出発の朝 山内家で朝3時まで宴会を繰り広げる。 それから、荷造り。 とるものもとりあえず、出発する。 「風立ちぬ、いざ、、」 9月の空は遠く、微かに晴れている スズケン運転のオリザカーで空港まで向かう。 駐車場にはオリザさん陽子さんヤス、ソゲ、太ちゃんが見送りに 来てくれている。 胸が熱くなる。 漂白の思いやまず、芭蕉は40代で旅立った。 まだ、私は30代だ、駆けだした。 レインボーブリッジを渡り、景色が通り過ぎていく、 東京はどこまでいくのだろうか、、。 「月日は百代の過客にして、行き交う人もまた 旅人なり、、。」 200年前も今も変わらない。21世紀になっても変わらない。 この空白は、、。 到着したのは、夜遅くであった。 ウイーンでトランジットの飛行機の到着が遅れた。 ラーキーな事に成田、東京間は なんと、ビジネスクラスに乗客!! エコノミークラスのチケットだったにも関わらず、 ノーマル価格で買ったものだったので、 混んでいたエコノミークラスから弾かれてビジネスクラスに なったのであった。ラッキー、ラッキー。(さすが、文化庁とこのときは思った) しかし、こんなところで運を使っていて良いものか。 このあとが、恐ろしい。 予想通りというか、案の上飛行機は遅れた。 ベネツイアの橋をバスで渡ったのは夜9時を回っていた。 久恒氏の友達のクラウディアがバス停まで迎えに来てくれていた。 とりあえず、一安心。 それまで、実は空港でパスポートコントロールもなく、 バスのチケットの買い方も解らず、電話のかけ方も解らず 右往左往していたのである。 30分以上思考錯誤したであろうか。 まるで、知恵の輪を解くように、一つづつ、問題解決の糸口を 見つけて行くしかない。とほほ。 でも、これが、エイリアン(部外者)というものであろう。 電話が掛けられなかったのには二つの理由があった。 一つは買ったテレホンカードの角を折らないと電話機が 受付てくれないこと。 これは、そばにいたイタリア人の若いカップルに聞いて教えてもらった。 もう一つは久恒氏から頂いた、いのちの綱、イタリアでの関係者の電話番号に 電話が掛けられないということである。 この問題の解答はスタンド(売店)のおねいさんに教えてもらった、 なんと、今月からか、解らないが、携帯の最初の番号の0がいらなく なったということであった。 ああ、これから、このような問題が私に降りかかってくるのだろうか? とほほである。 しかし、しょうがない。ひとつ、一つクリアしていかなくては前に進めないのだ。 ベネツイアのクラウディアの部屋について、一安心。 日本語が堪能なクラウディアの部屋にとりあえず、数日お世話になるということで 話がついた。 日本から持ってきたバイオをクラウディアに渡す。 キモッツィオーネ!!とクラウディアが連発。 どういう意味なの? Feel very Happy!!ということらしい。 おそらく最初に意識して聞いたイタリア語になるであろう。
昨日の寒さとは打って変わって今日は快晴だ。 ベネツイアを彷徨おう!! 相変わらずというか、出発前の無理した日々以来 体調が優れないのだが、それに輪をかけて ちょっと神経質になっているせいで、さらに おなかの調子がおかしい。 まあ、しょうがない。持病みたいなものだ。 仲良くつきあっていくしかない。 シャワーを浴びて、初秋のベネツイアに飛び出す。 今日はレガッタストーリカ?の日らしい。 昨日クラウディアがいっていた。 様々な競走用ゴンドラが運河を着飾って華麗に走る日とでも いうか。 観光客のお目当ての日でもある。 それで、ふと思い出した。 そうか、あれは5年前か? 確かちょうどこのレガッタストーリカの日だった。 私はベネツイアにいたのだ。 天気も同じようである。 ポンテ・リヒャルトも全然変わっていない。 1996年9月1日あれは確か日曜日であった。 思い出した! ベネツイアにあのとき私は到着したのだ。 あれから、橋をいくつも渡ってまたここにいる。 5年前にスケッチしたリヒャルト橋の 同じ位置からこの橋を見つめる。 ベネツイアはここにある!! 涙している暇はない、観光客に紛れながら サンマルコ広場へ。 ああ、ここも変わらない。 ここも、ベネツイアだ!! アドリア海の女王!! 「見つけたぞ!」 「なにを?!」 「永遠を!!」 「それは太陽と結婚した海だ!」 ランボーの詩が脳裏をよぎる。 サンマルコ広場から 海沿いをベネツイア・ビエンナーレ会場まで歩いていく。 傾きかけた日差しはさらに鋭くなっている。 実は今日の目的はかの ビエンナーレ会場にある吉坂隆正の設計した 日本館を観ることであった。 私の恩師の恩師というか 早稲田の夜学の建築課を創設した 吉坂氏の作品を前回は見られなかったので 今回は真っ先に来たわけである。 なおかつ、今回は幸運なことに 2年に一度のビエンナーレの期間に当たっている。 会場にある各国の様々な展示をみつつ日本館へ。 今回のビエンナーレのテーマは humanityというらしい。 日本館のテーマはslow/fast 展示自体はあまりさえなかったのではないか。 出展者の批判的な眼差しは感じるものの、圧倒的な なにかがない。 これは、なんだ?までにも到達していない。 我々の世紀は悲しい世紀なのかもしれない。 様々なものがあふれ、なにもかも表現になる。 そして自由だ。 うれし、悲しき2001年。 ただ、唯一、吉坂の力強い躯体が反抗を示している。 この建物はその点が評価できる、 あくまで吉坂の個人的な眼差しがカタチの中に内包されている。 水平線のちょっと上を目指した、遙かなる視線。 吉坂先生の姿が見える。 すかさずスケッチ。 その姿をなぞりたい。ただそれだけのスケッチ。 語ろうとして口が開いたまま、止まっている。
昨日お昼に 久恒氏の紹介で本谷麻子さんにあった。 バイタリティあふれる若き通訳者である。 彼女の素敵なアパートにて昼食をご一緒させて頂いた。 百戦錬磨の彼女からイタリア長期滞在の 様々な関門を聞いた。 その一つである滞在許可証の申請にクエストウーラに向かう。 これが、今日のというかおそらく最初の最大の難関である。 どのバスかも解らず、どの停留所かも解らず、 乗客の紳士に英語で質問してなんとか停留所を教えてもらった。 ベネツイアのバス停には解りやすく名前が張り出していないし、 場内アナウンスもない。 運転手が気さくな人であれば、教えてくれるが、そうでないと、 今どこを走っているのか、これはもう全然わからない。 なんとクエストウーラ(警察所)に着くものの、到着が遅かったせいで 私の順番待ちの番号は30番。 30分に1番号づつくらいしか進まない。 これはもうだめだ。 ふらふらしていたら、日本人の女性が話し掛けてきた。 彼女も2日前に到着したばかりらしい。 イタリア政府の公費留学生とのことである。 彼女はイタリア語が上手である。 私はまったくしゃべれない。 彼女は開門前から来ているらしく、それでも番号は 16番であった。 色々話を聞いてとりあえず彼女の番までまって、私は退散することにした。 おそらく、閉門のお昼12までに私の番まで絶対に回ってこない。 おいてあった資料を一式持ち帰って、 再度金曜の早朝に彼女と出直す相談をした。 金曜日が怖い、、。 しかし、大変なことがあれば、それに連れて不思議な縁ができるもので 今日このクエストウーラ(警察所)にきたおかげで彼女(細野さん)と もう一人不思議な日本人諏訪君に出会ったのである。 細野さんの紹介でこれから細野さんがかよう語学学校を紹介してもらい 私も行ってみた。 とりあえず、明日2時半にもう一度行くことになった。 今日の成果は知り合いが二人増えたこと、 麻子さんのアパートで悪戦苦闘しつつ、なんとか e-mailの送受信に成功したことだろうか。 ああ、さきは長い。
よく眠っている。 お腹の調子があまり良くないので、 食べずに寝てばかりいる。 今日は午後までゆっくりと家にいて 日記などを付ける。 午後から語学学校に行く。 ともかくしゃべれない、わからない。 先生が頑張って教えてくれる。 ああ、なんとかものになるのだろうか。 まだまだ、先が遠い。 ただ、claudiaにたのんで、 夜一緒に携帯を買いに行った。 bluという新しい系列の携帯だ。 さしずめ、j-phonといったところか。 こちらの携帯は買ったときsimカード が挿入される。 そのカードに使用できる度数が書き込まれる仕組みである。 まあプリペイドといってよい。 度数が少なくなったら、simに新たに書き込んでもらいにお店に 行くらしい。 私の番号を記しておこう。 3899xxxxxx である。 値段も本体200.000-Lで50.000Lの通話料分のsim込みで 税金も合わせて260.000Lである。日本円で16,000円くらいか。 夜は一人でパスタに挑戦。 とてもショッパイ、パスタな夜であった。
朝はまたのんびりして、 昼前に麻子さんの家に出かける。 電話線を借りにである。 また、メールチェック。 常時メールが見られないというのは、 やはり辛い。 そういう体に慣れてしまっている。 逆にイタリアにいれば、こっちのペースにじき 慣れてくるだろうが、、。 仕事のことがあると、やはりストレスがたまる。 昼食を麻子さんとS.Staeの近くのレストランでとる。 パスタがとてもおいしい。 今日はどんよりとした天気である。 曇りの日はまだ9月の頭だというのにとても寒い。 長袖で早く歩いても汗がでないくらいだ。 午後からまた語学学校に行く。 ここでもメールチェックに成功。 おそらく、なんどか電話線を借りることになるであろう。 夜は麻子さんの家に日本人の女の子の友達が来てそばを食べる というので、ご馳走になる。 ズッキーニと冷凍エビとタマネギの入った天ぷらと ざるそば。3人ではしをつつきながら食う。 ああ、日本人。 となりでは、同居人のイタリア人女学生とその男友達が ぺちゃくちゃとおしゃべり。 不思議な夜だ。 その麻子さんの友達はなにやら、イタリア人の彼氏と現在その 彼氏の実家(ムラーノ島にある)に住んでいるらしい。 彼女のおしゃべりを聞いていると、 どうやら、ビザ無しでも3ヶ月以上イタリアにいて、 ブラーノ島にある(こっちはブラーノ)観光客相手のガラスショップで 働いているらしい。 そして彼氏とわかれるかどうかになやんでいるらしい。 また、ちゃんとイタリア語も勉強したいらしい。 すべて、らしいのだ。 日本人の女性は手強い。 そんな夜であった。
まるで、ロビンソン・クルーソーのようだ。 ベネツイアの人混みの中で、 一人漂流している男。 今日も朝はのんびりと過ごす。 朝10時にクラウディアのお父さんが家の天井修理の様子を見に やってくる。 ベネツイア人だとクラウディアは言っていたが。 その通り、気さくな感じの人である。 昼前にプリンターの写真用用紙を買おうと出かけるが お店はお昼の休み(基本的に普通のお店は 12時半から15時くらいまでお休み) で開いていない。 ああ、語学学校のクラスの後にまた来なければ。 ただ、彷徨いがてら、素敵なファサードに目が止まり しばしスケッチ。 Basillica dei Santissima Giovanni e Paoloのファサード 後で家に帰り調べてみたら、それは Basillica dei Santissima Giovanni e Paolo という教会であった。(サンマルコ広場から西へ10分くらい 歩いたところにあるちょっと見つけにくいところにある教会である) ファサードを作ったのはバルトロメオ・ボンという人で スタイルはゴシック・ルネッサンス(1461)であるという。 不思議な事に、もう一つ素敵だと思った教会が麻子さんの住んでいる地区の 方にあったのだが(サン・ロッコ)それもどうやら、同じ人の作品であるらしい。 不思議なものである。 きっとなにか、惹かれるところがあるのだろう。 とりあえず、そのゴッシクルネッサンス様式のファザードを見た時に感じたのは 大理石のマーブル模様が入った柱の美しさに目を惹かれたというところだろうか。 それから、入り口の部分しか完成していないその未完成さが持つ不可思議なバランス。 大理石と煉瓦の積まれた部分とのコントラスト。 あとは、スケッチしている内に感じたのはとても細かく、 丁寧にそしてバランスよく配置されたパーツによる全体の構成の見事さであろうか。 例えば、パリのノートルダムのファサードは圧倒的である。 物凄い数の人体像の群と図象学的な意味を散りばめられたファザートといったらよいか、 細部の積み重ねによる「圧倒」といった感じを受けるのに対し このファサードにはそのような押しつけがましさがないのである。 あくまで、全体のプロポーションを意識している。 ノートルダムのような盛期?ゴシックのファサードは 偶像や図象を蓄積させて一つのカタチにするのに対し、 こちらには最初に全体のカタチがあるのである。 そのカタチにどう神を宿らせるかという発想でファサードが構成 されているのである。 柱、柱礎、柱頭、アーキトレーブといったパーツ(素形)。 それが綴れ折りにセットバックしてそして先尖型のゴッシクアーチにより一つに繋がれる。 おのおのの素形がバランスよく配置されている。 この作家がどういう人で、生きていた時代がどういった時代であったのか、 勉強不足の私にはまだよくわからない。 しかし、明らかに、カタチを純粋にというか数学的に捉え、その整合性の中に ヒューマニティの在処を探るという、 ルネッサンス的発想がゴシックルネッサンスという ゴシックを意識した様式であるにもかかわらず、垣間見えるのである。 ------------------------------------------------------------------- 昼はファーストフードでピザを一切れ。 それで、学校に向かう。 まだ、3日めなのに、なんだかもう一週間も 通っているようだ。 学校にてまた電話線を借りてメールチェック。 これも、有料だ。 しかし、通信環境が整わないとこんなにも大変だとは、、。 ともかく、毎日この重いパワーブックを持ち歩かなければならないのだ。 夕方疲れ切って帰ってくるも、明日のクエストウーラへの準備の為 駅まで写真を撮りにいく、そして、tabbachiでマルカダ・ボッロ(収入印紙20.000L) を買う。 そうこうしている内にあたりは夕暮れどき、7時半には普通のお店(スーパーも) がしまり始める。 今夜もまた家でスパゲッティに挑戦である。 タマネギが入っただけのシンプルな塩味スパである。 今回は一応塩分濃度は成功。 次回はなにか、もっと具を入れたいところだ。
今日は朝7時に起きて、クエストウーラに向かう。 日本人の女学生と橋のたもとで待ち合わせバス停へ。 あいかわらず、停留所がわからない。 なんとか、降りていざ警察所へ。 ガ、ガーン(って古いな〜)、 もう、すでにすごい列が出来ている。 結局、受付てもらったのは、昼1時になってから。 彼女は成功!しかし、私はあと一歩で突き返されてしまった。 理由は滞在先保証人の直筆サインの入った用紙がいるのだが、 それを書いてもらったクラウディアが実はオーストリアのパスポートを もっていたことによる。 せっかく、クラウディアに書いてもらったのに、これは イタリア人のではないので問題があるといって、突き返されてしまったのだ。 イタリア人でなければ、その人の顔写真入りの ベネツイアでの滞在許可書(私が欲しがっているというか、必要とされているものと同じもの) のコピーがいるらしい。 ああ、また、来なければならないのか〜。 朝7時から数えてベネツイアのpiazzale Romaにもどってきたのは 1時半を回っていた。半日つぶれる、、。 ただ、一番の問題の入国8日以内に所轄の警察署に出頭せよという 目的は達成された旨のハンコは押してもらえたので、後はゆっくりと 来ればよいということらしい。 いやはや、とほほ、である。 知らない国で知らない生活を知らない人が始める。 半径1メートル以内から、獲得した情報をゆっくりと ものにしていく。 そう考えれば、 だれもが、ロビンソン・クルーソーであり、 ただ、自分がどこまでロビンソン・クルーソーなのかを 知らないだけなのかもしれない。 夜は細野さんとその同居人のエリカがリド島のベネツイア映画祭に 出かけるというので、強引に参加させてもらう事にした。 同居人のエリカは日本語学科の学生で大江健三郎を研究しているらしい。 エリカは日本語がとても上手である。 でもまだ日本に行ったことがないといっていた。 なんでも、テープを聴いて日本語を勉強したらしい。 凄いものだ。 リドの夜はとても華やいでいた。 映画祭以外の時と夏のバカンス時期以外はかなり静かな 老人の島だとエリカが言っていた。 --------------------ベネツイア映画祭を見て------------------- 映画の方は日本人の監督の広田 昭彦? の「害虫」というものであった。 この監督はおそらく、青年団の安部ちゃんの知り合いの 監督ではないだろうか? 作品自体はまるで詩のような、サイレントフィルムのような たんたんとしたリズムをもつ作品であった。 ただ、象徴性が強く、個別的価値感の広がりがみえない。 なんだか、寂しい感じがする。 日本映画の多くに、なんだか、そんなモヤのようなものを感じる。 だから、私はあまり映画を見ないのであるが。 どうしてえも、カット割であるとか、フレームインであるとか 切り取られた風景であるとかが 気にさわるのである。 先に組み立てられた世界をこうやって見るとおもしろいよと 強制されている感じがするのである。 その点演劇はもっと、突き放している。 すくなくとも青年団の芝居はそう感じる。 作品自体の収束点という強制力は確かにある。 しかし、私はみたいところを見ていればいい。 ベネツイアの街を歩くときと同じように、 道の脇のゴミであるとか、乳母車にのった小さな子供の寝顔であるとか。 まるで、道を歩くみたいに芝居を見ることができる。 しかし、 映画はなんだか、誘導されていくのである。 気持ちよく誘導されてああ、そうだったの!?という ハリウッド映画に慣れてしまっているせいかもしれない。 価値観の多様化、個どうしの新たなレベルでの共感と繋がり。 確かに我々はいつの時代よりも自由であるのだろう。 でもそれが、寂しさに繋がるとしたら、我々の時代はとても 悲しい時代なのかもしれない。