない。視線が空間をさまようのである。
和の空間や絵画はそのさまよう時間を空間に封じ込めている。
その点が西洋の遠近法的発想と日本の間(=時間と空間が同時に存在するような状態)的な発想との
根本的な違いなのではないかと私は考えているわけなのだが、、。
が、しかし、この絵では視線が空間を彷徨うのである。
なぜか?
たしかに焦点はある、タイトルにもあるようにそれはまさに聖母マリアである。
しかし、その視線が向かう先にイエスの姿が見えない。
ただ、その布きれに巻かれているであろうイエスの気配のみが存在するのである。
イエスが若いのかまだ幼子なのか、もう死んでしまっているのか、、、。
この、、、、。がここには描かれているのである。
これが問題をややこしくしている。
幾多の数限りない聖母子をテーマにした作品があるわけだが、
その殆どがイエスを抱え、その誕生と死を見つめるというマリアの視線と
その先の実体(肉体)としてのイエスという応答的な空間的構図を取るのにたいし、
この絵には視線の先に見えないなにかがあるのである。
見えないなにかが構図の外であれば、話はわかりやすい。
それは実際に見えないのである。
しかしこの絵でティツィアーノは本当のもう一つの主題であるイエスが、見えそうで見えず、
おそらくいるであろうという気配のみで全体をまとめようとしているのである。
だから、我々の視線は主題を求めて空間を彷徨うのである、そして恐ろしくすばらしい
ティツィアーノの繊細でかつ大胆なタッチをくまなくスキャンする羽目になるのである。
なんて作家だ、そしてなんて作品だ!
描き得ないモノを描く。
物凄い大風呂敷である。
「語り得ないものについて我々はただ沈黙するしかない。」
ビトゲンシュタインの言葉を完全に無視している。
ここにもルネサンスの偉大さを観るのである。
人間はどうすればよいのですか?
さあ?
とりあえず、描こう。
さあ、
とりあえず、造ろう。
今日も多くのデミウルゴス*達が夕暮れ時、晩鐘を聞いて
その手を休める。
明日はどこにあるのだろうか。
我々の世紀は、どこにあるのだろうか?
破壊されたNYワールドトレードセンターの映像と
このティツィアーノの描いた聖母マリアの視線の先にある、一枚の浮遊する布きれが
目に焼きついて離れない。
*デミウルゴス
ギリシャ神話かローマ神話に出てくる、半神半人の存在。
磯崎 新がその著書で建築家の原型として位置づけている。
彼の仕事は世界を創造する事である、様々なモノを創ることである。
しかし、かれは人間でもあるので、その造られたものは不完全で滅びる運命にあるのである。
須藤さんがやってきた。
今日は朝クラウディアとカンポで待ち合わせして
知り合いの不動産屋で物件をあたってもらう。
そのあとすぐ、サンタルチア駅から
ミラノ行きのIC(インターシティ)に乗り込む。
3時間。
途中、パドバ、ヴイチェンツア、ヴエローナという古都を
通り過ぎていく、素敵な田園風景が広がる。
今日はちょっと天気が悪い。
ミラノ駅からイタリアの空の玄関口マルペンサ空港まで
バスでさらに1時間。
高速道路でついに雨が降ってきた。
稲光もしている。
飛行機は大丈夫だろうか。
ミラノ、マルペンサ空港はのんびりしている。
成田とは大違いである。
でも、発着便のモニターを見ると、
やはり、アメリカ方面の便が全くないことに気づく。
唯一ロサンジェルスからのアリタリアの到着便が
1便あるだけだ。
それも、私がまっている東京からの飛行機の
30分後くらいの到着予定である。
だからだろうか、
到着を待つ出口がその時間になると、すこし騒然としてきた。
なにやらテレビカメラとイタリア赤十字の人たちが、群がっている。
けが人でも搬送されてくるのであろうか。
それを見る前に須藤さんが無事到着。
再会を喜び合う暇もおしんですぐバスへ。
なんせ、できれば今日中にベネツイアまで帰りたいのである。
時計を見る。
今が6時半、頑張って駅に着いたのが7時40分。
切符を買う長い列に待つこと20分。
夜8時05分発、ベネツイア行きのICに飛び乗る。
ああ、日本人。
だれも周りは走っていない。我々だけが焦って飛び乗っている。
コンパートメントは混んでいて、あと荷物が大きかったので、
通路にある簡易イスを倒してそこに座を取る。
とりあえず、一安心。
あとは、ベネツイアに到着するのを待つばかり。
で、日本はどうなってるの、台風は?
NYはどう?
今日の日経新聞と読売新聞を見せてもらう。
機内で出たといっていたおにぎりを頂きながら。
ベネツイア、サンタルチア駅に着いたのは夜11時を回っていた。
こちらも、雨が降ったらしく、石畳の路上が濡れている。
近くのトラットリアでピザでもと考えていたが、もう辺りのお店は
しまり始めている。
ああ、家にはスパゲッティがあと一人分少ししかない。
しょうがないな。
とりあえず、紅茶で乾杯。
お疲れさまです。
だいぶ、寒くなってきた。
日本はまだ半袖でもあついくらだと須藤さんが言っている。
明日も天気は悪いのだろうか。
とりあえず、お休み。